狂った妖精は、剣を振り上げチエミを袈裟斬りにする。
血液が溢れ口からもでるが、ソユーズの力を引き継いだチエミはこれくらいでは死んだりしない。
直ぐに魔術を展開して回復するのを待つほどフェンネルは優しくなくて、周りを巻き込みながらもチエミに攻撃を繰り出す。
魔術と併用しているフェンネルの戦闘スキルは高く、チエミは吹き飛ばされた。
「…………フェンネルさぁん!私を切ってもいいよ!!それであなたの心に残るもの!」
壁に叩きつけられて倒れたチエミが叫ぶ。
ここで芽依は異変に気付いた。
逃げる順番待ちをしていたカテリーデンの客や売り子が皆棒立ちしていた。
「…………なんで、なんでみんな逃げないの?なんでフェンネルさんを見てるの」
『……逃げねぇんじゃねぇよ、目が離せないんだ。言ったろ、魂を吸い取られるくらいに美しいって……花雪が感情を高ぶらせた時、その時が1番美しいんだよ…………あの移民の民も、伴侶を殺したって言ってたろ。たぶん、フェンネルに魂事持ってかれたんじゃねぇか…………花雪はな、美しい故の弊害を抱えて生きてきたんだよ。アイツには冬牡丹しかいなかった』
「………………そんな」
「…………メディトーク様、フェンネル様を……いえ、花雪様を知っていらしたのですか?」
『生憎長生きだからな、知ってる情報は多いんだよ……フェンネルが花雪だとは思わなかったがな……しかし、これは不味いな……アイツが来る』
そんな会話をしていると、アリステアとセルジオ、シャルドネとブランシェット、そして騎士たちがガシャガシャと武器や防具を鳴らして現れた。
四方八方から囲われたフェンネルは無表情のままチエミだけを見ている。
「…………まさか、本当に花雪なのか」
ゴクリ……と生唾を飲み込むアリステアが、直ぐに捕縛!と右腕を上げて言うと魔術陣がぶわりと床に広がり芽依は目を見開いた。
「待って!辞めて!!」
『バカ!やめろ!!』
「メイ!?」
立ち上がり魔術陣が完成するギリギリにメディトークとハストゥーレを振り払った芽依がフェンネルに飛び付いた。
「うっ!」
「…………………………」
四方八方から現れる魔力が練り込まれた縄にフェンネルごと身体中グルグル巻にされ、そんな芽依を花雪となったフェンネルが見る。
移民の民を嫌うフェンネルが。
「何をしてる!そいつは移民狩りの首謀者だぞ!」
「そうだけど……でも、フェンネルさんなんです!フェンネルさんなんですよ!」
「…………なんだと……まさか、狂った妖精なのか」
「500年の間にしてきた事は聞きました、被害者は許せないと思います!でも、狂うまでの理由がフェンネルさんにもあるんです!なにより、この世界で生きていく為に私はフェンネルさんが居ないと……私は周りの皆がいて、初めてこの世界で安心して呼吸が出来るんです!!誰にも欠けて欲しくない我儘なのはわかってます!それでも、フェンネルさんが殺されるのを黙って見ていられません!!」
「………………お姉さん、それは駄目だよ寛容できないの」
「………………ニアくん」
真っ黒な服装、顔に掛けられた布、巨大な鋏を持つクルクルの髪の少年は困ったように眉を寄せた。
わかっていた。
移民狩りの犯人を探し回っていたニア。
フェンネルを見つけたらきっとニアはフェンネルを殺す為に現れる。
それの内容を聞かないと約束した、わかってた。
それでも。
「それでも!諦めたくないの!」
「………………メイちゃん、あれはね粛清屋さんって言うんだよ」
突如聞こえた穏やかなフェンネルの言葉に芽依は顔を上げた。
困ったように笑う花雪のフェンネルは芽依を見つめている。
よく知るフェンネルと同じ温かな眼差しの中にほんの少しの狂気を隠して。
「え?」
「狂った妖精は殺さないとこの世界の人間や人外者をね無差別に殺すんだ……だから、大量殺人をする狂った妖精や精霊達を解放する為に粛清屋さんがいるんだよ」
「フェンネル……さん?」
「ありがとうね、メイちゃんが僕を必要としてくれて、そう言ってくれて霞掛かった頭がクリアになったよ」
ふわふわ笑うフェンネルに涙腺が刺激された。
こんな時までフェンネルは優しく芽依を気遣うのだ。
フェンネルは芽依と魔術で捕まったままニアを見た。
「それにしても、人がいっぱいいる中に出てきちゃって良かったの?」
「良くないよ……でも、お姉さん捕まってるし……君の魅了で周りが動かないから仕方ないじゃない」
肩をクイッと上げて話すニアにフェンネルは苦笑する。
花雪の姿なのに、その表情は穏やかで先程までの狂った妖精に浮かぶ瞳の模様すら消えていた。
それにニアは眉を上げる。
「………………君、何か変わった……?狂った妖精のはずだよね」
「…………わからない、でも今は殺戮衝動は落ち着いてるし、今までにない……ううん500年前みたいに心が凪いでいるんだよね」
目を伏せ呟いたフェンネルはふと芽依を見た。
そしてとても美しく微笑むと、くぅ……と胸がギュッと締め付けられる。
粉雪の妖精として出会ったフェンネルの優しさがそのまま全面に出ているのが余計に悲しみを呼ぶのだ。
本来はこんなに優しい人なのに。こんなに幸せそうに笑うのに。
たった一人の移民の民のせいでフェンネルの人生が狂ってしまった。
「…………わかってる、僕は粛清対象だし、今まで沢山殺してきたから。でも、この子は……殺さないでね……大っ嫌いな移民の民の中で、唯一大切に思えた子を殺したくないから」
「………………僕を見られたら殺さないといけないんだけど」
「………………それじゃあ、僕殺されてあげられないじゃない……」
「フェンネルさん……やだよ!」
「大丈夫。君はちゃんと逃がすから」
「そうじゃない!そうじゃないの!!」
ゆらりと鋏を構えて走り出そうとしたニアを芽依は見る。
「ニア君!お願いだから!!」
ポンッと現れた輝く大根様がニアの鋏に刺さり、そのまま2人に当たると、魔術陣で作られた縄がちぎれて2人は床にペタリと座った。
キョトンとその大根を見るその場に居る全員。
ハストゥーレだけが小さく、あ……と呟いた。
「………………これなに?」
「………………大根」
「それは、わかるかな」
呆然とする、とくに目の前で見ている3人。
すると、セルジオは小さく息を飲んだ。
「…………そうか、あれはお前だったのか」
「セルジオ?」
「…………粛清屋、少し話をさせてくれ」
セルジオが前に来て座り込む芽依の腕を掴み立たせると、ふらりと寄りかかる。
すぐにメディトークも来て足に座らせると、芽依はツルスベボディに泣きながら抱き着いた。
「年末の戻り呪、メイの最後は手紙だった。それには[僕の中の僕を解放して]と書かれていた……フェンネル、お前の深層心理だろ?それが戻り呪を通じて芽依へ向かった。助けを求めたんだろ、メイに。その呪いを解いたのと……フェンネルのメイへの感情だったりが混ざって魔術が反応したか」
『過去のリンデリントに行った帰りの道で見たのもお前だな……白い中に倒れたヤツと白い髪の人外者が立っていた。道を通じて無意識に来ていたんじゃねぇの?』
「………………フェンネルさん」
「…………メイちゃん?」
「っ!ちゃんと助けてって言ってたんじゃない!辛いって言ってたんじゃない!!……ごめん気付かなくて、でももう1人にはしないから!貴方を裏切るような事も、失望させるような事もしないから!だから…………生きることを諦めるのは辞めてよ……」
フェンネルは目を見開いた。
芽依はなぜ気付いたのだろうと。
ソユーズが死んで狂った時、フェンネルは死にたかったのだ。
自分を理解しそばに居た存在がこの世界から居なくなった絶望は、移民の民を忌み嫌う気持ちと同じくらいに強い。
守れなかった悔しさや伴侶じゃない花雪にうつつを抜かすチエミや唆しソユーズを殺したマコトを許せなかった。
でも、現況である花雪の妖精のフェンネルの存在が、何よりも許せなかった。
「………………死にたかったのに……狂った僕は移民の民を探す事を辞めてはくれなくて……メイちゃんっていう移民の民に気を許し出した僕を花雪は許さなくて……もう…………辛くて……だから、粛清屋さんが来た今、やっと解放されると思ったのに、メイちゃんを殺すって言うから……死ねなくて……」
「っ!ごめん!もういいから!もう、いいから……一緒に帰ろうよ……殺戮衝動が無くなった今なら良いでしょ?私の庭でもいい、備蓄場所に匿うのでもいいから、一緒に……帰ろうよ」
メディトークから離れてフェンネルを抱きしめると、静かに泣き出したフェンネルは芽依にしがみついた。
大根が刺さったままだった鋏を振り、大根を外したニアは溜息を吐き出して2人の前に来る。
そしてフェンネルの瞳を覗き込んだ。
「………………綺麗に塞いでるね」
「………………塞ぐ?」
「1度狂うと元には戻せないけど、本当に稀なことにその狂気を塞ぐ事が出来るの。日常生活が問題無く出来るくらいに。そうなったら、粛清対象から観察対象に切り替わりんだけど……どうする?君が望むなら殺さないよ」
「殺さないで!」
「………………お姉さんが答えちゃった」
芽依はアリステアを見た。
フェンネルを守るようにしっかりと抱きしめて泣きながらアリステアを見た。
「………………お願いします、フェンネルさんに慈悲を……」
「メイちゃん……」
「お願いします!!」