イーサンとコトハが湖面の浄化をしているうちに、マリたちは見回りをしていた。以前浄化した
セイキに案内されていると、ふと湖が光ったように見える。きっとコトハが浄化したのだろう。集落の人たちもその光に驚いたのか、窓を開けて光の方角を眺めている者もいる。
集落内がザワザワと騒々しくなる中、マリとセイキの元に現れたのは細身で目が細い男性だった。
「セイキ様、ありゃあ、巫女姫様ですかいな?」
「ええ、そうです。湖の穢れを浄化してくださっている最中です」
「それはありがてぇ。船頭から話は来たが、本当に浄化してくださるとは……」
目の前の男は「ほう」と顎に手を触れた。
「本日、巫女姫様はこちらに宿泊します。人数は五人。二人部屋ふたつと……私の部屋を用意していただけますか? マリさんもコトハ様と同じ部屋の方が安心できますよね?」
「はい。そうであれば助かります」
マリはセイキへと頭を下げる。すると先程の男が声を上げた。
「なるほど、そこの別嬪さんが巫女姫様と転移してきた女性ですかい。そんじゃあ、それで準備しておきますんで」
そう告げた後、男は細かった目を少し見開いてマリを見た。その瞳に一瞬不穏な空気を感じたのだが……一瞬だったので、きっと気のせいだろう。
「よろしくお願いいたします」
「おう、別嬪さんにお願いされたら張り切りまっせ〜!」
男はニコリと笑った後、背を向けて右手を挙げる。セイキとマリはその男の背を見送った。
彼の姿が見えなくなる頃、マリはセイキに尋ねる。
「あの男性は……?」
「ああ、あの男は
「そうですか」
再度ちらりと男が去った方向を見たあと、マリはセイキと共に集落内の見回りを再開した。
その後マリはヘイデリクと合流し桟橋へ向かうと、イーサンとコトハは浄化から戻ってきており、イーサンが小舟の縄を柱にくくりつけていた。
マリとヘイデリクの話から集落の穢れを浄化したコトハたち一行は、セイキの案内によって本日泊まる屋敷に案内される。
先程のまとめ役の男が話を通していたからか既に食事の支度が終わっており、一行は先に食事をしてから部屋へと向かった。個室に風呂はない、という事なので落ち着いた頃を見計らって大浴場へと向かう。浴室へ入ると桶や椅子が置かれており、風呂は外に作られていた。
「……露天風呂よね?」
マリは思わず呟いていた。それと同時に懐かしさを感じる。
今まで日本を思い出す事を控えていた。帝国で生きるしかない、と頭では理解していても心が追いついていなかったからだ。だからコトハが故郷の事で思い悩んでいた時、その気持ちが少しだけ理解できるような気がした。
だけど、彼女はイーサンと共に前を向く事ができている。その心の強さに尊敬の念を抱いていた。
「そうです! 露天風呂です。マリさんもご存知だったんですね」
「ええ。日本は温泉観光地が多くて有名だったわ……そういえば、他の集落には露天風呂は無かったわね」
コトハと話しながら思う。この
懐かしく感じただけで、悲しみが心一杯に広がることはない。きっと十数年かけて心が癒えてきたのだろう。今まで無意識に日本を思い出すものは避けてきた傾向があるが、これからは全てを受け入れられそうだ。ヘイデリクと一緒に。
折角だから、小屋の近くに温泉を作るといいかもしれない、と思って露天風呂を見回す。
そういえば今まで泊まった集落は、室内風呂だった。もしかすると、あれも温泉なのかもしれないが……詳細な話は聞いていないからなんとも言えないな、と思う。
「あるのは
「作られた……というのは、最近のことなの?」
「又聞きなので、詳しくは知りませんが……現長老様が就任した際に作られたとお聞きしましたね」
「集落の方々は入れるの?」
「いえ、入れる方はいないと思います」
上の私利私欲で作られた温泉なのかも、という考えが頭をよぎった。もしかしたらマリの考えすぎかもしれないが……どうしても長老には良い感情を抱く事ができない。
マリとコトハはお風呂へと入り、身体の疲れをゆっくり取ったのだった。
大浴場から部屋へと戻りマリとコトハが寝る支度をしていると、ヘイデリクとイーサンが現れた。この屋敷は食堂を中心として左側に女性棟が、右側に男性棟がある。イーサンたちとコトハたちはそれぞれの棟の一番奥にある部屋を借りている状況だ。イーサンたちは管理人に許可を得て、女性棟へと来たらしい。
全員で明日の予定を確認した後、一行は別れて眠りについた。
眠ってからどのくらいの時間が経っただろうか。
マリは寝返りを打とうとしたが、違和感を感じた。まるでミイラのように包帯で身体をぐるぐる巻きに縛られているような感覚だ。異変を感じた彼女が周囲の様子を感じ取るために耳をそば立てていると、近くから声が聞こえた。
「対象熟睡中、承知」
それと同時に何かが喉に触れる。すぐに目を開けたのだが、既に声の主はいなかった。
幸い首だけは動かす事のできたマリが下を向いて身体を見ると、自分の身体に長方形の白い何かが貼り付いている。何かの術によって拘束されている事に気がついたマリは、視線だけで隣の寝具を見た。寝具には誰も寝ておらず、慌てて周囲を見回すとその奥に寝ているコトハを抱えた黒づくめの人がいる。
マリはコトハが誘拐された事に唇を噛んだ。声を上げようと試みるが、先程何かをされたらしく声が出ない。
「対象捕獲、
声からして先程とは別の男だろうか。黒づくめの男はそう告げた後、すぐに彼女を連れてどこかへと向かったらしい。
そう言えばイーサンが、『何か奥の手があるかもしれない』と言っていた。様子を見るに、これが奥の手なのかもしれない。弐へ急行、つまりコトハは弐の集落へと連れて行かれたのだろう。
マリはなんとかこの摩訶不思議な状態から脱出しようと試みるが、全く歯が立たない。
そんな時、アカネの言葉をふと思い出す。
『ズオウ様も含め、あの村の上層部の方々は……自分たちの願いを叶えるためには手段を選びません。コトハ様を村に留まらせようとするでしょう……その方法で思いつくのは……コトハ様と婚姻を結んでしまう事です。星彩神様の祀られる神社という場所で儀式を行ってしまえば……ズオウ様とコトハ様は夫婦となります』
この地に留めるため、ズオウとコトハの婚姻を結ばせる。この後は、アカネの話していた通りの事が起こる可能性が高い。でも、コトハがもし起きたとして……ズオウとの結婚を了承するかと言えば、否である。どうやって婚姻を結ばせようとするのか……そう考えて状況を理解した。
声を上げようとするも、黒づくめの男によってマリの声は出なくなっている。
(コトハさんが危ない! 早くイーサン様に伝えなくては……! デリク、助けて!)
彼が気づいてくれるまで、彼女は何度も、何度も、強く思った。