伯父に皇族専用の馬車を貸してもらい、私は気乗りしないまま、キャベンディッシュの屋敷へと戻っていた。どちらにしても一度は戻らなければならない。
「今日は泊まっていくといい」と勧めてくれた伯父を振り切ったのは、どうしても今日しなければならない事があるのだ。
帝都から一時間ほど馬車に揺られてようやく、キャベンディッシュ家の屋敷が見え始めた。周囲には
「すみません、ここで止めて下さい」
私が声をかけると、手綱を引いて
既に空は紫色に染まり薄暗い。馬車の周辺だけは魔導具のランプによって四方を明るく照らしているが、倒れこんでいる男を見つけるのは、本来であれば難しかっただろう。私が運よく見つけられたのは、《審赦の預言書》に「ある
ローワン、教皇、皇帝と死なせたくない人たち。そして石畳に倒れている剣士風の男も、死なれては大いに困る。彼がここで死ねば、回りまわって私のところに面倒ごとが来るのだ。
私は馬車を降りると、倒れている男へと歩み寄った。周囲に敵の気配はないのを確認したのち、男の容態を鑑定する。
うつ伏せで倒れている男の腹部から、血が
「
「……ぐっ」
傷が消えたことで男の呼吸は安定したようだ。私はひとまず彼を屋敷に連れ帰るため、御者に頼んで馬車に運んでもらった。もちろん、彼には
キャベンディッシュの屋敷に戻ったのは、真っ暗な夜になってからだった。
出迎えは使用人のロロだけだったが、私にとってはその方が有難い。すぐさま自室に戻り、重症だった男をベッドに寝かせることには成功した。あとはロロと今後の計画を話するつもりだったのだが……。そう物事はうまくいかないものである。
「お嬢様ぁあああああ。ふぐっ……ふわああん、ううっ……!」
かれこれロロに抱き着かれて、早一時間が経っている。キャベンディッシュ家の自室に戻るなり、彼女はずっとこの調子なのだ。
ロロ。亜人種で、猫人族である。愛らしい猫耳に、黒い尻尾、アーモンドのような大きな瞳に、長い焦茶の髪は
ちなみに私の部屋は、使用人と同じ一階の料理場の近くだ。こじんまりした部屋で、椅子と勉強机、ベッドにクローゼット、本棚が一つ。飾り気もなく、荷物も少ない。もっとも貴重品などは、いつの間にか盗まれているので、大事な物は
今は虚数空間ポケットがあるので、そういったことにも気を使う必要がなくなったことは嬉しいことだ。
(そろそろ泣き止んで欲しいわ……)
私は虚数空間ポケットからハンカチを取り出し、泣き続けるロロの涙を
「ほら、ロロ。もう泣かないで」
「ふぐっ……。だって、お嬢様が無事に帰って来たと思って喜んでいたのに、
男を二人連れ帰った?
一人はベッドで眠っている極東の人間だ。では一人は誰のことだろうか。
御者も帰したはず……。
とりあえず私は否定の言葉を並べる。このままロロの認識を訂正しないと、ベッドの上で眠っている男が殺されかねない。
「ロロ、違うわよ。彼は屋敷の近くで倒れていたから、連れ帰っただけ。ほら母様が良く話してくれていた極東の人でしょう。黒い長い髪に、絹の着物に、太刀という刀もあったもの」
「お嬢様、いいですか。得体の知れない者を簡単に屋敷に上げては駄目です。暗殺者だったらどうするのですか。なによりこの男からは嫌な匂いがします。すぐに殺しましょう、そうしましょう」
「駄目よ!」
私には甘いロロだが、今日はやけに手厳しい。私の奥の手「ロロ、お願い」の
確かに得体のしれない男を助ければ反発されるのも致し方がないが、彼は極東国でかなり身分の高い人だ。そして彼を見殺しにした場合、私に厄介ごとが回ってくる。
極東国は東の果ての島に住む黒髪の一族。彼らの人口はそう多くないのだが、一人一人が
そんな極東の人間、それも彼は国の
ちなみに前回の私は、牢獄でローワンたちの処刑を阻止するため祈っていたので、この男と出会ってすらない。
しかし問題はそこではなく、この身分の高い男は極東を出る時によりにもよって「エルドラド帝国のトリシャ=シグルズ・ガルシアを尋ねる」と呟いていたそうだ。