俺の後輩が結婚する運命の土曜日。
時刻は深夜3時。
そろそろ雀たちがチュンチュンするべく準備体操を始める時間帯。
俺、安堂ロミオことロミオゲリオンは細心の注意を払いつつ、自室から廊下に向けて顔を出していた。
「……よし。誰も居ないな」
進路オールクリア、いつでもいけますっ! と心の中のオペレーターの声に従い、カサカサと黒い閃光を彷彿とさせる素早さで廊下へと飛び出る。
この時間、ジュリエットお嬢様は夢の世界に
時間も無いコトだし、さっさと屋敷を出てしまわなければ。
俺は待ち合わせの場所へと急ぐべく、物音を立てないように早足で玄関へと続く廊下を歩いて行く。
「待ってろよ、ましろん」
決意を新たに1歩前へと踏み出す。
が、世の中そうそう上手くいくようには出来ていないらしい。
「――まさかココまでマリアの予想通りとはなぁ」
「ッ!?」
予期せぬ声音に、道端で露出魔と出会った女子高生のようにビクリッ!? と肩が震える。
俺は反射的に声のした方向に視線を向けると、玄関の前、そこには予想していなかった人物が仁王立ちして俺を
ゆるっとしたTシャツにハーフパンツというラフな格好のクセに、その眼光は研磨されたナイフよりも鋭く、確固たる意志と闘志が宿っていた。
気がつくと俺は、寝巻きに身を包んだ少女の姿をマジマジと眺めていた。
「こんな
「じゅ、ジュリエット様……」
玄関の前、そこには真っ直ぐ俺だけを見据えて睨みつけてくる我が主の姿があった。
どうしてこんな時間に起きて!? と、色んな言葉が脳裏に浮かんでは
「マリアに言われた通り、ロミオを注視していて正解だったな」
ジュリエットお嬢様は、いつものぽわわ~ん♪ とした『わんこ』モードではなく、敵対者を情け容赦なく追い詰める『鉄仮面』モードで冷たく俺を
瞬間、バチバチバチッ! と暗闇の中で青白い光が点灯する。
それだけでジュリエットお嬢様の持っている獲物が何なのか分かった。
「ボクはまどろっこしいのは嫌いだ。だから単刀直入に言う――部屋に戻れ、ロミオ」
途端に小さいハズのお嬢様の身体が自分よりも大きく、巨大に見えてしまう。
なんて迫力だよ……ほんと年下か?
全身の産毛がチリチリと逆立つ。
ジュリエットお嬢様が本気なのはすぐに分かった。
「おまえを白雪の姫の居る場所に行かせるワケには行かない」
「…………」
「部屋に戻れ、ロミオ。今ならまだ間に合う。大人しくボクの言うことを聞け」
バチバチッ! と凶悪なまでに電気が
アレを喰らったら痛いだろうなぁ……。
正直、俺も出来ることなら今すぐ引き返したい事この上ないのだが……。
ふと自分の足へと視線を落とす。
そこには主の意志に反して、勝手に前へと進もうとする俺の両足があった。
まるで見えない鎖に引っ張られるように、自然と前へと歩き出す俺の両足。
そんな俺の姿を見て、ジュリエットお嬢様がギョッ!? と目を見開いた。
「と、止まれロミオ! これが見えないのか!?」
「申し訳ありません、お嬢様」
「あ、謝るくらいなら止まれ!? こ、コッチに来るな!」
1歩、また1歩と距離を詰める
ドンッ! とお嬢様の背中が玄関の扉とぶつかる。
途端にキッ! と眉根を吊り上げ、手に持っていたスタンガンを威嚇するように俺の方へと突きつけた。
「ソレ以上近づいたら容赦はしないっ! ぼ、ボクは本気だぞ!?」
バチバチッ! と火花を散らすスタンガンの音が耳に痛い。
ジュリエットお嬢様が俺の事を心配してくれている事は分かる。
それでも、俺は行かなければならないのだ。
「
「く、来るな……来ないで。来ないでよぉ……ロミオくん……」
顔に張り付けていた鉄の仮面がガラガラと崩れ落ち、お嬢様は今にも泣き出しそうな顔をして俺を見上げていた。
目を離すと膝から崩れ落ちて号泣してしまいそうだ。
その瞳はあまりにも痛々しく、見れたモノではなかった。
が、それでも俺は前に進まなければならないのだ。
「どうして!? どうして言うことを聞いてくれないの!?」
子どものように
そんな彼女に愛おしさを感じながら、また歩を進める。
気がつくと俺たちはお互いの鼻息が聞こえそうな距離まで接近していた。
お嬢様が少し手を動かせば、簡単に俺の意識を奪うことが出来る距離。
それでもジュリエットお嬢様はスタンガンを俺に向けることなく、スンッ! と鼻を鳴らして
「だから嫌だったのに……ロミオくんを他の女に絡ませるのは。悪い女に騙されて、不良になっちゃうんだ。そしていつかボクの言うことを聞かなくなって、盗んだバイクで走りだしちゃうんだっ! あの優しいロミオくんがっ!?」
「白雪様は別に悪女ってワケではありませんよ?」
「悪女だよっ! ボクのロミオくんをこんなに
別に
と口の中だけでモゴモゴ反論しつつ、俺は荒ぶるジュリエットお嬢様に向かって苦笑を浮かべた。
「そりゃボクだって白雪さんの事は心配だよ。でもね? ソレ以上にロミオくんの方が大切なんだよっ!」
もはや言葉にならない感情がポロポロと目尻から零れ落ちていくジュリエットお嬢様。
そんな彼女がやっぱり愛おしくって、イジらしくって、俺はついついお嬢様の頭をそっと撫でてしまった。
「申し訳ありません、お嬢様。……でも、必ず戻って来ますから。だから、自分を信じてください」
それでも、今の俺が彼女に言えることはコレが精一杯。
あとはお嬢様の判断に任せるしかない。
運を天に任せるような気持ちでジュリエットお嬢様を見守っていると、お嬢様はピスピスと鼻を鳴らしながら、ポショリっと小さくつぶやいた。
「……ロミオくんはズルいアンドロイドだよ。そんな言い方されたら、ボクはもう何も言えないよ……」
「申し訳ありません」
だらんっ、とジュリエットお嬢様の身体から力が抜けるのが分かる。
ほんとズルい男で申し訳ないと思う。
でも、こればっかりは譲ることが出来ない。
ごめんなさい、ジュリエット様。
心の中で頭を下げる俺を、お嬢様は潤んだ瞳で見上げながら、小犬が主人に
「どうせ止めても行くんだよね?」
「はい、行きます」
「その選択がどうしようもなく間違っていたとしても?」
「その選択がどうしようもなく間違っていたとしても、行きます」
「……賢い選択じゃないね」
ようやく見せてくれたお嬢様の笑顔は、何とも苦々しいモノだった。
賢い選択じゃない……か。
いやはや、自分でもそう思いますよ。
でも――
「利口であることがベストだとは思っていませんので」
それでは行ってきます、と名残惜しさを感じつつもジュリエットお嬢様の頭から手を離す。
そのまま彼女の脇を抜け、玄関を開ける。
そして俺は月の光に導かれるように大地を蹴り上げ、桜屋敷を後にする。
背後から愛しのご主人様の視線を感じつつも、俺はもう振り返ることはしなかった。