今日はアンジェリカとヘレナがローズマリーの産んだ子供を連れて、ウォーレン伯爵家へ向かう日だった。
「アンジェリカ様、ヘレナさん……お2人とも、どうぞお元気で」
エルがハンカチで涙を押さえながら別れを惜しんでいた。
「ありがとう、エル。貴女がいてくれたから私は飢えることが無く、美味しい食事をいただくことが出来たわ。本当に感謝してる」
アンジェリカは笑顔でエルにお礼を述べる。
「そんな……私なんかにもったないお言葉です」
「エル、私からもお礼を言わせて。本当にありがとう、それにロキ、クルト。あなた方にも本当にお世話になったわね。今迄ありがとう」
ヘレナが3人を見渡す。
「ロキ、クルト……それにエル。私は皆に迷惑をかけてしまったわ。本当にごめんなさい。そして……ありがとう」
アンジェリカは改めて礼を述べた。
「お礼なんていいですよ。俺たちは当然のことをしたまでですから」
「アンジェリカ様、どうぞお幸せになってくださいね」
ロキとクルトが交互に言う。
「ええ、ありがとう。大丈夫よ、ちゃんと幸せになるから」
アンジェリカの表情が少しだけ曇る。
ヘレナ以外の3人は、アンジェリカの本心を知らない。ウォーレン伯爵に嫁ぐのではなく、メイドになる心構えでいることを。
「さぁ。アンジェリカ様名残りは惜しいですが、あまり辻馬車を待たせるわけにもいきません。そろそろ参りましょうか?」
アンジェリカの気持ちを察したヘレナが声をかけてきた。
「そうね。汽車の時間もあることだし……行きましょうか」
「はい、アンジェリカ様」
2人は雇った辻馬車に乗り込むと、窓から顔を出した。
「皆……今迄本当にありがとう」
アンジェリカは泣きそうな表情を浮かべるも……その目から涙が出ることは決してない。あの日――ニアがブライトン家を追い出されてから、もう泣かないと心に固く誓ったからだ。
「はい、アンジェリカ様」
「お元気で」
「どうかお体を大切にして下さい」
全員が最後のお別れの言葉を交わすと、ヘレナは御者に声をかけた。
「では馬車を出して下さい」
御者は頷くと、馬車を走らせ始めた。
「皆――! どうか元気でね――!」
アンジェリカは窓から身を乗り出し、3人の姿が見えなくなるまでいつまでも手を振り続けた……。
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ガラガラと音を立てて走る辻馬車の中で、アンジェリカはふさぎ込んだ様子で座っていた。
「……やはり、屋敷を離れるのがお寂しいのですね?」
「いいの、もう屋敷のことは……あの日、離れを追い出された時から、私の居場所無くなってしまったようなものだから。ただ離れの皆と別れるのが辛いだけなの」
「アンジェリカ様……」
「でも落ち込んでなんかいられないわよね? 私はこれからローズマリーの子供を迎えたその足で、ウォーレン伯爵の元へ行かなければならないのだから。大変だろうけどヘレナがいれば大丈夫。これからもよろしくね」
「ええ、もちろんでございます。私はいつでもアンジェリカ様のお傍におりますから」
「ありがとう、ヘレナ」
アンジェリカとヘレナは固く握手を交わした――