サワサワと風に揺れる木々が集まり巨大な森を作っているドラムストの森の一番端。
人が歩いていくには骨が折れる距離で、野生化した幻獣が現れる危険な場所。
街から近い場所に現れるのはまだ自我のある幻獣だったり、失いかけ凶暴化し始めている小さな幻獣ばかり。
しかし、そこから奥に進むにつれて強く大きくなっていき凶暴化した幻獣が巣を作っている。
群れている幻獣もいれば、おひとり様な幻獣もいて、更にはアクの強い精霊や妖精が現れたりもする危険な場所である。
決して1人では来ない方がいい、そんな場所に1人の精霊が含み笑いをしながら巨大な木を見上げていた。
この森の最奥にある巨大樹だ。
ザワザワとまるで沢山の人が囁いているような、そんな不思議な音を奏でて葉を擦り合わせるその巨大樹はドラムスト全体に根を這わせていた。
地下深くまで伸びた太く長い根がドラムストを、更には近隣諸国にまで伸びていてこの地に祝福をもたらしてくれている。
そのおかげでこのドラムストは心地好い居心地を与えてくれるのだ。
そして、大地から水分のたっぷり吸い取り含んだ根から巨大樹の栄養を巡回させ、大地に戻す役割をしている。
そのためこの土地は豊かで人間や人外者が集まりやすい大地を作り出していた。
自然界に存在する植物も、長い月日をかけて様々な効果をだす事は不思議なことではない。
特にこの巨大樹は、何千年生きている人外者すら、初めて見た時からこの巨大樹は変わっていないと言っているのだ。
何時からこの巨大樹が有るのかはだれも知らない。
広範囲の祝福が常時発動するくらいに力を蓄える程の長い年月を生きてきたのだろう。
そんな巨大樹の前に片眼鏡を掛けた男性が腕を組み見上げている。
その手には細い試験管を指先に挟むように持っていて軽く揺すっている。
ちゃぽんちゃぽんと揺れる試験管の中の薄紫色の液体が跳ねるが、しっかりと栓をしている為零れる事も男の手に付くことも無い。
藍色のくせっ毛は肩につくかつかないかくらいの長さでまったくセットしていない為にあっちこっちに毛先が飛んでいる。
ドロンとした光のない目の下には真っ黒になるほどのクマが出来ていて、顔色も悪い。
だが、そんな見た目を気にしていない男だが、カラーシャツに細身のパンツを履いてつま先の尖った革靴を履いている。
外出用の服装なのだろうか。
しかし上に羽織っている白衣はシワがつき、かなり汚れている。
「…………何回見ても立派な木だ……お前は一体どれくらい生きているんだろうなぁ……お前の体の一部、根は一体どこまで広がってるのかな?」
太い木の幹に手のひらを当てて独り言のように呟く。
それはアルトの予想以上に優しい声色だった。
とても耳に優しい声をしていて、まるで歌っているかのようだ。
幹についていた手を離して眼鏡を上げると、眼鏡に着いている鎖がカチャリと音を鳴らした。
「さて…………じゃあ待ちに待った実験の開始だ」
キュポン……と音を鳴らして試験管の栓を開けた男はゆっくりと根に掛かるようにとろみのある紫の液体を掛けた。
そして指先に小さな火種を出し、液体に付けると小さな火種が着火剤となりじんわりと燃え始めた。
しかし巨大樹自体を燃やしているのではなく、根にじんわりと熱を伝わせているだけのようだ。
「………………よし、これでいい」
この熱が、ゆっくりと時間をかけて地面を伝いドラムから周辺諸国を温めるのだが、それにはかなりの時間を有する。
男は満足そうに頷いて小さなメモ帳を取り出した。
そしてその場に座り込み一心不乱に何かを書き込んでいる。
たった数分の出来事を4時間程時間を掛けて書いている男の傍らには、絶命した龍の幻獣の亡骸が横たわっていた。
「…………よし、こんなものか。ん?なんで君は僕の隣に寝転がっているんだい」
集中する男を食料として狙った龍だったのだが、この男の集中力には存在を認識すらして貰えなかったようだ。
「…………邪魔だよ」と、見ることすらせず指先を振った男の手が龍の鼻面にあたり、体の中から燃やし尽くした。
最後にあげた悲痛な断末魔すら男の耳には届かなかった為、メモ帳を閉じて初めて龍の姿を認識したのだ。
「………………あれ、もしかして僕がやった?うーん、用事があるならちゃんと声かけてよね。集中してるから気付かないで殺しちゃったかな」
首を傾げながらも、まあいいか、素材になるし!と尻尾を掴み男よりも数段巨体な龍を引き摺って歩き出した。
「後は経過観察か……いやぁ、薬が出来るのに時間が掛かったから長かったなぁ。早く実験結果を知りたいけど、ゆっくり経過観察もしたいから。楽しみだなぁ」
ズルズルと地面に龍の引き摺る跡を残しながら、転移するでもなくご機嫌に去っていく男を森にいる幻獣が見送った。
あの龍は、最奥にいる強いおひとり様な幻獣であった。
集団で襲われても返り討ちにしてしまえるくらいには強い力を持っているその龍を片手間で倒したその精霊は火の高位精霊、メフィスト。
高位とはいえ限りなく最高位に近い力を有している彼なのだが、その特性故に人前に出る事をあまりしない。
だから、メフィストを認識している人や人外者は限りなく少ない。
そんなメフィストが撒いた小さな火種がじんわりと地面を温め問題が起きるのは今から1年後の事であった。