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第81話 二人の憤怒

「マリ!!」


 寝具の上に拘束されているマリをいち早く見つけたのはヘイデリクだった。彼はマリの側へと向かうと、彼女の身体に付いていた長方形の紙を剥がしていく。その紙には黒い文字らしきものの上に、赤い星が描かれていた。

 セイキはヘイデリクからその紙を受け取ると、大きく目を見開く。


「これは……呪符です!」

「呪符とはなんだ?!」


 ヘイデリクはマリから呪符を剥がしながら彼に訊ねた。


「村には長老になった者のみが使える、呪術と呼ばれるものがあります。聞いた話によると、呪術自体は長老しか使用できませんが……この呪符があれば長老でなくても、力を使う事ができる……と言われています。ちなみに呪術を解術できるのは術者のみ……これを知っているのは、年寄衆だけです」


 セイキは簡単に呪符を剥がしていくヘイデリクを見て、術は解術できないが呪符なら剥がせるのだろうと考える。そしてヘイデリクの手伝いをしたい、とマリの身体に貼られている呪符に手を差し出した。しかし触れるか触れないかのところで、彼は何かに弾き飛ばされたような……そんな痛みを感じる。

 呪符も人には剥がせないようだ。きっとこれも呪符を使用した者の手ではないと剥がせないのだろう。だが、何故ヘイデリクは呪符を剥がせているのか……セイキは首を傾げた。


「ヘイデリク殿、痛みはないのですか?」

「ああ、何も感じない」


 驚愕の表情でセイキが見ている間に、ヘイデリクは呪符を全てを剥がし終えた。その瞬間マリの身体を縛っていた黒いもやはなくなり、マリは手を動かして自分の身体を見つめた後、ヘイデリクへと抱きつく。


「マリ、良かった……」


 二人が抱き合っていると、部屋と大浴場を確認していたイーサンが戻ってくる。その瞳には憤怒の色が宿っていた。


「イーサン、いたか?」

「……いない」

「コトハ様がいなくなったのですか?!」


 セイキも驚いている、という事はこの男の知らないところで、事が動いているのだと判断した。そしてきっとマリなら彼女がどこに連れて行かれたのか、分かるだろう……そう考える。


「マリさん、コトハはどこへ?」


 マリは口をパクパクと開いたり閉じたりするが、声が聞こえない。イーサンとヘイデリクはその異様な状況に顔を見合わせた。この事はヘイデリクの逆鱗に触れたらしく、彼の目にも怒気が込められている。


「マリ……声が出ないのか?」


 地を這うような恐ろしい声でマリに聞く。実際隣にいたセイキは恐ろしさから肩を震わせていたが、彼にその矛先が全て向いていない事だけは幸いだった。マリは悲しそうな表情で首を縦に振る。


「わ、私は一度何か書けるものを持ってきます!」


 セイキは力が抜けそうになる身体を叱責して、立ちあがろうとする。しかしヘイデリクの気に当てられて、足に力が入らない。彼は少しでもマリの様子を見て、力になれるよう声を上げた。


「これも呪術でしょう。以前読んだ文献によると、犯罪者の中には声を奪われた者がいるとの記述がありました!」

「なんだと?」


 ヘイデリクの憤怒はたまる一方だ。マリが宥めているが、それも効かないほど。セイキは血の気が引いていき、今にも倒れそうだ。そんな時。


「ヘイデリク。マリさんに触れてもいいか?」

「……何か考えがあるのか?」


 イーサンの唐突な言葉に、ヘイデリクは眉間に深く皺を寄せながら訊ねた。イーサンは考えもなしに他人の番に触れる、という愚行を犯す男ではない。頷いたイーサンに、ヘイデリクは「分かった」と告げた。


 イーサンは首飾りに付いているほんのり熱を持った蒼玉を首から外す。そしてそれをマリの喉元へと移動させた。彼女の首に蒼玉が触れるか触れないか……そんな距離まで近づいた時、マリの首に黒いもやが現れる。それは先程までマリの身体を縛っていたモノと酷似していた。現れた靄はマリの首を覆っていた。まるで首輪のように。

 イーサンはそれと蒼玉を触れさせた。すると首輪のような靄はガラスが割れるような音を立てて消えていく。それと同時に蒼玉の温かさも消えていった。


「これで、どうだ?」

「……あ、こ、声が! イーサン様、ありがとうございます」

「助かった、イーサン」


 マリの頬に涙が伝う。ヘイデリクは思わず彼女を抱きしめた。


「……呪術はかけた本人しか解術できないはずですが……イーサン殿、何故……?」

「……何となく、できると思っただけだ」


 目を見開いているセイキに、イーサンが言葉を濁したその時。


「それよりもイーサン様! コトハさんが連れ去られてしまったの……! ごめんなさい、私が無力で!」


 泣きながら告げるマリに、イーサンは激昂を抑えながらも呟いた。


「奥の手が何かしらあると考えていたにもかかわらず、気を抜いていた俺が悪い。それよりもコトハがどこに連れて行かれたのか、分かるか?」

「分かるわ! の集落を覚えてる? あそこの屋敷よ! 以前アカネさんが言っていたでしょう? ……コトハさんをこの村に縛りつけるため、今から結婚式をする可能性が高いわ!」


 その言葉にいち早く反応したのが、セイキである。


「イーサン殿! 星彩神様の前で三献さんこんの儀が終わってしまうと、夫婦として見なされてしまいます! それまでに助けなければ――!」


 イーサンは無言で部屋を出る。その瞳には怒りを湛えていた。その瞳を見て体がすくんで動けなかったセイキだったが、我に返って庭に出たイーサンを追いかける。だが、そこにいたのは得体の知れない見た事もない化け物がいた。


『俺は先に行く』


 発せられた言葉から、目の前にいる化け物がイーサンだという事にセイキは気づく。同時にヘイデリクも光で包まれ……色は違うが似たような姿の化け物へと変化した。

 マリはヘイデリクの背に乗る。


「ま、待ってください! 私も連れて行ってください!」


 震える声を上げるセイキに、イーサンはじろりと睨みつけた。


『お前が行って役に立つのか?』

「私は式について知っております! 何かしらの助言はできるかと! それに私はあの時、長老の判断はおかしいと思いながら、コトハ様を助ける事ができなかった……それでも村を浄化してくれた彼女に、今こそ報いたい!」

『分かった、早く乗れ』

「ありがとうございます!」


 イーサンの上にセイキが乗り、一行は弐の集落へ向けて飛び立った。



「きっと長老様が行おうとしているのは、婚姻の儀でしょう」


 セイキの案内で弐の集落へと向かっている一行。最初は高さに怯えていたセイキであったが、次第に慣れたのかイーサンに向けて話し始めた。すぐに落ち着きを取り戻したので、彼は度胸もあるのだろう。


『婚姻の儀? 結婚とは違うのか?』

「ええ。婚姻の儀は2人の婚姻成立を神に認めていただく儀式なのです。結婚の儀も同様なのですが……婚姻の儀は結婚の儀よりも儀式が簡素化されております」


 彼の話によれば、以前から次期長老が結婚する際にはそのような方法が取られていたらしい。まずは長老と年寄衆が立ち会い簡素な婚姻の儀で婚姻を成立させる、その後村人を集めて盛大な結婚の儀を催すのだとか。


「結婚の儀は村人へのお披露目の意味もあるので、盛大に行います。婚姻の儀には長老と信頼のおける年寄衆のみが出席しますが、結婚の儀では長老、年寄衆だけではなく……集落のまとめ役の者たちも参加したりと、規模が大きくなるのです。予想では、長老様と側近の年寄衆が婚姻の儀を見届けると思われます」

『そう言えば、先程三献さんこんの儀と言っていたが、それはなんだ?』

三献さんこんの儀――新郎と新婦でお神酒を交互に飲み交わした後、星彩神様の前で接吻を行う儀式の事です。それを以って星彩神様に夫婦となった事を認められた、と判断されます。特に次期長老との婚姻に関しては、三献さんこんの儀を終えてしまえば生涯離縁ができなくなります。それは神の力によって……と以前長老が仰っていましたが、もしかしたら呪術の力かもしれません。一度長老と離縁しようとした者がいたようですが、その者は命を落としたと言われております」

『星彩神様の力であろうと、呪術であろうと、三献さんこんの儀の前に止めた方が良さそうだな』


 イーサンが告げると、セイキはそれに同意するように首を縦に振る。


「暗部がいる可能性もあります、皆さん、お気をつけて下さい」

『ありがとう。セイキ殿も気をつけよ』


 イーサンの言葉にセイキは息を呑んだ。


「……イーサン殿のご武運を祈っております」

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