初めて名前を呼ばれて戸惑ったものの、アンジェリカはすぐに頭を下げて謝罪の言葉を述べた。
「ウォーレン伯爵様、馬車の前に飛び出して大変申し訳ございませんでした。ですが聞いて下さい。私がこのような真似をしたのは理由があります。それは……」
するとウォーレン伯爵が口を開いた。
「あそこで泣いている赤子の為だろう?」
「え……?」
てっきり怒鳴り散らされるとばかり思っていたアンジェリカは驚いて顔を上げると、彼は穏やかな顔で自分を見つめている。
「すぐに赤子を馬車に乗せて屋敷に向かおう。話は中で聞かせてもらう。ヘレナ、こっちへ来てくれ」
伯爵はヘレナを手招きした。
「え!? 私のことを御存知なのですか!?」
ヘレナの問いに黙って頷き、再び彼はアンジェリカに視線を移す。
(ど、どうして……? この人がヘレナのことを知っているの……?)
アンジェリカも何故ウォーレン伯爵がヘレナを知っているのか不思議でならなかった。
「行こう、おいで。アンジェリカ」
戸惑うアンジェリカに笑顔で伯爵は手を伸ばしてきた。
「は、はい……」
おずおずと手を差し出すとにぎりしめられ、手の甲にキスをされた。
「え? あ、あの!」
突然の行動に、アンジェリカの顔が真っ赤に染まる。
「俺の名前は、ライアス・ウォーレン。よろしく、我妻アンジェリカ。どうか俺のことはライアスと呼んでくれ」
そしてライアスは笑みを浮かべた――
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アンジェリカたちを乗せた馬車は、ウォーレン伯爵邸に向けて駆けていた。
まだ生後間もないエルマーはアンジェリカの腕の中で泣き疲れて眠っている。
自分の腕にすっぽり収まるほどに小さいエルマーの頬に涙の筋が残っていることが可哀想でならなかった。
「エルマー……ごめんなさい。私が、もっと準備をしていたら……」
眠っているエルマーをじっと見つめていると、ライアスが話しかけてきた。
「泣きつかれて眠ってしまったのだな。可哀そうに……まだ生後間もないというのに、汽車に乗せられるなんて」
その口ぶりから、アンジェリカはライアスが心優しい青年だと察する。
「ライアス様……」
すると一緒に馬車に乗っていたヘレナが言った。
「私もウォーレン様の言う通りだと思います。旦那様も、ローズマリー様もあまりに無責任すぎます。何の関係も無いアンジェリカ様に全てを押し付けるなんて、あり得ません」
「……」
憤慨しているヘレナを見つめているライアス。
(ヘレナを見ている……。このままではヘレナに悪い印象を持ってしまうかもしれないわ)
そこでアンジェリカはライアスに話しかけることにした。
「あの、ところでライアス様。何故、私たちの後方から馬車でいらしたのですか?」
するとライアスは不思議そうに首を傾げる。
「何故って、それは決まっているだろう? 君を駅まで迎えに行ったからだ」
「え!? そ、そうだったのですか? では今日私が来るのを御存知だったのですか?」
「いや、知っていた……というよりは、今日知ったんだ」
「それはどういうことなのですか?」
するとライアスは顔をしかめた。
「アンジェリカとの婚約が決まってからは、ずっとブライトン伯爵家に使いを出していたんだ。一体いつになったら、アンジェリカは赤子を連れてウォーレン家に来るのかと。だが、いつ訪ねても、ブライトン伯爵は不在なので分からないと言われてきた。それが今日になっていきなりだ。本日ブライトン伯爵が赤子を連れて戻って来るので、アンジェリカが駅に迎えに行ったと。それで急いで迎えに行ったのだ」
「え!? そうだったのですか!?」
その話に、アンジェリカの顔が青ざめる。
「花嫁が我が屋敷に来る大切な日を当日に知らせ、しかもアンジェリカにこんな不当な扱いをするとは……相変わらず、ブライトン伯爵は横暴な人間だ……」
悔しさを顔に滲ませ、ライアスはギリギリと歯を食いしばった――