部活終わりの帰り道。俺は椎名と二人で駅に向かっていた。
俺は自転車を押して、椎名は歩いている。
ちょっとトイレ行きたいから先帰ってくれ。という古典的な言い訳でみんなと別れた。
いや、樫田は気づいていただろうな。てか、他のみんなも薄々気づいているか。
ゴールデンウィークでほぼ周知の事実だもんなぁ。
そんなことを考えていると。
「これは由々しき事態かもしれないわ」
椎名がそう言った。
? 俺はどちらのことを言っているのか分からず、聞き返す。
「オーディションのことか? それとも樫田が演出家になったことか?」
「どちらも。けどどちらかというとオーディションの方かしら」
椎名の返答を聞いてなお、俺はその由々しき事態というのをよく分かっていなかった。
反応の悪い俺を見て、椎名がため息をした。
「はぁ。いい? なんで先輩たちはオーディションをしようと思ったのかしら?」
「そりゃ、部活でも言ってたけど複合的な理由だろ。まさか明確に何かあるって言うのか?」
「あるでしょうね、きっと」
断定する椎名。
このタイミングでその話をするってことは――。
「次の部長に関係しているってことか?」
「ええ、おそらくそうでしょうね」
俺がそう言うと、椎名は満足げに微笑む。
ただ、俺はまだピンと来ていなかった。
「どうしてそう思うんだよ」
「今まで通り演出家が配役するのだと、こっちが受け身の状態だわ。けどオーディションは自分でやりたい役を決める。言ってしまえば自主的に動くわ。そこを見たいのだと思う」
「そんなもんかね」
「もちろんそれだけだとは言わないわ。けど、やっぱり先輩たちは悩んでいるでしょうね」
「次の部長を誰にするかを?」
「ええ、だから平等にチャンスを与えた」
「はは、その言いぶりじゃまるでメイン役とった人が部長になるみたいだな」
「…………」
俺が冗談交じりに笑うと、椎名は真剣な表情で黙った。
え、まじ?
「いやいや、いくらなんでもそれはないだろ」
「私もそうは思っているわ。けど、考えてみて。メイン役になった人はその後の練習において中心人物となるでしょ」
「それはそうだが……」
要するに、メイン役をとった人は部長になるための評価される機会が増えるってことか。
言いたいことは分かるがどうなんだ? それ。
考えられなくはないが、なんかしっくりこないな。
「まぁ、どちらにしても私はもうやりたい役は決まっているわ」
「なんだよ。じゃあ動きは変わらないじゃん」
「ええ、でもそう思ったほうがやる気が出るのよ」
「ああ、なるほど」
「それに、きっと一番人気の役でしょうから」
「あの役か」
なんとなく、椎名がやりたい役が分かった。
不意に椎名がこっちを見て聞いてくる。
「杉野はもう決まっているのかしら」
「まだ、ちょっと悩んでいる」
「あら、てっきり主役を行くのかと思ったわ」
「それもありなんだが、急にオーディションって言われて正直戸惑っている」
「そんな余裕があるの?」
「分かっている。明日の部活までには決めるよ」
椎名の言う通りオーディション日までの時間は限られている。
迷えば迷うほど出遅れてしまう。
とはいえ、今は答えが出ないので俺は話題を変えることにした。
「……樫田、演出家になったな」
「そうね。妥当と言えば妥当じゃないかしら」
「轟先輩とのやり取りの意味分かった?」
「……憶測ではあるけれど、正直ちゃんとは分かっていないわ」
「そっか、どういう意味なんだろうな」
オーディションも気にしないといけないが、俺の中ではあの会話が気になって仕方なかった。
椎名も分からないか。
「確かに気になることではあるけれど、たぶん考えて分かることではないわ」
「どうして?」
「きっと……きっと今の私達には分からないことだと思うからよ」
どこか寂しそうに、椎名はそう言った。
もしかしたら、俺と同じように黒い感情を覚えているのかもしれない。
あるいは椎名なりに立場をわきまえようとしているのか。
「……そうだな」
俺はそれを肯定した。
現状において、樫田は俺達よりも上の段階にいる。
明確に何がとは言えないが樫田という存在が俺たちの代で大きいことは確実だ。
「それでも、私は部長を目指すわ」
椎名は力強くそう言った。
彼女の瞳には、固い意志と燃えるような熱意が宿っていた。
俺たちの目的は変わらない。
「ああ、当たり前だ」
俺が椎名の想いに答えるように断言した。
すると愉快そうに椎名が笑う。
何かおかしかったのか、思わず聞いてしまう。
「な、何で笑うんだよ」
「いえ、ごめんなさい。当然のように頷いてくれるから、少し嬉しくて」
椎名の言葉に顔が赤くなるのを感じた。
俺はとっさに、顔を椎名と反対側へ向けた。
「気を悪くしたなら謝るわ」
「そ、そんなんじゃねーよ」
「そう、なら安心したわ」
そう言いながら、椎名は笑っていた。
なぜか、背筋がムズムズして仕方なかった。
逃げるように外に意識を向けると、もう駅は目前だった。
「じゃ、じゃあ俺自転車で帰るから、今日はここまでだな」
「ええ、そうね。また明日」
「また明日」
そう言って、すぐに俺は自転車をこぎ出した。
椎名の方は振り返らずに懸命に足を動かした。
もう夜だって言うのに五月の風は生暖かかった。
徐々に熱が冷めていくのを感じた。
そして、ほほに当たる風がいつもより強いことに気づくと、段々とスピードを緩めていった。
なぜか俺は喉が渇いたので、近くのコンビニに立ち寄ることにした。
自転車を止め、中に入ろうとしたときだった。
「あれぇ。杉野先輩じゃないですかぁ」
聞きなれた声が、背後からした。