コトハたちと別れたアカネとジェフは、昨日案内された離れに戻っていた。ここでの彼らの役割は、情報を掴む事だ。
ジェフとしてはアカネが冤罪である事を証明したいと考えている。周囲に人の気配はない。長老直属の暗部が何人いるか分からないが、アカネとジェフをそれほど重要視していないのかもしれない、とジェフは思った。
最初は二人で話していたが、途中からアカネがソワソワと落ち着かない。
「アカネ、どうしたの?」
「ああ、えっとね、ジェフ……ちょっと掃除したくなってね……」
この離れはあまり使われていない場所なのか、所々にうっすらと埃が積もっていた。アカネは使用人時代、コトハの側仕え以外では掃除をよく任されていたらしい。そのため、少々の埃でも気になってしまうのだとか。
ジェフ自身はそこまで汚れが気になるわけではないが、なんとなく長老から見た一行の扱いが分かる。帝国でも王国でも、神子の宿泊部屋は使用人が一生懸命掃除をしているところをジェフは見ていた。先程の長老の様子も相まって、巫女姫の扱いが良くないのだなと判断した。
「まあ、掃除するくらいならいいと思うけど……掃除用具はこの部屋になさそうだね。僕が頼んでみよう」
「え、でも……」
「僕としてはあの……ウメ、だっけ? あの女の視線に晒したくないんだよね。それにアカネの頼みなら、僕は何でも叶えてあげたいって思うから」
「ジェフ……」
熱が籠った目で見られたアカネは、ポッと頬を染める。そんな彼女が可愛らしくて、ジェフは満面の笑みをたたえた。
「じゃあちょっと待っていてね?」
ニコリと微笑んだ後、ジェフは襖を開けて去っていった。
その後近くにいた態度の悪い使用人を威圧……もとい、頼んで掃除用具を受け取ったジェフ。使用人に片付けは自分でするように、と頼まれたジェフはそれを了承した。その後離れへと戻った彼は箒を使い落ち葉を集め、アカネは雑巾で部屋の中と廊下を綺麗に掃除していく。
掃除自体は昼前に終え一息ついていたところに、ウメが食事を運んできた。しかしジェフはそれを拒否する。昨晩はセイキも共に食事をしたので、そこまで心配する事は無かったが……食事に薬を盛られているかもしれない。
そう警戒しているジェフに、ウメは「安心して下さい」と宥める。
彼女はジェフに近づき、彼の腕へとそっと触れる。細めではあるが、筋肉がついていて鍛え上げられた体躯である事は理解できた。思わぬ収穫にウメの頬は赤らみ、豊満な身体を押し付けるように腕を組む。そして彼女は少し背伸びしてから、自分の口をジェフの耳へと近づけた。
「毒などは入っておりませんので、ご安心ください。それよりも貴方、素敵なお方ですわね。あんな子どもではなく、私にいたしませんこと?」
ここに来てウメはやっとジェフの姿をしっかり捉えていた。まだあどけなく人当たりの良さそうな若い男。顔も良い。
なぜ罪人であるアカネと共にいるのかは分からないが、彼女には勿体無い男である。
自分の色気を使ってこの男をモノにしようと、更に腕を絡めようとしたところ、肩に衝撃が走る。自分の身に何が起きたかを理解できず、ウメは呆然とするしかない。彼女が解るのは……ジェフが絶対零度の視線で彼女を見ていること。
しばらくして、ウメはジェフに突き飛ばされたのだと気づく。顔を真っ赤にして震えている彼女をよそに、ジェフは嫌そうな表情でウメに触られた所を手で払う。そして一言。
「気持ち悪い」
ウメは相手の言葉に目を見開く。聞き間違いだろうと判断したウメは、キッとアカネを睨みつけた。きっとこの男がウメを好きにならないのは、アカネが何か吹き込んだせいだろうと。こんなオドオドとした娘が、格好いい男性に好かれるはずないのだから。
「アカネ! お前ってやつは....!」
奥にいるアカネに憤怒の形相で掴み掛かろうとしたウメだったが、いつの間にか視界いっぱいに広がる畳。ウメは気づいていないが、ジェフに組み伏せられていた。
「僕の番……いや、大切な人を傷つけようとするなんて……お前は馬鹿なのか?」
ジェフに組み伏せられたウメの顔色は悪い。それもそのはず。ウメの態度に怒りを抱いているジェフの圧が強かったからだ。彼は軍人。本職に素人が敵うわけがない。
膠着状態が続く。だがそれも終わりが来た。アカネが声を上げたのだ。
「ね、ねぇジェフ、そろそろ離してあげて」
「どうしてだ? この女はアカネに危害を加えようとしたのだが……」
「ウメさんも仕事があるでしょ? ただでさえ人が足りないのに……お屋敷の他の人が大変になっちゃうじゃない」
「……アカネがそう言うなら」
そう言ってジェフは手を離す。ウメは掴まれていた手をさすりながら、ジェフを睨みつける。だが、更にぎろりと鋭い視線を送られて……ウメは顔面蒼白になり怯えながら去って行った。ジェフは腕を組みながら、鼻を鳴らす。
「村には性悪な者しかいないのか?」
その呟きは幸いアカネには聞こえていなかったらしい。それを確認したジェフは、彼女を見て笑みをたたえた。
「アカネは優しいね。辛かったら言っていいんだよ? 僕が敵をぶん殴るからね!」
まるで子どものように無邪気に言っているが、言葉は物騒だ。アカネは焦ってジェフの手を両手で握りしめた。
「ち……ちょっと待って! ジェフも危ない事はしないで欲しいの! 私、ジェフが心配なんだもの……」
そう告げられたジェフは、アカネに手を握られている事実と彼女の言葉を頭で
「え、あ、どうしたの……? ジェフ?」
「……僕は君を、命をかけて守るからね……?」
「あ、あれ? ジェフ、命はかけなくていいんだよ……?」
そんな押し問答が少しの間続いた。
アカネから「食事を……」と言われたジェフは食事を取る。幸い彼が危惧した事は起こらなかったので、食器を片付けに行った二人。食事後に軽く掃除をした後、二人は掃除用具を片付けに向かう。
「あ、あれぇ……?」
アカネは困惑した。何故なら、離れから一番近い掃除用具置き場には既に掃除用具が置かれていたからだ。
「ジェフ、ここから取ったって言ってたよね?」
「うん、間違い無いよ」
アカネたちが掃除用具の前で話していると、ウメが後ろでニヤニヤとこちらを見ている。ウメの嫌がらせだ。
持っている掃除用具をこの場所に片付けてもいいのだが、他の置き場に空きが出るという事。それは屋敷の使用人が大変だろうと判断した彼女は、他の掃除用具置き場へと向かう。
結局屋敷内にあるもうひとつの掃除用具置き場にも空きがなかったため、二人は外にあるという掃除用具置き場へと向かう。
外にある掃除用具置き場は離れから西側へと歩いて行った場所にあるらしい。歩いていくと池が見えてくる。そのほとりに小屋があった。
「あ、あの小屋が外の掃除用具置き場なの!」
アカネが歩いて小屋へ向かうので、ジェフも後ろから付いていく。二人は小屋の中に入り、掃除用具を置く。すると、どこからか小さくパチリと音がしたような気がした。アカネたちが周囲を見回してみると、一番奥に床下扉のようなものが目に入る。
「アカネ、あれは何だろうね……あれ、アカネ?」
反応のないアカネにジェフは彼女の方を見る。するとアカネは何かしらを考えているようだ。ジェフはもう一度彼女の名前を呼ぶと、アカネはハッとして彼の顔を見る。
「あ、ごめんね……以前投獄される前にこの扉を見たような気がしたの」
「そうなの? 何があるか知ってる?」
「えっと、知らないわ。その時は……誰かに呼ばれて慌てて外に出たはずだから」
ジェフは扉を開ける。するとそこには人一人入りそうな穴が空いていた。その穴は奥へと続いている。「怪しい」そう思ったジェフは一旦周囲に誰もいない事を確認してから、アカネに許可を得て穴へと飛び降りた。
穴の先を見ると、ぼんやりと何かが光っている。ジェフは備え付けられていたハシゴを見つけて、アカネにも入るよう声を上げようとしたその時――。
「きゃっ!」
アカネの叫び声が上がる。ジェフが穴から顔を出し声の方へと顔を向けると、地面に組み伏せられているアカネと、彼女を拘束している黒装束の男だった。「痛……」と思わず呟いたアカネ。その言葉にジェフは激昂する。
「お前……!」
だが、相手も村の手練である。残念ながら威圧だけでは怯まないらしい。ジェフがは男に掴み掛かろうと穴の外へと出るが、男は冷静にそれを止めた。
「この娘がどうなってもいいのか?」
その言葉はジェフに冷や水を浴びせた。目の前のアカネは黒い刃物らしきものを首に当てられているのだ。
「言っておくが、これは偽物では無い」
黒装束の男は、アカネの横へと黒い刃物を突き立てる。すると、はらりと彼女の髪の毛が数本切られてしまう。ジェフはそれを見て両手を上げる。その時ジェフはアカネと視線が合う。彼女の目には力強い何かが宿っていた。ジェフが彼女に向けて首を縦に振ると、アカネも少し微笑んだ。
二人のやり取りを知ってか知らでか、アカネを拘束している男が告げる。
「お前たち二人には目隠しをしてもらう」
するとジェフの後ろに誰かが立ち、彼の目を布で覆う。その後アカネも目を隠され、二人はどこかへと連れて行かれた。