コトハの意識が戻ると、目の前に見えたのは
よくよく言葉を聞いてみれば
コトハは隣にいるのがズオウだと気づき、離れようと一歩足を踏み出そうとした。しかし、身体が思うように動かない。首や手足の末端は動かせる。だが、太ももや腕や身体部分は、何かに縫い付けられているかのように……固まったままだった。
祝詞を終えた長老は
「無駄だ。『頭を下げろ』」
その瞬間、コトハの身体は長老の言葉通りに動いていく。まるで自分の身体なのに自分のものでは無いような感覚だ。祓串でのお祓いが終わり、コトハが顔を上げると、そこには冷ややかな笑みで彼女を見ている長老がいた。
「お前の護衛も大した事ないなぁ。随分と簡単に攫われた……はっはっは!」
目の前で嘲笑する長老を見て、彼女は眉間に皺を寄せる。その時ふと思う。あの醜悪な笑みを見て、
「長老様! これはどういう事ですか?!」
ズオウの表情は一言で言うと不気味だった。目の焦点は合っていない上、彼は小さい声で「巫女姫と結婚するのが自分の使命……」と何度も繰り返し呟いている。
後ろをチラリと見ると、長老が重用している側近である年寄衆の一人が座っていたが、彼は正気のようだ。コトハが睨みつけると、長老は告げた。
「それは勿論、村の掟通りに巫女姫と次期長老が結婚する必要があるからなぁ。巫女姫、お前が万が一にもこの村から出て行かないようにと対策しただけだが? 婚姻の儀も……神主と見届け役が一人いれば、成り立つのだからな。楽なものよ」
「ええ、ええ。こんな素敵な式に呼んでいただき……私、身に余る光栄です」
側近の男は嬉々としていて楽しそうな声色で話し出す。悪意も全くない、ただただこの状況が楽しいとでも言わんばかりの男に、コトハの背筋はゾッとする。だが、それ以外にも彼女は聞かなくてはならない事があった。
「次期長老様の様子がおかしいのは……どうしてですか?」
こんな話をしているにもかかわらず、ズオウはずっと同じ言葉を繰り返している。コトハの言葉を聞いて、長老は大笑いして告げた。
「この愚息は『巫女姫を攫うのは良くない』と私に反論したのだよ。はっ、こいつは巫女姫を村に留めるための駒でしかない癖に、私に楯突くなんて百年早い。だから操り人形になってもらったまでよ」
「本当におっしゃる通りで……長老様のお力で、本当の駒になっていただいたのです」
「力?」
「呪術ですよ」
側近の男もこの事を知っているらしい。眉間に皺を寄せたコトハを気にする事もなく、長老は話を続けた。
「素晴らしいだろう? 洗脳だ」
「洗脳……?!」
「呪術の中には、このように人を操る事ができるものもあるのだよ。まあ、少し強くかけすぎたかもしれないがなぁ……今までも幼い頃から少しずつ続けてきたが、この数日間でそれが少し解けてきていたのだ……」
長老はコトハをぎろり、と睨んだ。
「お前のせいだろう?」
そう言えば、
「そのせいで
「もしかして、早朝彼が誰かと話していたのは……!」
「おお、気づいていたのか。そうだ、あれは術を掛け直したのだよ。私が作成した呪符を持っていれば、暗部でも呪術は使える」
まさかの話にコトハは呆然とする。
「まあ元々若様は長老様を敬愛している上に、性根が素直な事も相まって効きが良かったので、強いモノをかけてはいなかったからでしょうねぇ……それが仇となったのでしょう。それよりも長老様、儀式を続けましょう」
「そうだな。早く終わらせなくてはな」
そう告げた長老は、神棚へと向き直り
コトハは祝詞奏上の間、自分の身体が何故動かないのかを把握するため、身体を動かそうと努力した。後ろで側近の男が「無駄な抵抗をぉ」と呟いている。彼の言葉も無視し、コトハはその原因を解明しようとした。
彼女が指先を動かそうとした時、ふと黒い
しかし指輪は動かしても取れる気配がない。まるでコトハの薬指に
「おや、優秀な巫女姫様ですねぇ。もう仕組みに気がつかれたのですね。ですが、貴女がそれを外すのは難しいですよ」
ゴソゴソと動いていたからか、側近はコトハの動きが何を示すのか理解したようだ。手詰まりになったコトハは、一縷の望みをかけて祈りを捧げる。祈りを捧げたため周囲は光輝くが、コトハの拘束が解かれる事はなかった。
後ろで側近は「ふふふ」と笑っている。
「残念ですが、呪具を使用した長老様の呪術は貴女では解けませんよぉ、残念でしたねぇ」
「その指輪は特別製だからな。長老の血筋である私かズオウしか外せないのだ」
「そんな……!」
だが、無情にも祝詞奏上が終わり、目の前に運ばれたのは三つの盃であった。三献の儀の始まりである。まず大・中・小の盃で、各三杯ずつ交互に飲み交わすのだ。この儀式には、新郎と新婦が堅く結ばれるという意味が込められており、最後の接吻によって絆を強固にする目的がある。
巫女装束を着たウメが現れ、ズオウの目の前に置かれている小さな盃に酒が注がれる。ズオウは盃を持ち上げた後、三回目でそれを飲み干す。この儀式を進めたくないコトハであったが、まだ身体の自由が効かない。頭の中で対策を考えていたコトハだったが、ふと隣のズオウから呟きが聞こえなくなった事に気づいた。
だが、目は虚ろなのだ。今も支配下に置かれているのだろうと判断する。
最後の大きな盃を飲み終えた二人。コトハとズオウは長老の命令で向かい合わせに見つめ合う。盃を利用して外せないか、強い浄化の力でどうにかできないか、などと色々と試してみたが、どれも効果がなかった。
イーサンが気がついてくれる事を祈りつつ、少しでも抵抗しようと強い意志を抱くコトハ。その時、偶然ではあるが目の前のズオウと視線が交わる。その交わった一瞬、彼の瞳に力が入ったように思えたが、すぐに虚ろな表情に戻ってしまった。
「さて、これからの五ッ村の発展のために……これからも道具として使ってやろう!」
長老のその言葉と同時に、ズオウはコトハの両腕を握った。ズオウとコトハの顔の距離がどんどん近づいてくる。コトハは必死に接吻を受けないように顔を逸らす。
「残念ですねぇ。接吻は口同士でなくても成立しますよぉ〜」
最後まで足掻くコトハを楽しそうに見つめる長老と側近。そしてコトハが接吻をされる、と最後の抵抗と言わんばかりにズオウを睨みつけた瞬間――。