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第84話 婚姻の儀 後編

 スポン、と左手の指から何かが抜ける感覚があった。あの位置にあったのは指輪である。その勢いで手がほんの少し持ち上がる。先程まで拘束されていたのが嘘のように身体が軽い。

 驚きからズオウへと視線を送ると、目の前にいる彼は先程のように虚ろな目をしていない。その瞳には光が宿っており、手には先程までコトハの手に嵌っていた呪具である指輪があった。二人の目が合うのと、ズオウが叫んだのは同時だった。


「逃げろ!」

「動くな!」


 長老も叫ぶ。コトハはその瞬間我に返り、後ろにある非常口へと駆け出した。後ろにいた側近が目を見開く。


「おやおや、若様。呪術が解けていますねぇ……」


 繁々しげしげと物珍しそうに見つめる側近。ズオウに掛けられた呪術が中途半端に掛かっているため、先程の長老の言葉で動きが制限されてしまい、彼はその場から動けない。

 その間にコトハは非常口の引手に手をかけるが、彼女の背中に長老から声を掛けられる。次の言葉で彼女の行動は止まった。


「待て! 後ろを見てみろ! あの娘がどうなっても良いのか?!」


 コトハが後ろを振り向くと、丁度反対側の扉に刃物を持った黒装束の男とアカネがいる。アカネは気絶しているのか、ぐったりとしていた。驚きで目を見開くコトハの様子を見て、長老と側近は満足げに頷く。

 すぐに引手から手を離し、長老たちの方へと身体を向けたコトハ。そんな彼女の行動にご満悦な長老はすぐにコトハから視線を外し、ズオウを睨みつける。息子を見るその表情は、家族とは思えない……虫ケラを見るような顔だった。


「お前……! 長老である私に逆らうのか?!」


 長老はズオウの顔を手で掴み力を入れている。そして彼の手にうっすらと黒いもやのようなものが見えた。あれが呪術を使用する際に使う力なのだろう。


「うああぁぁ!」


 呪術を掛け終わったのか、長老がズオウの顔から手を離すと、彼の瞳は虚ろなものに戻っていた。


「はん、これで手を煩わせることもないだろう……巫女姫! こっちへ来い! あの娘がどうなってもいいのか?!」


 長老と側近の二人は、嘲笑しながらコトハを見つめていた。万策尽きたコトハは怪しまれない程度に時間をかけて少しずつズオウたちの元へ歩いていく。だが、そんな抵抗も相手からすれば分かっているのか、ニマニマと下品な笑いを引き出しただけだった。


 目に光がないズオウの前に少し離れて立つコトハ。そんな彼女に近づいたのは、側近であった。


「長老様、僭越ながら……私めがこの指輪を巫女姫様に嵌めさせていただきますねぇ」

「ああ、頼んだぞ」


 側近に手を取られまいとするコトハの苦し紛れの抵抗を見て、側近は笑いを堪えられないようだ。


「無駄な足掻きはよしなさいよぉ? 貴女は本当の駒となるのですから……」


 そう告げて彼はコトハの手を見る。だからその時、彼女が目を見開いていた事に気づかなかった。側近がコトハの手を掴んだ瞬間――何かがどしん、と崩れ落ちる音があたりに響き渡る。


「なんだ?!」


 音に驚いたのは長老だけではなく、側近もだった。後ろへと思わず振り返った彼の隙を見て、コトハは指輪をひったくり、先程こっそり緩めておいた上衣を脱ぎ捨てる。手を掴まれて指輪を嵌めようとした時点で、彼女は抵抗するつもりだったのだから。

 そして身軽になった彼女は、天井が落ちたところへと走り出す。


「待て!」

「誰が待つものですか!」


 コトハの行動に長老が声を上げる。そして彼はズオウへと視線を送った。


「ズオウ! あの娘を連れ戻してこい! 後はアカネを……?!」


 長老はズオウに命令した後、アカネへと顔を向ける。しかし、彼女のいた場所を見て目を剥いた。先程までアカネを捕らえていたはずの黒装束の男は、床で伸びていたからだ。その男の頬には殴られた痕が。代わりにアカネのそばに居たのは、人だった。


 ――そう、ジェフである。

 先程コトハの目に映ったのは、黒装束の男を殴り飛ばした黒装束の男。ジェフがアカネを取り返した瞬間だったのだ。


「何故お前がここに!」

「え、それは勿論、アカネを助けにきたんだよ?」


 お姫様抱っこで軽々と彼女を抱えているジェフに、長老は呆然とする。二人を牢へと入れた後、暗部の一人に人質として連れてくるように伝えたはずだ。その際、邪魔が入らないようにとジェフには睡眠薬入りの水を飲ませている。暗部の者からも、「捕らえた男は寝ております」と報告があったはずだ。


「いや、お前は牢へと閉じ込めていたはずだろう?!」

「まあ少し苦戦したけど、なんとか出る事ができたかな〜」

「おやあ、貴方にそんな力があるとは思いませんでしたが……」


 側近はこの状況を面白がっているが、行動に移すつもりはなさそうだ。そんな彼を見て長老は、側近に苛立ちながらも唾を飛ばしながら叫んだ。


「それよりも! 巫女姫は……!」


 視線を動かしていた長老の目に入ってきたのは、穴が空いた天井の下に立っている者たちだった。コトハはイーサンの腕に抱かれており、イーサンは二人を睨みつけている。ちなみにズオウはイーサンに殴られたため、床へと倒れていた。

 長老は肩を振るわせ、側近は細い目を開いて彼女たちを見つめる。その表情の不気味な事。


「誰か! あの男を殺せ!」


 長老がそう叫ぶも、イーサンへ飛びかかる者はいない。


「何故……おい! 誰かいないのか!」


 長老は何度もわめき立てる。すると誰から入り口の扉を開ける音がした。


「来たか……! 全く使えない奴らだ……!?」


 そう吐き捨てた長老だったが、入ってきた男を見て目を疑った。そこに入ってきたのはヘイデリクとマリだ。二人とも右肩に何か黒いモノを抱えている。


「呼んでいるのはコイツらか?」


 長老の声に反応したのは、ヘイデリク。彼はイーサンの横へと並ぶと、肩に担いでいたモノを放り投げた。


「……! なんだと……!」

「おや、暗部の親玉を……後ろのお嬢さんも大の男一人を軽々と持ち上げるなんて……驚きましたねぇ」

「外にいる奴らも縛っておいた」


 ヘイデリクが後ろを指す。すると確かに黒い服を着た者たちの山ができていた。長老が呆気に取られている間に、イーサンはヘイデリクにコトハを託す。そして――。

 目にも留まらぬ速さでイーサンは近くにいた側近へと殴りかかる。側近の右頬に会心の一撃を叩き込むと、彼は殴られた拍子に身体が浮き上がった。それと同時に、後ろでは長老の身体が浮き上がっている。ジェフが長老へと殴りかかったらしい。


「イーサン様! 機会が来たので殴りました!」

「ああ。助かった」


 殴られた事で気絶した二人は、イーサンとジェフがマリによって渡された縄で拘束された。天井の落ちた音で村人が起きたのか、外が騒々しくなっている。外で待機していたセイキが、事態を収集しようと声を張り上げているようだ。室内にいる者たちは、長老たちを縄で縛り付けながら軽口を叩き合う。


「イーサン様! 天井を落とすのはやりすぎだと思うんっすけど?」

「非常事態だ……それよりもジェフ、まだ気配察知が苦手なのか? 訓練しておけよ?」

「うう、イーサン様。痛いところついてくるなぁ……」

「アカネ嬢にこれ以上怖い思いをさせるな。強くなれ」


 イーサンの言葉はまるで自分自身にも言い聞かせているようだった。


「……はい」


 シュンとするジェフと、眉間に皺を寄せるイーサン。話しながらも二人は、長老と側近をズオウが倒れているところへと運ぶ。ひと段落終えたと全員が一息ついたところで……扉の外が先程よりも騒々しくなっていた。


「お待ちください! この中に入るのは危険です!」


 セイキの叫び声と共に、の集落の者たちが入ってくる。そしてその惨状を見た者たちは息を呑んだ。


「ああ、これじゃあどう見ても私たちが悪役ね」


 マリの言う通り、長老以下この場にいる村の者ほぼ全員が縄で拘束されているのだ。村人たちから見たら、外部の者が村を攻撃したとしか見えないだろう。


「何故長老様がお縄についているんだ?!」

「この村を乗っ取る気か?!」

「なんで天井に穴が空いてるの?!」


 口々に声を張り上げる村人。一触即発の空気になり、全員がイーサンたちと事を構えようとしていた。その状態を回避すべく、コトハが話をしようと一歩前に出ようとした、その時。


「待て。俺が話をしよう」


 そう声を上げたのは、ズオウだった。


 「ズオウ様!」


 村人たちが口々に彼の名を呼ぶ。彼の口には血がついており、ズオウはそれを乱暴に拭う。その後服についている埃を軽く払ってから大声で伝えた。


「詳しい話は明日行う。だが、この四人は我々に仇をなす者たちではない。彼らは暴走していた長老を止めたのだ。只今を以って私が長老代理としてこの件を預かる! 皆のもの、しばし待て!」

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