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STORY7.走馬灯

 ───リザードマンが跳んだ。


 軽い動作で行ったとは思えないほど高い跳躍。離れていた距離が瞬く間に詰められ、その影が俺たちの元に届くと同時にソフィアを抱えたままその場を転がって離れる。

 カッコよくジャンプして離れる事で出来たら良かったんだけど、人を一人抱えて行うのは俺には厳しかった。体勢を立て直せてなかったのも大きいと言い訳させて欲しい。


 ドゴォンと大きな音が鳴ったのはその後直ぐだ。その発生源は先程まで俺たちがいた場所。状況を把握する為に視線を向ければ巨大な包丁を地面に振り下ろして固まるリザードマンの姿がある。

 蜘蛛の巣のようにひび割れて出来た大きなクレーターが、その一撃の威力を物語っていた。


「あぁん?なんで避けてんだてめぇ!」


 避けるに決まってるだろと言い返したかったが、殺気の籠った血走った目と目が合うと自然と閉口してしまった。怖すぎだろと表に出さないようにしつつ、心中で零す。

 この場が俺一人なら心の声も思わず漏らしていただろう。けど、今俺の傍にはソフィアがいる。今の状況はソフィアも怖い筈だ。俺も同じように怖がっていれば彼女が余計に恐怖を抱いてしまう。


「ケイト⋯」

「大丈夫だ。必ず俺が護る」

「うん」


 俺と違って何が起きたか分かっていない様子だった。それでも体を針で刺すような鋭い殺気に異常事態ではある事は分かっているのか、震えた声で俺の名を呼んだ。

 大丈夫だと安心させるようにその身体を抱きしめながら、視線はリザードマンから離さない。正確に言うなら離せないというのが正解か。目を離したその瞬間に俺たちの命があの包丁に刈り取られるんじゃないかと、その恐怖から目を離す事が出来ない。


 次は何をしてくる? また跳躍して攻撃してくるのか? 俺に出来る事はなんだろうか? 反撃しようにも手元に剣はない。それにソフィアを庇っている状態では避けるので精一杯だ。なら、今俺に出来る事をしろ。

 リザードマンの手や足元、目の動きを注意深く観察する。戦いにおいて大切なのは相手がどう動こうとするか知る事だと師匠は言っていた。距離を詰めようとすれば足の指先に力が入る。リザードマンは人のように靴を履いている訳では無いから足元はよく見える。


 不気味なくらい自然体だ。どこにも力が入っていない。包丁を持つ右手もダラーっと下がっている。急にどうしたんだ?

 リザードマンの考えが分からず困惑していると、充血した琥珀色の瞳が真っ直ぐに見つめる先に気付いた。視線の先にいるのは俺じゃない⋯ソフィア?

 まさか!狙いはソフィアか!


「邪魔者がいるじゃねぇか。ふざけんなよ⋯。おい、ガキぃ!そこの小娘は邪魔だ!今すぐ何処かに行かせろ!」


 違った。どういう訳か分からないがリザードマンの狙いは俺のようだ。不機嫌そうに吐き捨てた声には先程と同じように殺気が込められている。脅し⋯いや、命令か。従わないと殺すという意思が感じ取れた。


「ひっ⋯」


 今の言葉は俺にだけ向けられたものではない。小娘と呼ばれ自分の事だと思い声のする方を見てしまったらしい。ソフィアが小さく悲鳴を漏らした。異常事態が起きていると頭で分かっていても、俺が庇うように抱きしめていたのでまだリザードマンの姿までは見てなかった。

 俺でもおぞましいと思うリザードマンの姿をそこ目に映した事で恐怖が込み上げてきたのか、ソフィアの体は震えていた。その恐怖を取り除く手段は一つしかない。


「ソフィア、大丈夫だ」

「ケイト⋯」

「どうやらモンスターの標的は俺らしい。だから、ソフィアは逃げてくれ」


 どういう訳か知らないが狙いは俺であり、ソフィアには関心がないように思える。なら、俺が相手をする事でソフィアだけでも逃がしてあげる事が出来るんじゃないか?

 俺とソフィアのやり取りを見ているリザードマンも早くどっかに行けと言葉を飛ばしてきた。


「けど⋯ケイトを置いて逃げるなんて」


 恐怖に体は震えているのにも関わらず俺の事を気にしてくれるソフィアに、心が奮い立つが気がした。リザードマンに対する恐怖は残ってる。けど、ソフィアの為にも俺はやらないといかない。


「俺を助けると思って逃げてくれ。村の決まり事に従って⋯な?」

「あ⋯うん!」


 リザードマンにはバレないように応援を呼んでくれとソフィアに伝える事で漸く決心がついたらしい。これでいい。


「ケイト」

「なんだ?」

「死なないでね」

「あぁ!必ず生き残る!」


 ソフィアの言葉に力強く応えるといつものように笑みを浮かべてくれた。これが俺が見るソフィアの最後と笑顔じゃない事を祈ろう。


「うおっ!」


 不意に背中に腕を回してソフィアが抱きしめてきた。ソフィアのおっぱいが当たり柔らかいなんて、場違いな感想が浮かんだがどうか流して欲しい。俺も男なんで、な?


 ───暫く抱き合っていたと思う。痺れを切らしたリザードマンが早くしろと言葉を投げつけてくるまでずっと、別れを惜しむように抱き合っていた。


「ソフィア」

「うん」


 名残惜しそうにソフィアが離れた。目に涙が溜まっている。心配そうな表情だ。俺がもっと強ければソフィアにこんな思いをさせなかっただろう。師匠だったなら、ロドフィンだったならソフィアも安心して離れる事が出来ただろう。

 もっと強くなりたい。ソフィアを安心させられるくらい強く、逞しく。その為にも生き残らないといけない。


 何か言いたげに口を開いたソフィアが、そのまま閉口したと思うとゆっくりと立ち上がり俺に背を向けた。言いたいことを我慢したのか?そんな気遣い俺にはしなくていいのに。


「後で会おう!」

「うん!必ずだよ!」


 最後にこちらに振り返りお互いに頷き合った後、ソフィアは走ってその場から離れて行った。震えていたのが嘘だったような軽やかな走り出しに俺も感心してしまう。それも全て俺の為⋯なんだろうな。ありがとう、ソフィア。


 さて、これでソフィアをこの場から逃がす事が出来た。リザードマンの目的が何かは知らないが狙いが俺だけで良かったと心から思う。同時に色々と疑問も浮かび上がってくるけど、今はそれどころではなさそうだ。

 強い視線を感じた。小さくなっていくソフィアの姿に名残惜しさを覚えつつ振り返れば不機嫌そうに顔を顰めるリザードマンの姿がある。


「随分と待たせやがって」


 苛立ちを隠す様子はない。待たせた自覚はあるが、待ってくれるとは思っていなかった。なんならソフィアが離れた瞬間に攻撃してくるとすら思っていた。

 意外な事にリザードマンは俺とソフィアのやり取りを静観していた訳だ。見られていた事に対する恥ずかしさもあるが、変に空気の読めるリザードマンに本当にモンスターかコイツと思ってしまう。

 喋っている事につっこむのも今更か。俺が見たアニメではリザードマンが普通に喋っていたり恋愛してたりしたから、そのせいでモンスターが喋る事に違和感がなかったりする。前世の知識の弊害か?


「待ってくれたのか?」

「あぁん!?テメェの為に待ったんじゃねぇよ!俺様の為だ!俺様の楽しみの為に待って、逃がしてやっただけだ、勘違いするなよクソガキ」


 口が悪い。けど、会話は出来る。可能ならこのまま何故俺を狙うのか確認したいところだが⋯流石にそうはいかないらしい。

 ケヒャヒャヒャと明らかに敵サイドの者しかしない笑い声を上げながら、リザードマンが包丁の切っ先を俺へと向けた。琥珀色の瞳はしっかりと俺を捉えている。目は口ほどに物を言うとはよく言ったものだ。言葉にはなっていないが、目が語っている。俺を殺したくて仕方ないと。


「さて、邪魔者もいなくなった。俺様に殺される覚悟は出来たか、クソガキ?」

「いや、流石に死にたくはねーよ」

「ケヒャヒャヒャ!てめぇが死にたくなくても俺様が殺すんだよ!」


 もう話す気はないと言わんばかりにリザードマンが地面を強く踏みしめると共に跳躍した。全身に叩き付けられる殺気に一瞬硬直してしまったが、リザードマンが無駄に高く跳躍した事で回避は余裕で間に合う。

 また頭上から包丁を振り下ろしてくる気か?その一撃は確かに強力だが、振りは大きく攻撃動作が分かりやすいから対処はしやすい。

 モンスターとはいえ高い知能を持っているのは既にわかっている。なのに何故、攻撃がこんなにワンパターンなんだ? 込み上げてきた疑心は警戒へと繋がった。


 その警戒が俺の命を救ったと言っていい。


「⋯⋯っ!!」


 包丁を持っていない左腕をリザードマンが大きく、そして力強く振るった。

 何の為に? 距離も離れているのに? 攻撃なのか? リザードマンの行動の意図が読めず疑問が込み上げてきた。その答え合わせをするかのように空気を切り裂きながら、掌サイズの何かが俺へと迫っていた。

 警戒していたからこそ、能力の発動が間に合ったと言っていい。視界にソレが映ると共に能力で時を止めて直ぐに回避行動に移る。時が動き出すと顔めがけて投擲したとされる掌サイズの石が顔の横を通り過ぎていった。


 ドンッと地面に着弾した石が大きな破壊音を立てていたが振り向いて確認する余裕はない。

 投擲した石はあくまでも囮。狙いはやはり頭上からの攻撃!! 俺を脳天からかち割ろうと巨大な包丁が迫るが、動き出したが間に合った事で紙一重で回避する事が出来た。体の真横を通り、地面に叩きつけられた包丁には流石にヒヤッとしたな。あと少し回避が遅れていたら腕か足のどちらかを無くしていたかも知れない。


「おっと!」


 ホッと一息つく間もなく黒い鱗に包まれたリザードマンの足が俺へと伸びていた。靴は履いていないんだなとか、爪が伸びてて鋭いな、なんてどうでもいい情報を視覚から入手しながら冷静に蹴りの軌道を読んで回避する。


「チッ!少しはやるな!」


 お褒めの言葉をありがとうな!なんて軽口を叩けたらいいんだが、残念ながら俺にそんな余裕はない。横一文字に振るわれた包丁の一撃を転がって回避しながら、どうにかして剣を拾えないかと思考を巡らせている。

 師匠との鍛錬のお陰でどうにか戦えてはいるけど、防戦一方のこの状況が長く続けば間違いなく俺が不利だ。幸運な事に地面に転がった剣の位置は把握出来ている。ただ、不幸な事にその距離は決して近くない!


「くそっ!」

「どうした!どうした!避けるしか出来ないのか!クソガキぃ!」


 次々と繰り出される包丁の一撃を軌道を読んで交わしていく。時折とんでくる蹴りや拳は最悪当たっても死なないだろうが、刃物による一撃だけは絶対に食らってはいけない。

 縦振り、続けて横振り...これはフェイント! 狙いは足元!


 危険と判断したものは時を止めてでも回避する。師匠から最も重要な事として教わった回避行動が今、実戦で活かされている!


「テメェ!」


 リザードマンが苛立っているのが良く分かる。もっと簡単に俺を殺せると思ったんだろう? そうだな⋯師匠と出会う前の俺なら簡単に殺せたと思う。師匠との出会いがあったからこそ俺はこうして戦えるまで強くなれた。

 戦えるんだ、俺は!


「戦えていると思ったか?」


 ゾッとするような冷たい声と禍々しい殺気。本能的な恐怖に体が固まってしまった。バカか俺は!と直ぐに我に返り迫ってくる包丁を見て時を止めて回避しようとした。だが、足が動かない。

 なんで動けない? 恐怖で体が固まっているからか? 違う!俺の足をリザードマンの尻尾が押さえ付けている!

 足に力をいれてもビクともしない。これじゃあ時を止めても躱せない! 俺の首を狙って振るわれた包丁の一撃がやけに遅く感じる。時が止まったと錯覚するくらいゆっくり⋯。








『大丈夫かしら、坊や』







 ───脳裏に唐突に過ぎった師匠との出会いの記憶に、これが走馬灯かと場違い感想が浮かんだ。

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