「この屋敷には、現在乳飲み子を育てているメイド達がいる。この際だ。エルマーの世話はそのメイド達を乳母にして、任せてみてはどうだ?」
「ですが……」
アンジェリカは躊躇った。
(ライアス様にとって、私は厄介者でしかないのに乳母なんて……でもミルクはとても高額だわ。エルマーが成長すればミルクを飲む量も当然増えるし)
アンジェリカにとってもミルクよりも母乳の方が良い話ではあった。けれどメイドとして働いて役立とうと思っていた自分にとっては、勿体ない話にしか思えなかった。
「どうしたんだ? もしかしてメイドに任せるのはイヤか? やはりエルマーを自分の手で育てたいのか?」
「いえ! イヤだなんてとんでもありません。すごく嬉しい提案ですが、これ以上ライアス様にご迷惑をかけてしまうわけにも……」
「迷惑……?」
ライアスが首を傾げる。
「ライアス様にとっての私は、あらぬ噂を立てられた挙げくに押し付けられてしまった厄介者に過ぎません。ただでさえこの屋敷でお世話になる身なのにエルマーに乳母をつけていただくなど、そこまで甘えるわけにはいきません。私はこちらでメイドとして働かせていただくつもりですので私達が暮らせるだけのお給料をいただければ、それだけで十分ですから」
「アンジェリカ!」
すると突然ライアスがアンジェリカの肩を掴み、顔を覗き込んできた。
「は、はい……」
至近距離で見つめられ、戸惑いながらも返事をする。
「何故厄介者だと思うんだ? しかもメイドとして働くつもりなんて……ここへ来るまでの間、そんな風に考えていたのか?」
「はい。現にセラヴィの流した噂が世間に広がってしまったのは事実ですし……」
アンジェリカは俯く。
「セラヴィ? あぁ……あいつか。自分よりも弱い女性に平気で乱暴な真似をし、思い通りにならなければ卑怯な真似をする奴のことか。挙句に女に手が早い、本当にあれはどこまでも最低な男だ」
ライアスの声にはセラヴィに対する憎しみが込められていた。しかし次の瞬間、口元に笑みが浮かぶ。
「だが、奴の浅はかな態度には感謝している。何しろ婚約者だったアンジェリカを手放してくれたのだからな」
「え……?」
「俺はアンジェリカを厄介者だとは思っていないし、メイドとして雇うつもりも無い。妻として迎え入れたんだ。それとも俺の妻になるのは嫌か? 自分が世間で何と呼ばれているかは知っているからな」
金色の瞳でじっと見つめるライアス。
(そう言えば、ライアス様は『冷血伯爵』と世間で噂されていたわ。だけど私を2度も助けてくれたわ。それに……)
銀髪に金色の瞳を持つライアスを見ていると、子供の頃ほんの少しだけ一緒に過ごした子犬のシルバーのことが思い出される。懐かしい、幸せだったあの頃の記憶が……。
(シルバー……?)
気付けば、アンジェリカは言葉を紡いでいた。
「いいえ、嫌ではありません。ふつつか者ではありますが、これからライアス様の妻として、どうぞよろしくお願いいたします」
すると肩に置かれたライアスの腕が背中に回され、突然アンジェリカは抱き寄せられた。
「キャッ!」
まさか突然抱擁されるとは思わず、驚きで小さな悲鳴を上げてしまう。
(ど、どうすればいいの? まさか初対面で抱きしめられるなんて……こ、こういう場合私も抱きしめた方が良いのかしら……?)
赤面しながら戸惑っていたその時。
「俺の方こそ、よろしく頼む。もう二度と……離さないからな」
(え? 二度と……?)
アンジェリカはライアスの言葉に目を見開いた――