シュテンが見たのは、深刻な表情でヨーローの杖に魔力を込め続けるマンジュと、それを取り囲むメイとアンナだった。
「おかしいっス…おかしいっスよ!」
一同の顔には焦りが見え始めている。
視線の先には、岩にぐったりと凭れ掛かったまま、呼吸を荒くするイバラギの姿があった。
「どういう事ですか…一切傷が塞がってないじゃないですか!」
「それどころじゃねぇ…広がってるぞこれ…」
アンナがイバラギの皮膚をなぞる。
傷口から根を張るように、謎の黒い染みが広がっていたのだ。
ざっくりと開いた肩、また腹に空いた穴からは相変わらず大量の血が溢れている。
「どうなってるっスか…この杖で治せない傷なんて聞いた事ないっスよ!?」
マンジュは、メイがゲンジと戦っている時からずっと治療を続けている。
違和感を感じながらも、きっと傷が深いだけだと言い聞かせ、最善を尽くしていた。
「くそ…治れ…治れ…っ」
長時間の治療による魔力の消耗、その前から続く戦闘の疲れもあってか、気付けばマンジュの息は上がっていた。
「…ちょっと、見せてみろォ」
シュテンがイバラギの前にしゃがみ込む。
「……」
傷口に手を触れる。
ピリッと、何かの気配を感じた。
「……鬼道・救技『同鬼連枝』」
傷口を妖力で繋ぎ合わせて修復する技だ。
通常の傷であれば、これで塞がるはずであった。
「…………やっぱァ、駄目かァ」
どれだけ妖力を使っても傷口は塞がらなかった。
シュテンはイバラギの体から手を離す。
「シュテン殿…?」
「マンジュ、もう止めろォ」
「え…アニキ?」
「これ以上は…
「で、でも…」
マンジュはシュテンの指示とはいえ、踏み切れずに狼狽する。
メイとアンナもシュテンの言葉を飲み込めずにいた。
その時、後方で足音がした。
「説明してあげようか」
メイが素早く抜刀する。
「何者ですか!」
「やだなぁ、忘れたのかい?」
足音が近付くにつれ、月明かりに顔が照らし出される。
「あ…貴女はっ!」
「やぁ、お久しぶりだね」
フランクに手を振るその少女は、ヴェイングロリアス領都シンビにてメイが剣術指南を受けた、あの少女であった。
「結構良くなってきたじゃない?太刀筋」
「え、あ、ありがとうございます…じゃなくて!」
少女はケタケタと笑う。
「ああ、ごめんごめん。教えてあげるよ」
少女はイバラギを指差す。
「その子はもう助からない、って彼は言いたいのさ」
全員の視線が指の先、イバラギへと集まる。
その間に少女は、落ちていた魔剣ヒゲキリを拾い上げた。
「その子は、かつて自分の血をたっぷり吸ったこの魔剣で致命傷を負った。それが呪いのように体を蝕んでるのさ。他の魔剣ならまだ助かったかもしれないが、どんな回復魔法も、相性が良い血の呪詛には勝てない…いやぁ因縁ってのは怖いねぇ」
再び笑う少女に、シュテンは背を向けたまま動かない。
「それに、もう妖力も残ってない。今から妖力を分け与えても技を使う余裕は無い。そのどうしようもなさは、いくら酒呑童子と言えども覆せないのさ」
「鬼道・装技『意鬼投合』」
シュテンが少女へ技を放つ。
地面に突き刺さった拳は、付近の岩や木々を根元から吹き飛ばした。
「失せろォ」
シュテンがそう呟くと、山の何処からか少女が笑う声が木霊した。
「おー怖い怖い、じゃあまたねぇ」
眼前で倒れゆく木々を流し見て、シュテンは踵を返した。
「シュテン殿…今の話は…」
「…あァ、本当だァ」
「そんな…」
メイが目を伏せたその時、視界の端でイバラギの手がゆっくりと挙がった。
「カ…シラ…」
シュテンはイバラギの正面に戻る。
「なんだァ」
「手を…握っちゃぁ、くれねぇか…」
「あァ?」
困惑するシュテンだが、メイが無理やり引っ張って繋がせる。
「こうですよ、こう」
「お、ォ…?」
シュテンはメイのジェスチャー通りに、手に力を入れる。
「へ、へへへ…人の手ってのぁ…あったけぇなぁ…」
「イバラギ殿…」
「こんなにあったけぇもんだたぁ…知らなかったぁ…」
シュテンの手を握るイバラギの力が、少しだけ強くなった。
「…なぁ、カシラ………あと、おめぇ達にも、頼みがあんだ…」
「なんだァ、言えェ」
イバラギはシュテンの目へ笑いかける。
「オイラよぉ…どうしても、カシラ達と一緒に旅がしたくなっちまった……」
僅かに両腕を持ち上げる。
「この両腕を…連れて行っちゃくれねぇか」
シュテンが怪訝な顔を返す。
「オイラの手は…鬼の中でも特別製だぁ…篭手にすりゃあ、カシラの手によく馴染むはずだぁ」
シュテンはメイたちと視線を交わす。
「…やって、くれるかぁ?」
「は、はい!必ず!」
メイが力強く答えると、マンジュも続く。
「腕の良い職人見つけて、意地でも作るっス!ね!お嬢!」
「あ、おう!脅してでも作らせるぜ!」
イバラギがシュテンを見ると、シュテンは静かに一回だけ頷いた。
それを見ると、イバラギは安らかな表情で微笑み、マンジュの方を見る。
「…おめぇさんらも、悪かったな…痛め付けちまって」
「お互い様っスよ」
「ははっ…そうかぃ」
イバラギは上を向いて息を吐く。
「カシラを…頼んだぜぃ…」
メイ達三人は、深く頷いた。
「カシラ…先に地獄で待ってっからよ…いつか聞かせてくれや…………鬼が、人として生きた世の話を…」
「あァ…楽しみにしとけェ…」
イバラギは、満足そうに目を閉じた。
空が白み始めた頃、カティ率いる王国騎士団の捜索隊は、西の山で四人の冒険者を保護し、身元不明の遺体を一体回収した。