私と妻が何処のお寺で人形を供養していただくのかを探っている間、人形は再び段ボール箱にしまわれた状態で、玄関の外に置かれました。
もう、実家の中に人形を置くのは危険すぎると判断して、陽が当たる場所のほうが比較的に安全だろうと考えたのですが、更なる対策が必要だと思って色々と思案した結果…。
段ボールの上に神社のお守りを置いて、これ以上の被害を防ぐことにしました。
嫌な気がお守りによって、少しだけ封じられているような感じがしましたが、お守りの効力もさほど続かないでしょう。
そのうちに、供養して頂けるお寺が決まって、私と妻は急いで車に乗り込みます。
色々と人形供養のお寺を探した結果、家から車で1時間半ぐらいかかるお寺になって、子供や弟は連れて行きませんでした。
なぜなら…、何かあった場合の被害を最小限度に留めるためですが、夫婦で2人でお寺に向かった理由は、何かトラブルなどがあった場合に対処をする為です。
このようなものを供養に持ち込む際、交通事故や何らかのトラブルに巻き込まれたり、何か不穏な事案が起こる事がままありますからね…。
人形が入っている段ボールの上にお守りが貼り付けてあるとは言え、急に肩が痛くなったり、足が引っぱられるような感覚があったりするから、夫婦共に怖くて仕方ありません。
道中、事故もなく無事にお寺に着いて駐車場に入ると、お寺の敷地に入った途端に、肩や足の違和感や痛みも取れて、全身の力が抜けたように私たちはホッとしていました。
『お寺の仏様の力が強いんだろうなぁ…』
そこは、比較的に大きなお寺らしく、敷地も駐車場も広いし、入口には人形供養専用の台車が置かれているほど、人形供養に力を入れているようです。
台車に乗せて社務所まで人形を運んでいると、その途中で僧侶とすれ違って、合掌一礼をされたので、私や妻もお辞儀をしました。
社務所で住所や連絡先を書いて、所定の供養料を納めると、人形は引き取られていきます。
供養の料金も相当に良心的なのでホッとしたところでした…。
人形が引き取られた後、最後に、社務所の裏手に人形供養の観音様がいるので、そこにお参りをして、お線香をあげるように言われます。
そして、無事に私たち夫婦は家に戻った訳ですが、人形の余波は色々と続きます。
◇
人形供養に出して数日後の事でした。
私が玄関にいたら、おりんの音と微かにお経が聞こえます。
『…人形の呪いがこっちまで来ている…。たぶん、何か外部からの魔除けが必要だ…。』
神社の方位や魔除けなども考えましたが、この時点で、妻の祖母が亡くなった一報が入ってきたので、妻は喪中となって神社に行けないので、お寺で魔除けのお札や護符がある場所を探します。
…行き着いた結論は…
それは『角大師』でした。
角大師こと『良源』は、平安時代の僧侶でして、天台宗で18代目の最高位に上り詰めた高僧です。
良源が73歳の時に疫病が流行って、人々は大変苦しんでいましたが、ある日、良源が自室で瞑想をしていると、疫病神が良源にやってきたのです。
疫病神は良源に話しかけました。
「我は疫病神である。今の世に流行している疫病は、あなたも罹らないといけないから、ここにやってきました。」
良源は「逃れられない因縁とあらば、仕方が無いが、この指につけよ」と、言って左の小指を疫病神に差し出したのです。
疫病神は良源の指に触れると、瞬く前に全身に激痛が走り、熱を出しますが、精神を統一しながら、法力をで疫病神を退散させました。
疫病神を撃退した良源は考えました。
『自分ならまだしも、皆が疫病に冒されたら、ひとたまりもない。一日も早く多くの人を病から救わないといけない』
良源は、弟子に命じて大きな鏡を持ってこさせました。
「鏡に映った私の姿を描き写すように」と、命じると、良源は瞑想に入ります。
その鏡に映った姿は痩せ細った鬼の形相だったのですが、それを良源の弟子が描いたのが、『角大師』なのです。
この角大師を各々の家の戸口に貼り付ければ、病魔や悪霊も逃げていく…。
そんな、古くから伝承がある、由緒正しき魔除けの札であります。
私たちは、妻の祖母が亡くなった葬儀に向かう道中にて、天台宗のお寺に赴いて、角大師の護符を求めました。
妻の祖母の葬儀が終わって、義理の弟が難病を患って苦しんでいることもあって、妻の実家にも角大師の護符を貼り付けましたが、家の中にいても嫌な感じもなくなって、落ち着くような感じがするのが分かりました。
そして、私の家に戻ったあと、早速、家や工場、それに実家にも角大師の護符を貼り付けます。
…その効果はてきめんでした。
家や工場、事務所にある嫌な感じは、ほぼ消え去って、今までとは雲泥の差があるように感じます。
ただ、依然として、何か、嫌な奴が出入りをしてる気配が多少、あるようですが、あまり気に留めなくても大丈夫な感じにまでなりました。
その後は、弟が数年前に家族で参拝に行った神社の願掛けにて、厄落としの為に『からわけ』を割ったときの大きな破片が、実家の庭に埋まっていた…など、何とも言えぬ事案もありましたが、こちらも掘り起こして、神社に持ち込んで引き取ってもらいました。
その時は父も生きていましたし、母も無論、健在でしたから、弟に対して、家族総出で『家で割らないで、その場(神社)で、からわけを割れ!!』と、言い続けたのですが、言って聞かない罰が、こういう形になって返ってきている訳です。
それも含めて、問題のあるものを、適切に処理して運の流れを良くする時期になった…というコトも言えている訳です。
そんなこんなで、この呪いの人形の騒動も、ようやく落ち着きを取り戻した次第でして…。
私としては、こんなコトは勘弁願いたいと…。