男は赤子を抱いたアンジェリカに気を配ることも無く、早足で歩いていく。
「アンジェリカ様、大丈夫ですか?」
アンジェリカの分まで荷物を持つヘレナが心配して声をかけた
「それが……赤ちゃんを抱くのは初めてだから、やっぱり怖いわ」
子供を産んだことも育てたことも無いアンジェリカにとって、まだ生後間もなく首も座らない赤子を抱くのは神経を使うことだった。
「申し訳ございません。てっきり乳母車が用意してあると思っていたものですから。こちらで用意しておくべきでした」
「いいのよ、ヘレナ。それに乳母車は高級だもの」
恐らくこうなることは予測出来ていたが、離れに追いやられてからのアンジェリカは、お金の援助を一切受けていない。
自分で用意できるはずもなく、また自分を養ってくれているヘレナ達にも言えるはずも無かった。
「アンジェリカ様……」
すると前方を歩いていた男が立ち止まり、振り返った。
「良かった、待ってくれているようですね」
「ええ、良かったわ」
2人が追い付くと、男は苛立った声を上げる。
「遅い! 何をしている? 早く来い! こっちは時間で動いているのだからな」
「何を言っているのですか! こちらには赤ちゃんがいるのですよ!? そんなに早く歩けるはずないじゃありませんか!」
気の強いヘレナは言い返す。
「こっちは、その赤ん坊の荷物を全て持っているんだ。そんな口を叩いていいのか? 俺が荷物を持たなかったら困るのはお前たちだろう?」
「なっ……!」
ヘレナは怒りで顔を赤くする。それをアンジェリカは止めた。
「ヘレナ、赤ちゃんがいるから……お願い」
「アンジェリカ様……」
その様子を見ていた男が鼻で笑う。
「フン! そっちのお嬢様の方が余程あんたより大人じゃないか。行くぞ」
男は再び踵を返すと歩き始めた。
ヘレナはまだ男に対して言いたいことが山ほどあったのだが、アンジェリカの為におとなしく黙ることにしたのだった。
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「おい、馬車はどこにあるんだ?」
ようやく駅舎から外に出てくると、男は周囲を見渡しながら尋ねてきた。
「そんなもの、あるはずないではありませんか!」
憤慨した様子でヘレナが答える。
「何? それならどうやってウォーレン家へ行くつもりだったのだ?」
「そ、それは……お父様が馬車を用意してくれていると……思って……」
段々、アンジェリカの声がしりすぼみになっていく。
「はぁ!? チャールズ様がお荷物の為に、わざわざ馬車を用意すると思っていたのか? それに普通なら嫁ぎ先の家で迎えの馬車を用意してもおかしくないんじゃないか?」
「何ですって……!?」
怒りを抑えるヘレナに対し、男の言葉はアンジェリカの心は傷ついた。
(そうだわ……この人の言う通りかも。やっぱり私はウォーレン家にとって望まれない存在だから、迎えの馬車どころか、何も言ってこなかったのだわ……)
「チッ! 全く……仕方ないな。辻馬車乗り場に行くぞ」
男は舌打ちすると、辻馬車乗り場へ向かって進み始める。
その後ろをアンジェリカとヘレナは追いかけた――