演出家。演劇においての総責任者。
演技指導は当然として、舞台監督との相談、音響照明衣装に至るまで全ての人と話をして、確認し、最終決定をする。そのためすべてを把握しないといけない超重要な存在。
俺達の代の中で演出家が一番ふさわしい人材は樫田だ。
このことは誰もが納得だろうと思っていた。
しかし、轟先輩に指名された当の本人は険しい顔を崩さずにいた。
始めは重役だから緊張でもしているのかと思ったが、そうではなさそうだった。
注目を集めながら、樫田はゆっくりと口を開く。
「それは……いえ、それが三年生の総意、ということですか?」
俺には何の質問なのか分からなかった。
だが轟先輩は意図の理解したのか、すんなりと返答する。
「うん、そうだよ」
「…………そう、ですか」
「樫田ん。君は賢いからどうしてなのか、どういう意図があるのか多分わかっていると思う。それでも――」
「轟先輩、大丈夫ですよ。正直、可能性は高いだろうなとは思っていましたから覚悟はできてます」
「そっか、それじゃあ」
「謹んでお受けいたします」
そう言うと樫田は、一礼した。
俺には二人の会話の真意は分からなかった。
けど、樫田のその言葉から重い覚悟と真剣さが伝わってきた。
「ありがとう……はーい。みんな拍手!」
轟先輩が手を叩くと、つられてみんなも拍手をし出す。
樫田が顔を上げると、自然と鳴り止んだ。
「演出家については津田んが樫田んに引き継いでね」
「了解」
「はい」
「じゃあ、重大発表はここまでだけど、こっからは役者陣のためにオーディションの詳細について話します」
轟先輩が話を戻す。
役者の俺たちにとって、オーディションの情報は聞き逃せないもの。
みんな真剣に耳を傾けた。
「まず日程、オーディションは今から約十日後の土曜日に行います。もちろん、見てもらうのは決定権を持つ演出家の樫田ん。それと演出補佐として津田んもいます」
つまり、来週の土曜日ってことか。思ったよりは時間があるな。
一年生たちを考慮したのか?
「二年生たちは長いって思っているね? まぁ、理由はいくつかあって、演出家側の問題や、初心者を慮った部分はあるよ」
なるほど、確かに樫田も今日演出家を任命されたばかりだもんな。準備が必要か。
それにオーディションは時間かかるからな。
土日の部活時間が長い時じゃないとできない。
「その間は普通に読み稽古をしていきます。ライバル同士だけどそこは仲良くしてもろて。分かっていると思うけど二年生はちゃんと一年生に教えてあげてね」
『はい』
俺達二年生は返事をする。当たり前だ。そんな卑怯なことはしない。
「いい返事だ。そういえば二年生は面談の時に春大会について触れた人もいるけど、これが最終決定です。あのときと言っていること違ったとかは受け付けません!」
なぜか胸を張って断言した轟先輩。
思えば俺も面談の時に主役どうのこうのってあったな。他の人も何か言われたのだろうか。
「一年生たちは突然のことに驚いたかもしれません。けど、これをチャンスだと思ってどんどん前に出てください」
『はい』
一年生たちの返事を聞くと、轟先輩は満足そうに笑った。
みんなそれぞれ覚悟が決まったということだろう。
「轟先輩、質問いいでしょうか?」
「うんいいよ、香奈ん」
ここにきて、椎名から質問が出た。
「台本の役の数的に、役者全員が舞台に立てるわけではないと思うのですが、オーディションに落ちた人は裏方に回るということでしょうか?」
「そうだね。残念ながら役をあずかれなかった人は、裏方になってもらいます。でもでも、始めからそんなこと考えている役者はいないでしょ?」
「もちろんです。ただの確認事項です」
轟先輩の煽りに、椎名は強気に答えた。
ただ、その通りだ。やるからには役を勝ち取るつもりで挑むもの。
「ふっふっふっ。みんないい顔をしとるのぉ」
轟先輩がなぜか仙人のような口調で言った。
ないはずのヒゲを撫でる動作しとるし。
「では! だいたいの話はここまでだ! 実際やっていったら気になることも出てくるでしょう! それはその時に聞くのでまずは演出家になった樫田んから一言!」
「なっ!」
唐突の無茶ぶりに驚く樫田。
無理もないが、津田先輩や木崎先輩が拍手をして強引に話を進める。
場の空気は完全に樫田の一言を待っていた。
そして樫田はそれに答える。
「今回の劇……いや、あえて言わせてもらうが、この演劇部の演出家を引き継ぐことになりました。その意味を分かっている人が今どれだけいるか分かりませんが、引き継いだ以上はその責任を全う致します。だから、みんなも役者として、裏方として、全力で来てほしい。より良い劇にするために」
簡潔に、そして明確に樫田の強い想いを感じる言葉だった。
場が拍手に包まれる中、俺は一人実感していた。
俺達の代が主軸になっていくという当たり前を。
宣言通り、樫田はしっかりと引き継ぐだろう。
なら俺は?
演劇部の一員として、俺は先輩たちから何を引き継げるのだろうか?
俺の中で黒い感情がざわつくのを感じた。
「はーい! それじゃあ重大発表は以上だ! 部活再開しよっか!」
轟先輩の一声で、部活が再開するのであった。