「ヘレナ……どうすればいいかしら?」
アンジェリカは泣きじゃくるエルマーを抱いたまま、困り顔でヘレナに尋ねた。
「そうですね。とりあえず、預かった荷物の中に粉ミルクの用意でも無いか探してみましょう。ついでにおむつの替えもみてみましょう」
「ええ、お願いね」
「お任せ下さい。これでも私はアンジェリカ様を赤子の頃からお世話させていただいているのですから」
「それは頼もしいわ」
アンジェリカの顔に笑みが浮かぶ。
しかし今の台詞はアンジェリカを安心させる為であって、実際ヘレナは焦っていた。
(困ったわ……いくら粉ミルクやオムツの替えがあったとしても、清潔なお湯も無ければミルクを作ることも出来ないわ。哺乳瓶だって消毒しなければならないし……旦那様もローズマリー様も一体何を考えているの!?)
ヘレナはアンジェリカとエルマーをこのような状況に追いやった2人を心の底から恨んだ。
「ホギャアッホギャアッ……」
アンジェリカの腕の中で弱々しく泣くエルマー。
「よしよし、ごめんね……エルマー」
エルマーをあやすも、泣き止むことはない。
「申し訳ございません……なにぶん、この馬は年老いておりますので、速く走ることが出来ないものですから」
御者はオロオロしながら謝ってきた。
「いいえ、ここまで乗せていただいただけで感謝しておりますから……」
2人で話をしていると、ヘレナが嬉しそうな声を上げた。
「あった! 見つけましたわ、アンジェリカ様! 哺乳瓶と粉ミルクです!」
「本当!? 良かったわ……」
「ですが……お湯が無ければ……ミルクを作ることが出来ません」
「あ……そ、そうよね……」
「……」
御者も黙って俯き、3人の間に重苦しい空気が流れる。
その時――
ガラガラガラガラ……
背後からこちらへ向かってくる馬車の音が聞こえ、3人は振り返った。
見ると1台の立派な馬車が、物凄い速さでこちらへ向かって近付いてきている。
「そうだわ。あの馬車にお願いしてウォーレン家まで乗せてもらいましょう」
アンジェリカは荷台の上で立ち上がった。
「え!? アンジェリカ様、本気でそのようなこと、おっしゃっているのですか?」
「ええ、本気よ。だってエルマーを一刻も早く何とかしてあげないと」
「そ、それは……」
「ヘレナ、エルマーを少しの間、お願い」
「は、はい」
ヘレナが泣いているエルマーを受け取ると、アンジェリカは荷台から降りた。
「え? アンジェリカ様!? 何をなさるのですか?」
「お客様!?」
2人が止めるのも聞かず、アンジェリカは道の真ん中に立つと両手を大きく振った。
「お願いです! どうか止まって下さい!」
声を張り上げて叫ぶアンジェリカに向かって、馬車が迫ってくる。
「アンジェリカ様!」
「危ないですよ!」
けれどアンジェリカはその場を動かず、大きく両手を振っている。
するとこちらへ向かってくる馬車の速度が徐々に落ちていき、アンジェリカの数メートル手前で止まった。
「良かった! 止まってくれたわ!」
アンジェリカが笑顔で馬車に近付こうとした時。
カチャ……
馬車の扉が開かれ、銀髪の青年が降りてきた。
「あ……」
その青年は2度助けてくれた人物であり、噂により自分との結婚を余儀なくされたウォーレン伯爵、その人だった。
(そんな……この馬車はウォーレン伯爵が乗っていた馬車だったなんて)
アンジェリカの顔が青ざめる。
ただでさえ、自分はウォーレン伯爵にとって厄介者でしかない。それなのに、馬車の前に飛び出して止めてしまった。
(どうしよう……怒られてしまうわ……だけどエルマーの為には……!)
「あ、あの! 私……!」
思いきって、声をかけた瞬間。
「アンジェリカッ!!」
ウォーレン伯爵がアンジェリカに向かって駆け寄ってきた――