キッカが目覚めた日の夜半。彼女は縁側で水を飲みながら、空に輝く星と月を見ていた。その表情は昼間に見せた彼女の表情とは正反対だ。そんな彼女の元に訪れたのは、ズオウだった。彼は「母上」と声をかける。
「あら、ズオウ。眠れないの?」
「いえ、シ……父上の記録を読んでいました」
「そう。あの方の……」
キッカの表情が曇る。やはりあの場では明るく振る舞っていたが、思うところはあるのだろう。シヨウが亡くなっていた事、そして長老ではなく長老代理としてズオウが村を取り仕切っている事……断片的な内容から、この村の現状を察したのかもしれない。
「ねえ、ズオウ。あの方は私が眠りについてから……何をしたのかしら? 貴方が長老代理となっている、と言う事は……あの方は罪を犯した、と言う事なのよね?」
ズオウは彼女の言葉に唇を噛む。既に父親であるシヨウは呪術に呑まれ亡くなっているため、彼女に話すのは怪物を倒した自分の責務だと、ズオウはキッカにポツポツと話し始めた。
全てを聞き終えた後、キッカは「そうだったの……」と呟き、空を見上げる。今宵も満月が美しい。けれども、普段と見る月に比べて物悲しく感じるのは、心が悲鳴をあげているからだろうか。彼女は立ち上がると、水差の横に置いていたお猪口と徳利を、ズオウの横へと持って来た。
そして三つのお猪口に酒を入れ……ひとつは庭へと蒔いた。
「あなた……昔言っていたわよね? ズオウがお酒を飲めるようになったら、三人で一緒に飲もうなって……これが私の餞別よ。あなたの大好きだった……
「それは……確か
「ええ。シヨウはこのお酒が大好きだったの。村の事が大好きだったのよ……」
そう呟いてから、キッカは縁側に座った。
「いつからか、コトハちゃんの扱いも酷くなって……まるで人が変わったように見えたわ。私は昔のシヨウに戻って欲しかっただけなのに……まさか眠りにつかされるなんて思わなかったわね」
「母さん……気づかなくてすまない」
「仕方ないわ。シヨウ様がそんな事をするとは思わないものね」
ズオウの言葉にキッカは首を振った。
そもそもの話、棺の入れ替えなんて普通は思いつかなくて当たり前なのだ。まさか棺がふたつあるなんて、誰も気づかない。「妻と静かにお別れがしたい」と頼んできたシヨウが空の棺と入れ替える。そんな事をしているとは、誰だって思いつかないはずだ。
だから自分はいい。それよりもキッカはズオウの表情が気になった。尋ねれば、彼の顔は曇る。
「……俺も彼女に酷い事をしてしまった……」
「ズオウ……」
ズオウは顔を両手で覆った。
彼はコトハを蔑む言葉を、追放前には何度も放って来たのだ。村を守ってくれていた彼女を見下し、追放した自分を恥じていた。呪術のせいにする事もできるかもしれない。だが一歩立ち止まれば……よく考えてみれば……避けられた可能性もある。
ずっと彼女に対して申し訳ない想いで一杯だった。コトハは謝罪を受け取ってくれたが、自分自身が許せない。そしてその時気づいたのだ。自分が「コトハ」と呼ぶ事なく、彼女の事を「お前」と呼んでいた事に。
今更どんな面をして「コトハ」と呼べば良いのか分からなかった。だから彼はコトハの事を「巫女姫」と呼んでいるのだ。彼女を支えるのは自分でないと自覚しているから。
懺悔する息子の背をキッカは撫でる。
「そうね……過去の言動は変える事ができないわ……。コトハちゃんは許してくれたかもしれない。けれど、貴方はきちんと心の中に留めておきなさい。次にこのような失敗をしないようにね……」
「……母さんの言う通りだな。ありがとう」
素直に頭を下げたズオウに、キッカは微笑む。
「ふふ、これでも長生きしている分年の功はあるのよ? 私も支えるから、一緒に頑張りましょう?」
「ああ……」
二人はお猪口を軽く合わせた後、お酒を飲み干した。
翌日より、ズオウは精力的に働いた。
また、コトハとイーサンには残っていた
そして一週間ほど経った頃。
ズオウは修復した
また、その時にコトハがイーサンたちと共に帰る、という事も村人たちに話したらしい。最初は阿鼻叫喚に包まれたが、宝玉を利用した浄化の方法があると話せば、半数の者たちは「それならば」と納得したらしい。
後の半数は、「そんな事をしなくても、彼女を村に留まらせれば、問題ないではありませんか!」とコトハを説得するようにと主張する者もいた。だが、「自分で説得すればいい」「一度偽巫女姫として追放しているのに?」と冷ややかな目で告げられると勢いを失っていき、最後には宝玉を利用する浄化方法で納得したようだ。
その上でズオウは「すべての事を終えたら、長老代理の地位を降りる」と言ったらしい。最終的にこの村から巫女姫がいなくなったのは自分の責任だから、長老の地位は別の者に渡し、自分は裏方として村に尽くす、と。
まあ、その言葉は満場一致で拒否されたが。
滞在していた離れでその話を聞いたコトハ。彼女が申し訳ない表情をしている事に、キッカは気づく。
「いいのよ、コトハさん。あなたは巫女姫としてこの村でやるべき事はきちんとこなしたわ。それにあなたに頼らない浄化の方法も見つけてくれた……ありがとう、そして私の夫がごめんなさい」
彼女はコトハに頭を下げた後、外へと顔を向ける。まるであの騒動がなかったかのように、穏やかな雰囲気だ。再度コトハの顔を見たキッカは、優しく微笑む。
「あなたが抜ける代償は大きい、それは事実よ。けれどもこのような事を起こしたのだから、村も変わらなくてはならないの。我々は覆水盆に返らず……この言葉を否が応でも村には理解させるわ。後はこちらに任せて、あなたは自分の幸せを求めてちょうだい。今まで私の夫があなたを苦しめた分……あなたは幸せになるべきだと私は思っているの」
「……ありがとうござます……」
コトハの目に涙が溜まる。彼女の言葉に昔の自分が救われたような気がした。涙を拭っていると、首にかけていた蒼玉が目に入る。首飾りが目に入ったのはキッカも同じだったようだ。
「あら、それは……」
「あ、亡くなった母の形見の首飾りだそうです。先の件で割れてしまって……」
首飾りから取れてしまった欠片はアカネがくれた袋の中に入れ、服についている
彼は立ち上がり部屋を出て、しばらくすると手のひらほどの箱を持って戻ってくる。箱をコトハの前に差し出され彼女が首を傾げていると、キッカが「開けてみて」とコトハに告げた。
恐る恐る蓋を持ち上げると、そこに入っていたのは銀色の指輪。中心にひとつ、蒼玉が埋められている簡素なものだ。
「これは……」
「その指輪はシヨウが巫女姫様の両親から没収したものだ。首飾りとは別の場所に隠されていたようだ」
元々首飾りもシヨウが所持していたが、それを知った手癖の悪い使用人によって持ち出されていたらしい。悪事が判明し解雇される前、彼女がたまたま落としてしまい、拾ったのがアカネのようだ。
「これはあなたのお父様の指輪だとシヨウの日記には書かれていたわ。それで探し出したの。こちらもお返しするわ」
「……ありがとうございます」
蓋を閉めた箱を大事に抱え込み、お礼を告げるコトハ。そんな彼女の背を優しくイーサンが撫でる。二人の姿を微笑ましく見ていた彼女は、「あ、そうだ」と元気よく声を上げた。
「転移陣に乗るの、ちょっと待っていてくれないかしら? コトハさんへの感謝を込めて、祭りを行おうと思うの。良かったら、参加してね! それまではここにいて良いから!」
コトハは思わぬ話に驚き、イーサンたちへと顔を向ける。彼らが優しく微笑んでいるのを見て、彼女は「はい!」と笑顔で告げた。