俺振り返ると、そこには田島が立っていた。
「あれ? みんなと先に帰ったんじゃ」
「……実はさっきまで樫田先輩とちょっと話していたんですよ。先輩は?」
「俺はちょっと喉が渇いてな」
「ふーん。私と同じですね」
そんな会話をしながら、俺達はコンビニに入る。
ん? 今さらっとなんか言った?
「どうしたんですか先輩。選ばないんですか?」
「あ、ああ」
飲み物コーナーに着くと、田島は水を選んだ。
俺はその横の棚のジンジャーエールを取り出した。
「ほら」
「え?」
俺が田島に空いている手を差し出すと、なんのこっちゃという顔をされた。
察しが悪い。
「まとめて買うから、それ」
「ええ! 悪いですよ!」
「いいから」
俺は半ば強引に水を取って、会計に向かった。
簡単に済ませると、俺はそのまま外に出た。
「ほい」
「あ、ありがとうございます」
水を渡すと、恐縮そうに感謝された。
ちょっと無理やり過ぎたか。
コンビニの端の方、自転車置き場で立ち止まり買ったジンジャーエールを飲む。
ああ、生き返る。
田島も俺に倣うように水を飲んだ。
「そういえばさっき樫田と話していたって言ってたけど、何話したんだ?」
「ん。ちょっとオーディションのことで聞きたいことがあって、戦いはもう始まってますからね!」
拳を突き出し、田島は冗談交じりに笑った。
活発は彼女らしいが、少しはぐらかされたか?
そんな勘ぐりを知ってか知らずか、田島から質問される。
「先輩はもうやりたい役とか決まったんですか? やっぱり主役ですか!?」
「いや、まだ迷っている」
「そうですか……私と一緒ですね」
「ああ、それで樫田に相談したのか」
「えっと、その、相談したのはちょっと違うんですけど……」
どこか答えにくそうに、気まずそうに田島は目をそらした。
よっぽど言いにくいことなのだろうか。
なら、俺は先輩としてできることをする。
「別に無理して言おうとしなくていいぞ」
「え……?」
「人間隠し事の一つや二つあって当たり前だ。俺だってみんなに言ってないことあるし、きっと樫田も他のみんなも秘密にしていることなんて当たり前にあるんだよ」
「先輩……」
「まぁ、はぐらかしかたはもうちょっと学んだ方が良いけどな」
「ははは、そうですね…………ありがとうございます」
田島は感謝を述べ、小さくお辞儀をした。
その態度は誠意の感じられるものだった。
隠したいこと、秘密にしたいことなんてよくある話だ。
それを聞き出すことで人間関係にひびが入るのなら、俺は知らないままでいいと思ってしまう。
俺と椎名が全国目指していることを未だに言わないでいるように、時が来れば言うことだってある。
そんなものは誰しもが持っているものだ。
「じゃあ、帰るか」
変な空気になったことだし、このまま解散しようと俺が自転車に鍵を刺したときだった。
「待ってください!」
少し驚くぐらいの声量で田島が止めた。
思わずそちらを向くと、真剣な表情でこちらを見ていた。
なんとなく、話す決意が決まったのだろうと察した。
「駅まで送るからさ、道中で話聞かせてよ」
「……はい」
俺達はゆっくりと駅へ向かった。
田島は自転車をはさんで俺の横をしっかりとついてくる。
少しの沈黙の後、田島は話し出した。
「……樫田先輩に相談したのは、春佳ちゃんのことです」
「池本の?」
「はい。杉野先輩は今日の部活でした読み稽古、どう思いました?」
……なんとなく話の方向性が見えた。
確認のために俺は尋ねる。
「池本の演技についてか?」
「はい」
「そうだな……滑舌は悪くないと思う。すらすらと読んでいたし変な解釈もしてなかった。しいて言えば、間の取り方とかは仕方ないにしても少し肩の力を抜いてもいいなとは思った」
「……やっぱり先輩たちって結構レベル高いですよね」
「そんなことないさ、地区敗退の弱小高だよ」
田島が何かを確信したようなにこちらを見るが、俺はすかさず否定する。
決してそんなことはない。俺達は高校演劇の中では三流だ。
引き継がれる知識や経験は強豪校に比べたら小さいものだ。
「入部初日に見せて頂いたエチュードとか、体の動きに無駄がないっていうか……ほら、手が意味もなく動く人とか逆に舞台に立っているのに何も演技しない人とかいるじゃないですか」
「なんかやけに詳しいな……」
「そ、そりゃ中学校で演劇部でしたからね! ね! それより春佳ちゃんの話です!」
「お、おう」
まくし立てるように早口で話を戻す田島。何? こわ。
勢いに圧倒され、頷くことしかできなかった。
「……たぶん、春佳ちゃん焦っているんです」
「焦っている?」
「はい。このままじゃ、自分は役を取れないんじゃないかって」
「それは……」
正直、何とも言えないことだった。
女子の中で池本だけが演劇初心者であることを考慮すると、その可能性は高い。
けれど立ち稽古になって化ける役者がいるように、必ずではない。
ではないが、現状の池本では難しいだろう。
さっき言わなかったが、今日の読み稽古で池本は少し浮いていた。
いや、他の役者と熱量が合わず完全に空回りしていた。
雰囲気を作るということに関していうなら決定的な問題だ。
そして、演劇において雰囲気が作れないというのは、役者として大きい問題だ。
「なるほどな。樫田は何て言ってたんだ?」
「意識して見ておくようにはするが、演出家として特別指導をするようなことはないって」
「そりゃそうだよなぁ」
適切にして妥当な判断である。
むしろこれで個人練習とかして、「あ、私って下手なんだ」みたいなことを思われた方が、結果として遠回りになるだろう。
やる気があること自体は、悪いことではない。
ただ少し周りが見えてなさすぎるのだ。
「樫田先輩は今のモチベーションを維持したまま、周りとのコミュニケーションを取れるようにするところからとも言っていました」
「ごもっともだな」
現状できるのはそれぐらいだろう。
しかし、田島の表情は晴れていなかった。
「……納得できないか?」
「いいえ、樫田先輩の言っていることはその通りだと思うのですが、じゃあ、その先で春佳ちゃんは役を取れるのかなって」
「…………」
俺は答えることができなかった。
轟先輩はチャンスがあるとは言っていたが、オーディションとは弱肉強食であり役をあずかることについて今一番遠いのは間違いなく池本だろう。
そんなことを考えていると、まもなく駅だった。
「あ、もう駅ですね」
「おう」
「杉野先輩、相談に乗ってくださりありがとうございます」
「いいよ。こっちこそいいアドバイスできなくてすまんな」
「あ、謝らないでください! 話して楽になりましたから」
「そっか、ならよかった」
「それじゃあ、失礼します」
一礼して田島は、駅の方へ消えていった。
俺はそれを黙って見ていた。