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第七十五話/最期の願い

 シュテンが見たのは、深刻な表情でヨーローの杖に魔力を込め続けるマンジュと、それを取り囲むメイとアンナだった。

「おかしいっス…おかしいっスよ!」

一同の顔には焦りが見え始めている。

視線の先には、岩にぐったりと凭れ掛かったまま、呼吸を荒くするイバラギの姿があった。

「どういう事ですか…一切傷が塞がってないじゃないですか!」

「それどころじゃねぇ…広がってるぞこれ…」

アンナがイバラギの皮膚をなぞる。

傷口から根を張るように、謎の黒い染みが広がっていたのだ。

ざっくりと開いた肩、また腹に空いた穴からは相変わらず大量の血が溢れている。

「どうなってるっスか…この杖で治せない傷なんて聞いた事ないっスよ!?」

マンジュは、メイがゲンジと戦っている時からずっと治療を続けている。

違和感を感じながらも、きっと傷が深いだけだと言い聞かせ、最善を尽くしていた。

「くそ…治れ…治れ…っ」

長時間の治療による魔力の消耗、その前から続く戦闘の疲れもあってか、気付けばマンジュの息は上がっていた。

「…ちょっと、見せてみろォ」

シュテンがイバラギの前にしゃがみ込む。

「……」

傷口に手を触れる。

ピリッと、何かの気配を感じた。

「……鬼道・救技『同鬼連枝』」

傷口を妖力で繋ぎ合わせて修復する技だ。

通常の傷であれば、これで塞がるはずであった。

「…………やっぱァ、駄目かァ」

どれだけ妖力を使っても傷口は塞がらなかった。

シュテンはイバラギの体から手を離す。

「シュテン殿…?」

「マンジュ、もう止めろォ」

「え…アニキ?」

「これ以上は…りきの無駄だァ」

「で、でも…」

マンジュはシュテンの指示とはいえ、踏み切れずに狼狽する。

メイとアンナもシュテンの言葉を飲み込めずにいた。

その時、後方で足音がした。

「説明してあげようか」

メイが素早く抜刀する。

「何者ですか!」

「やだなぁ、忘れたのかい?」

足音が近付くにつれ、月明かりに顔が照らし出される。

「あ…貴女はっ!」

「やぁ、お久しぶりだね」

フランクに手を振るその少女は、ヴェイングロリアス領都シンビにてメイが剣術指南を受けた、あの少女であった。

「結構良くなってきたじゃない?太刀筋」

「え、あ、ありがとうございます…じゃなくて!」

少女はケタケタと笑う。

「ああ、ごめんごめん。教えてあげるよ」

少女はイバラギを指差す。

「その子はもう助からない、って彼は言いたいのさ」

全員の視線が指の先、イバラギへと集まる。

その間に少女は、落ちていた魔剣ヒゲキリを拾い上げた。

「その子は、かつて自分の血をたっぷり吸ったこの魔剣で致命傷を負った。それが呪いのように体を蝕んでるのさ。他の魔剣ならまだ助かったかもしれないが、どんな回復魔法も、相性が良い血の呪詛には勝てない…いやぁ因縁ってのは怖いねぇ」

再び笑う少女に、シュテンは背を向けたまま動かない。

「それに、もう妖力も残ってない。今から妖力を分け与えても技を使う余裕は無い。そのどうしようもなさは、いくら酒呑童子と言えども覆せないのさ」

「鬼道・装技『意鬼投合』」

シュテンが少女へ技を放つ。

地面に突き刺さった拳は、付近の岩や木々を根元から吹き飛ばした。

「失せろォ」

シュテンがそう呟くと、山の何処からか少女が笑う声が木霊した。

「おー怖い怖い、じゃあまたねぇ」

眼前で倒れゆく木々を流し見て、シュテンは踵を返した。

「シュテン殿…今の話は…」

「…あァ、本当だァ」

「そんな…」

メイが目を伏せたその時、視界の端でイバラギの手がゆっくりと挙がった。

「カ…シラ…」

シュテンはイバラギの正面に戻る。

「なんだァ」

「手を…握っちゃぁ、くれねぇか…」

「あァ?」

困惑するシュテンだが、メイが無理やり引っ張って繋がせる。

「こうですよ、こう」

「お、ォ…?」

シュテンはメイのジェスチャー通りに、手に力を入れる。

「へ、へへへ…人の手ってのぁ…あったけぇなぁ…」

「イバラギ殿…」

「こんなにあったけぇもんだたぁ…知らなかったぁ…」

シュテンの手を握るイバラギの力が、少しだけ強くなった。

「…なぁ、カシラ………あと、おめぇ達にも、頼みがあんだ…」

「なんだァ、言えェ」

イバラギはシュテンの目へ笑いかける。

「オイラよぉ…どうしても、カシラ達と一緒に旅がしたくなっちまった……」

僅かに両腕を持ち上げる。

「この両腕を…連れて行っちゃくれねぇか」

シュテンが怪訝な顔を返す。

「オイラの手は…鬼の中でも特別製だぁ…篭手にすりゃあ、カシラの手によく馴染むはずだぁ」

シュテンはメイたちと視線を交わす。

「…やって、くれるかぁ?」

「は、はい!必ず!」

メイが力強く答えると、マンジュも続く。

「腕の良い職人見つけて、意地でも作るっス!ね!お嬢!」

「あ、おう!脅してでも作らせるぜ!」

イバラギがシュテンを見ると、シュテンは静かに一回だけ頷いた。

それを見ると、イバラギは安らかな表情で微笑み、マンジュの方を見る。

「…おめぇさんらも、悪かったな…痛め付けちまって」

「お互い様っスよ」

「ははっ…そうかぃ」

イバラギは上を向いて息を吐く。

「カシラを…頼んだぜぃ…」

メイ達三人は、深く頷いた。

「カシラ…先に地獄で待ってっからよ…いつか聞かせてくれや…………鬼が、人として生きた世の話を…」

「あァ…楽しみにしとけェ…」

イバラギは、満足そうに目を閉じた。


空が白み始めた頃、カティ率いる王国騎士団の捜索隊は、西の山で四人の冒険者を保護し、身元不明の遺体を一体回収した。

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