コトハは祈りを捧げて立ち上がる。すると、後ろから声をかけられた。「コトハ」と呼ぶのは一人しかいない。彼女は嬉しそうに微笑みながら振り向いた。
「イーサン、どうしてここが?」
「ああ、アカネ嬢から聞いて……」
「そうだったんだ!」
少々バツの悪そうな表情でこちらを見ているイーサンにコトハは首を傾げる。そんな仕草に気がついたイーサンは、慌てて先程の舞の話を話題に出した。
「観覧席で見ていたが、コトハの踊る舞は綺麗だった。太陽の光を浴びた冠と鈴が輝き、コトハをより一層神秘的に魅せていたな。ワルツを踊っていた時のコトハも美しかったが、巫女の舞を踊るコトハは生き生きしていて楽しそうで……今までに見たことのないほど、可憐で優雅だった……」
イーサンの口から賞賛を浴び、コトハは途中から頬を真っ赤に染めて話を聞く。だがあまりにも続く賛美の言葉に、コトハは限界寸前だった。そのため、彼が一呼吸置いた瞬間に彼女はイーサンへと話しかけた。
「イーサンはこの後、少し時間ある?」
了承したイーサンを連れて、コトハはみくまりの泉のほとりを歩いていく。すると奥へと続く細い道がある事にイーサンは気づいた。泉に建てられている祠とちょうど重なる位置にあるようで、正面からは見えなかったようだ。
人一人がやっと通れるような獣道を二人は歩いていく。最初はたまに木の根があるくらいで平坦な道だったが、途中から短い丸太を埋め込んで作られた階段が現れる。
木々で囲まれた階段をどれだけ登っただろうか。
イーサンがコトハに声を掛けようとしたその時、彼女の足が止まる。そして彼女が横に退いた瞬間、強い光を感じた。イーサンは思わず目を手で覆い、階段を全て登り終える。見えたのは、今にも沈もうとしている夕日だった。
「ここは、巫女姫たちが眠る場所。初代巫女姫様の遺言である『村が一望できる場所に眠りたい』……その願いを叶えるため、この場所に墓標を建てたの。歴代巫女姫が管理して亡くなった際には、その方が生前よく身につけていた物をひとつここに埋めているらしいの」
「そんなところに俺が来て良かったのか?」
「ええ。ここは誰でも来ていいところだから」
そう告げた後、コトハは目の前にある小さな石碑の前で祈りを捧げる。これが歴代巫女姫の墓標なのだろうと判断したイーサンも手を合わせた。彼女の後ろで彼も黙祷していると、前で祈っているコトハの声が聞こえる。
「巫女姫の皆様、今代巫女姫、コトハです。この度……私は巫女姫としての役目を終わらせ、神子として帝国で生きていく事にいたしました」
彼女は懐から割れた蒼玉の欠片と首飾りを取り出す。イーサンは思わず声を出していた。
「それは……」
「母の形見の欠片。けじめとしてこれを埋めようと思って……。巫女姫の皆様は途中で役目を放棄する私を、許してくれるかしら……」
そう言って目に涙を溜めるコトハの肩をイーサンは優しく抱く。表に出していないからイーサンも気づいていなかったが、責任感の強いコトハが巫女姫を降りる、この事について何も考えていないはずがない。
そんな彼女の気持ちに気づかなかったイーサンは、顔を歪める。
今までは村を助ける、という事で頭がいっぱいだったのだろう。それが落ち着き、改めて選択を突きつけられた彼女はきっと辛かったはずだ。震える彼女に言葉を掛けようとしたイーサンだったが、その前に墓標の周囲が光り輝く。
二人が呆然とその光景を見ていると、光の中から現れたのはコトハに似た黒髪を持ち、彼女のように微笑む女性。彼女は微笑むと、コトハの頬に手を伸ばす。まるで……「貴女は頑張ったわ」と今までの行動を肯定してくれたかのように。
コトハも何かを感じ取ったらしい。彼女に向かって頷くと、その女性は穏やかに微笑んだ。そしてその笑顔を最後に光の粒へと変わり、コトハの周囲を飛び回った後、消えていく。
辺りは既に暗くなっていた。コトハは光の消えた方向をしばらく見ていたが、墓標に向けて手を合わせる。
その瞳に先程まであった悲壮感はなく、決意に満ちた瞳だった。
「ありがとうございます、巫女姫様方。私は神子として……星彩神様、いえ女神アステリア様の力をお借りして、皆さんの手助けをしていく事を誓います」
そしてコトハは、母の形見である蒼玉を墓標の前に埋めた。
イーサンは首飾りを埋め終え、祈りを捧げるコトハを後ろで見守っていた。初代巫女姫が望んでいた通り、ここから五ッ村が一望できるようだ。奥に見えるのは
コトハは立ち上がると、墓標の奥へと進む。静かに麓を見下すその姿は、まるで最後に五ッ村の景色を目に焼き付けているようだった。
しばらくしてコトハはイーサンへと振り向く。彼は顔をほころばせている彼女に話しかけた。
「綺麗だな」
「ええ」
「この景色を見る事ができたのは……コトハのお陰だな」
「そんな事ないわ。みんなの力があってこそよ」
「……そうだな」
遠くから太鼓や笛、鈴の音がうっすらと聞こえる。そして楽しそうな笑い声も。コトハが景色と音を楽しんでいると、イーサンがこちらを向いている事に気づく。
コトハとイーサンの視線がぶつかった。
「こう言っては……申し訳ないのだが……帝国を選んでくれて……嬉しかった」
先程の涙を見たからか、少し沈んだ表情でコトハを見つめるイーサン。彼女は彼の右手を両手で包む。いきなり手に触れられて、驚きワタワタしているイーサンに、コトハは話しかけた。
「さっきは……情けないところを見せてごめんなさい。確かに巫女姫の役目を終える事に抵抗はあったけど……それ以上に私は……イーサンと一緒に、帝国へ戻りたいと思ったの」
二人の間を一筋の風が通る。その風はコトハとイーサンの頬を優しく撫でていく。
「私、イーサンに返事をしていなかった事があるでしょう?」
そう言われてイーサンは思い出す。王城のバルコニーで踊った後、言った言葉を。コトハが続きを言おうと口を開こうとするが、彼女の口にイーサンの人差し指が添えられた。
驚いて目を瞬かせるコトハ。
イーサンは人差し指で、コトハの顔にかかっている髪を耳にかける。その瞳は愛おしさであふれていた。
「もう一度……言わせて欲しい。俺はコトハを愛している。ずっと隣に居ても良いだろうか?」
以前はまだ答えられなかった問い。だけど今は自信を持って答えられる。
「……はい。お願いします……!」
コトハは感極まり、イーサンへと抱きついた。
いきなり抱きつかれた彼は最初狼狽える。彼女が自ら飛び込んできたからだろう、行き場のなかった両手を彼女の頭と背に優しく添えた。
幾許かお互いの温もりを感じていた二人。
その温もりに背を押されたコトハは、一旦イーサンから身体を離して彼を見つめる。コトハと触れ合えた事に幸福を感じていたイーサンは、彼女がじっと自分を見ている事に気づく。イーサンは自分の緩み切った表情を彼女に見られていた恥ずかしさから、頬を染めた。
そんな照れている表情を誤魔化そうとしたのか、彼は「そうだ」と言って、上着の内側にある胸ポケットから何かを取り出す。
「これをコトハに」
その言葉と同時に彼女の首に何かが掛けられる。それを手に取ったコトハは……目を丸くした。手の中にあった物は、先程地面に埋めた蒼玉の首飾りと似たような装飾の首飾りだったのだ。勿論、宝石は蒼玉である。
「これは……」
「
そう告げて照れている彼の表情を、コトハは可愛いと思った。そしてそんな緩んだ彼の表情をもっと見たい、と思うのは欲張りだろうか。
「イーサン、私もあなたの隣にずっといさせてください」
「え……」
意表を突いた言葉だったらしい。最初は鳩が豆鉄砲を喰らったような表情をしていたイーサン。次第に耳まで真っ赤に染まっていく。彼は真っ赤に染まった頬を隠すように、コトハを抱きしめた。そして……。
「ああ、まずは一緒に帰ろう……帝国へ」
「……はい!」
二人の仲睦まじい逢瀬を、空に浮かぶ月だけが照らし続けていた。