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第二十一話 聖女

 神の眼を通してケイトとライアーの他にもう一人いる常命の者の情報が頭に入っていく。名前はソフィア⋯貴女の名前を覚えるかどうかは、彼女の頑張り次第ね。

 魂の大きさはケイトよりも更に一回り小さい。この世界では平均的なサイズね。善行がやや多いくらいで、特別語る事もない凡庸な魂。ケイトのような英雄願望や向上心があれば、少しは期待値が上がるのだけど、本当にこの子に与えても大丈夫かしら?


 この定命の者は倒れたケイトの応急処置を施しているライアーと違い、傍でケイトの名前を呼びながらオロオロしているだけ。なんの役にも立っていない。

 ライアーが時折冷めた瞳を向けているのに気付いているかしら? そんな余裕すらなさそうね。大好きな幼なじみが意識不明の重体。恋敵として見ている師匠役のライアーが『このままだとマズイわね』と声を漏らした事で、不安や心配で心がいっぱいいっぱいね。神にまで祈り始めてしまったわ。

 良かったわね、その神が今貴女の事を見てあげていたの。だから、貴女の覚悟を聞かせてちょうだい。


『聞こえるかしら』

「え?誰⋯!誰の声!」


 頭の中に響く私の声に怯えるように辺りを見渡しているのが見える。事情を知っている筈のライアーが、どうかしたの?と声をかけると緑髪の定命の者は頭の中に女性の声が響いたと直ぐ様相談している。二人の間に関係性が出来上がっている事は既に知っているから、特別気にするような事ではないのだけど、やっぱりこの子はダメなんじゃないかしら?

 私の声に驚いたり怯えたりするのは初めての体験だから仕方ないと判断出来るのだけど、その後がダメね。ライアーの『私には聞こえなかったわ。空耳じゃないかしら?』って言葉にそうなのかなって?疑問に思いつつも、声の正体を知りたくないから無理やり納得しようとしている。

 現実から逃げている訳ね。こういう子は大事な場面で役に立たないから必要ないと思うのだけど。


 ロロの方を見ると親指を立てた右手をこちらに見せ『あの子いけるッスよ』ってドヤ顔してたけど、何がいけるのよ! あ、いいわよ説明しなくても。どうせ聞いても理解出来ないわ。

 今から彼女が聖女の役割を担うのに相応しいか、確認するからロロは黙ってみていなさい。ロロの無駄に元気な返事を聞きながら、再度定命の者の頭の中に語りかける。


『もう一度言うわね。聞こえているかしら?』

「っ!またあの声が!」

『驚くのは分かるわ。けど、時は一刻を争うの。貴女にケイトを救いたいという思いが少しでもあるのなら、今は私の話を聞いてちょうだい』


 私の声が頭の中に響き、分かりやすく怯えを見せていた。けど、ケイトの名前を出して彼女にケイトを救えると、希望を見せる事でその怯えはゆっくりと消えていった。

 出来る限り無駄なやり取りはしたくないのよね。彼女には『声に出さなくていいわ。心で念じてくれれば貴女の声は私に届く』と伝える。彼女が声に出せば不自然にならないようにライアーも反応しなければならないわ。必然的に無駄な会話が増えるわけ。


 ───こんな感じですか?と心の声が私に届く。凡庸ではあるけど、愚かではないわね。私が言っている事をちゃんと実施出来ている。

 視線は倒れているケイトに向けられているわね。呼吸が少しづつ弱くなっている⋯その事が不安で仕方なくて、そんな時に聞こえた私の声に一筋の希望を見出した。

 普通ならもっと怪しんでもいいところなんでしょうけど、少し前に似たような体験をしたことで懐疑が甘くなってるわね。そんなんじゃ、直ぐに騙されちゃうわよ。


『大事な事だから最初に聞いておくわ。貴女にケイトを救いたいという想いはあるかしら?』


 問かければ、間を置かずに救いたいと!心の声が私に届く。一切迷わなかったわね。そこは加点してあげる。


『そう。なら良かったわ。私はそうね⋯神とでも名乗っておきましょうかしら』

『神さま⋯⋯?わたしたちを救ってくれた?』

『残念ながら違うわ。けど近い存在とだけ言っておくわね』


 神と名乗るとシスと共に封印された女神が連想されるらしいわね。これはケイトを除けばこの世界の全ての定命の者に言えること。

 神と聞いて彼女が思い浮かべた存在を否定した事で少しだけ不審がっている⋯それも仕方ないわ。払拭してもいいけど、このまま進めましょう。


『貴女にお願いがあるの』

『わたしにお願い?』

『そう。そこに倒れている未来の英雄を助ける為に貴女の力を貸して欲しいのよ』

『未来の英雄?⋯ケイト、が?』


 あくまでも予定よ。このまま凡人のまま終わる可能性の方が高い。けど、だからこそ育てる事に価値がある。


『今はまだ未熟な英雄の卵。けど、いずれ彼はその殻を破り世界へと羽ばたく。その名を知らぬ者がいないほどの英雄へと至るわ』

『英雄⋯』

『今、遠くに言っちゃうって思ったわね』

『えっ!』


 彼女が思い浮かべたのは前を走るケイトとの距離が少しづつ離れていく光景。どれだけ必死に走っても距離は縮まらず、どれだけケイトに声をかけても届かない。自分の手が届かない所へとケイトが向かおうとする恐怖。

 ずっと一緒にいて欲しい。傍にいて欲しいと心の底から願う姿に、思わず『邪魔ね』と声が漏れた。幸いな事に聞こえたのはロロだけだった。ロロの顔は少し引き攣っていたけどね。そんなに不愉快そうな顔をしてたかしら?自分では分からないわね。


 でも、邪魔って思ったのは本心よ。この子はケイトに遠くに行って欲しくないと強く願った。その想いは酷く自分勝手で、少しだけイラつくの。ケイトに私が執心しているから、かも知れないけどね。


 やっぱりこの子はダメよ、ロロ。遠くに行こうとするケイトを幻視して彼女はその背に追いつこうと努力するのではなく、その足を止める事は出来ないかと考えた。

 傍にいてって!この村に残って!って彼女はきっと旅立とうとするケイトに強く懇願するわ。ケイトはその言葉を振り切って村を出る事はできるかしら? 難しいわね。私でもそう判断するくらいにはこの定命の者にケイトは絆されている。


 ───彼女は変化する事を恐れている。現状に満足してしまっているの。この村で平和に生活して、好きな人と結ばれて、大きな山場イベントを迎えること無く、両親やこの村の住人のような平凡ふつうを手に入れる。どこまでも凡人の思考。

 だからこそライアーの存在を疎ましく思っている。彼女にとっての平凡ふつうの日常が変わろうとしているから。


『忠告してあげる。彼の歩みを止める事は許さないわ。この世界には彼の存在が必要なの。彼がいなければ世界は回らない』

『そんな⋯』


 この世の終わりだと言うように表情が曇る。それだけ彼女にとってケイトは大切な存在。なら、どうして置いていかれる事を良しとするの!止める事ばかり考えて自分の力で前へと進もうと考えないの!


『置いていかれるのが嫌なら⋯、傍に居られないのが嫌なら、自分で追いつきなさい!!夢を叶える為に走るケイトに並走できるくらい、貴女が努力するのよ!』

『わ、わたしは⋯』


 どれだけ走っても追い付かないかも知れない。どれだけ声を上げても届かないかも知れない。それでも行動に移さなければ何も始まらないわ。止まるのではなく動きなさい。



 ───成長を止めた魂に神は価値を見出さない。



 残酷な話かも知れないけど、神は有象無象のモノに感心を持たないの。強い輝きを放つ魂にこそ心惹かれるのよ。ケイトの傍にいたいのなら貴女も変わりなさい。


『貴女には力が眠っているわ。けど、その力は一度目覚めれば貴女の意思を無視して世界は動く。貴女ともう一人の存在を中心には時代は動乱を迎える事になるわ』

『その力があれば、わたしはケイトを助ける事ができますか?』

『そうね、助ける事はできるわ。けど、今までと同じ世界は二度と送れなくなる。ケイトと会うこと出来なくなるかも知れない。それでもケイトを救うために貴女は力を求めるかしら?』

『二度と会えないかも知れない⋯』


 これは最終確認よ。貴女がこの役割を担うに相応しいかどうか、見極めてあげる。


『助けたいと願うのなら心から祈りなさい。その祈りは天へと届き、貴女に眠る力は目を覚ます』


 一瞬でも迷うのであれば貴女は『聖女』に相応しくないわ。聖女は他者を救う為に己を捧げる。自己犠牲を強いるつもりはないけど、自分より他者を優先する者でなくてはならない。自分可愛さで救える者を見捨てるような者に聖女の役割は担えない。

 でも試す以前に結果は分かっていた。この子には向上心もなければ英雄願望もない。どこまでも凡庸で、自分を守るだけで精一杯。聖女になんかなれない平凡な村娘。


 ───『二度と会えなくなってもいい!ケイトを救う力をわたしに!』


 だからその祈りが私に届いた時、素直に驚いた。


 そう。貴女は大切な人の為なら己を捧げる事が出来るのね⋯。

 認めたくない想いは確かにあったわ。ケイトの育成の邪魔になるとも思った。けど、貴女の想いを否定するほどバカではないわ。貴女にその覚悟があるなら私もその願いに答えましょう。


 今から貴女にケイトを救う力を授けてあげる。いいわね、ライアー? 問いかけの返事は既に分かりきっていた。どこか嬉しそうなライアーの声を聞きながら、ライアーに預けた能力を緑髪の定命の者───ソフィアへと移す。


『貴女に眠っていた力は今、確かに目覚めたわ。その力は癒しの力。その手で触れた者の傷を癒す事ができる』

『癒しの力⋯』

『ケイトに触れて救いたいと心から想いなさい。その想いが貴女の大切な者を救うわ』


 ソフィアは何の迷いもなくケイトに触れて、その力を使った。癒しの力がケイトの傷を癒していく。


 ───変わったわね。能力を与えたから? 大切な人を救いたいから?分からない。けど、彼女は今ただの村娘から聖女へと成長を遂げたのだけは分かった。


 まるで卵の殻を破るように彼女の魂が変異していく。凡庸で見どころなんて何もない魂が、私ですら美しいと感じる神聖な輝きを放っている。その魂は英雄と呼ぶのも烏滸がましい程小さい。けど、その輝きは神を魅了するには十分すぎるほど、神々しかった。


 悔しいけど、今回はロロの方が見る目があったみたいね。


「なかなか先見の明があるじゃない、ロロ」

「へへへ!ウチもたまには役立つッスよね!」


 ドヤ顔をしているロロが少し鬱陶しいけど、お陰で役者は揃ったわね。『勇者』のアレクセイと『聖女』のソフィア。この二人を中心に世界は回る。

 ソフィアが『聖女』へと至った事でケイトもまた、引きずられるように表舞台へと立たされるわ。予定していたシナリオとは違うけど、これもまた面白いから良しね。




 ───改めてソフィアの魂を見た。


「『聖女』の魂、初めて見たわね」


 英雄にその役割を与える事が多かったから、魂が成長して『聖女』へと至る光景を見たのは初めてだった。

 神が聖女という存在に拘る訳ね。英雄にその役割を与え、魂が変化するのを待っているのかも知れないわ。この魂が育てば世界のレベルを上げて『マナ』の供給量を増やすよりも評価される。


 ───あれがって訳ね。成長した魂は天使へと至り、神の元へと招かれる事になる。確かに目を惹かれる程神々しい。なのに何でかしら?彼女の魂よりケイトの魂の方がずっと美しく輝いて見える。


 ふふ、執心しすぎね⋯私も。


「あー、そうだ。部屋に入るならノックの一つでもしたらどうかしら?」












 ねぇ、クロノス。

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