五月も中旬、夜も暑い。
ピッという音が鳴ってエアコンが動き出す。
夕食を終えて自室に戻った俺はリモコンを机に置いて、スマホを手に取った。
スマホの時計を見ると、夜九時近くになっていた。
今日は帰り道色々あったためか、こんな時間になってしまった。
俺はベッドの上に座り、スマホをいじりだす。
連絡を入れると、すぐに反応が来た。
『通話するか?』
『ああ、頼む』
お互い短くメッセージを送った。
すぐにスマホが震えだす。
俺は通話ボタンをオンにして出る。
『お疲れ』
「おう、お疲れ」
電話の相手、樫田は俺の声を聞くとさっそく本題に入った。
『メッセージ見たけど田島と話してって? 用件は池本についてか?』
「話が早いな」
『話が早くても、結論は遠いぞ』
珍しく樫田がそんなことを口にする。
よっぽど困っているのか。
「やっぱり難しい話か」
『正直な。だが助かった。独りで考えるのも限界だったし、話し相手が欲しかったところだ』
「なら良かった、のか? 俺も何もアイデアないぞ」
『だとしてもだ。無い知恵絞るのはお互い様だ』
通話越しだが樫田は本当に参った様子に思えた。
俺は軽く田島と何を話したのかを説明した。
『そうか。おおむね俺が話した内容と同じだ。問題は池本の気の焦りだろうな』
「ああ。樫田的に今日の稽古中の池本はどうだった?」
『熱心なのは分かるが、他の人とのコミュニケーション……いわゆる会話のキャッチボールが出来ていなかったな。あれじゃあ演技以前の問題だ』
「だよなぁ」
樫田も俺と同じような結論に至っていた。
基礎の基礎の話。自然に会話するという難しさを池本は知らないのだろう。
初心者だから仕方ないといえばそうなのだが、だとしても努力が嫌な方向に向いている。
それになりより、まだ重要な事を分かっていないままだ。
「なんで池本は、そんなに焦っているのだろうな?」
『そこだな。本質にして根本的な理由を俺達は知らない』
俺の疑問に樫田が賛同する。
ああ、そうだ。理由が分からないと対処のしようがないのだ。
なぜ池本が焦っているのか。何が彼女をそうさせるのか。
『そういえば、池本に渇望の話をしたって言ってたな』
「ああ、それがどうした?」
『いや、池本はけっこう生真面目そうだからな。そういう衝撃の話を変に真剣に考えそうでな』
「そうだな…………」
なんとなく、樫田の言いたいことが分かった。
演劇の世界。いや、きっと世の中には考えるだけでは分からず泥沼にはまってしまうことが多々あるのだろう。
実感することで初めてわかることや他人が答えを持っている事なんて山のようにある。
それらのことに対して、頭で理解しようとするのは間違っている。
必要なのは感性。
性で感じることで初めてわかる根源的で原始的なことだ。
その点、確かに池本は頭で考えてしまうタイプなのかもしれない。
「渇望の話したのは失敗だったか」
『いや、そんなことはないさ。池本なら遅かれ早かれその壁にはぶつかっているだろうからな。早いに越したことはない。むしろあのタイミングで知ったからこそ、春大会で化ける可能性も出てきたしな』
「だといいんだが」
樫田は嬉々としていたが、俺にはフォローされたように聞こえた。
電話越しに何かを感じたのか、樫田は笑った。
『勘違いするな。褒めているんだ。渇望の話はお前にしかできないからな』
「そりゃどーも。でも実際問題どうするよ?」
『そうだな……少し様子見しかないんじゃないか? なぜ焦っているのか分からないしな』
「結局そうなるわけか」
『タイミングがあれば杉野には探ってほしい』
「分かった。可能だったらやってみるわ」
『よろしく頼む』
方針が決まった。とはいえ様子見だが。
話が終わっただろうと思った時、樫田がぼそっと呟く。
『……気になるのは田島もだがな』
「田島?」
『ん、ああ。やけに池本のことを気にしていたからな』
「……そういえばそうだな」
言われてみると、少し気になった。
オーディションが決まってすぐのこのタイミングで、池本の異変にすぐに気づいた。
同学年の友達と言えばそうだが、にしても行動が早すぎるようにも感じる。
考えすぎか?
俺が黙っていると、樫田が謝る。
『変なこと言ってすまんな』
「いや、大丈夫だ」
『じゃあ、今日はもう遅いし、ここまででいいか?』
「ああ、大丈夫だ。ありがとう。また明日」
『ああ、また明日』
そういって俺は通話を切った。
そのまま体の力を抜きベッドに横たわる。
今日は本当に色々あったな。
オーディションか。
俺もやりたい役決めないとな。
そう思いながらも、自分の中で踏ん切りがついてないのが分かった。
別に主役を選んでもいいのに。なぜか俺の中で熱量が燃えないのだ。
主役に対するモチベーションが今はなかった。
「何でかなー」
そう呟くが、答えは返ってこない。
今までは演出家に配役されていたためか自分で役を選ぶということが、どうもしっくりこなかった。
決めないといけないのに、睡魔に襲われ段々とまぶたが重くなってきた。
気づくとそこで意識が途切れていた。