部屋の入口に見知った男が立っていた。短く切り揃えた黒髪を七三で分け、拘りがあるのかビシッと髪をセットしている。銀縁の眼鏡越し私と同じオッドアイが覗いているわ。
身に付けている黒いスーツは私が着ている物より質が良さそうね。私も変えようと思えば変える事は出来るけど、そんな事に
私と目があった事で仰々しい動作で一礼したと思えば、右手に持っていたシルクハットを頭にかぶった。あんな帽子以前はかぶっていたかしら。
コイツは私と同じで無駄な
「ノックを忘れてすまない。他意はないんだ」
「他意がないのなら、気配を消さないでくれる?それと私が気付かなかったどうするつもりだったか、教えてくれるかしら?」
「いやなに、これは一種の信頼さ。同期の絆と言ってもいい。君なら私が部屋に入ったら直ぐに気付くだろう?そういう事さ」
ふふふと口元に手を当てて笑っているけど、所作や気配が胡散臭くて仕方ないわね。長い付き合いだから、本当に他意がない事は分かっているけどね。
それにしたって部屋を入る時はノックしないとダメよね。いくら親しい仲だからと言って守らないといけないマナーはあるわよ。思わずため息が漏れた。
「あの、ミラベル様、こちらの方は誰っスか?」
「そいつは私の同期ね。名前はクロノス。髪型はキッチリしているのに仕事は大雑把な不良神員よ」
私と招いていないのに部屋へと入ってきた男───クロノスとのやり取りを聞いていたロロが話についていけず、困惑していた。この子も私の下についてそれなりに長いのだけど、直接会った事はなかったのね。あ、思い出したわ。ロロの友神がクロノスの部下じゃなかったかしら?
「ロロ、貴女の友神の上司って言えば分かるかしら?」
「あ!聞いた事があるッス!カーミラちゃんの上司ッスね!男好きって聞いてるッスよ!」
普段は崩れる事のない胡散臭い笑みが引き攣っているところは面白いから、このまま見ていたいもの。
───『フラスコ』をオートモードに変更。
念の為フラスコを管理モードからオートモードへと変更しておく。部下と上司との関係ならともかく、他の神に自分が管理している世界を見せるのは面白くないわ。同期とはいえ、一応クロノスも出世争いをしているライバルだもの。立場が同じだけに、比較される事も多い。
何よりクロノスに私が
「⋯⋯君は誰だったかな?私の記憶では初対面だと思うが」
頬がピクピクと動いている。言いたい事を必死に抑えいるのが分かるわね。コイツも部下を持って少し丸くなったみたいね。昔のクロノスなら、小言の一言や二言言ってたと思うのだけど。
「あら、珍しく動揺しているじゃない。面白いから続けて構わないわよ」
「ふぅ⋯。ミラベルにからかわれるのは面白くないね。それと面白いで片付けずに部下を叱ったらどうかな? 部下の失言は上司の失言だよ」
「そうね、貴方のご忠告は胸に刻んでおくわ。実行するかは別だけど」
私の発言にやれやれといった感じに額に手を当てて首を振っている。嫌がらせじゃないわよ、クロノス。叱ったところで意味がないから実行しないのよ。貴方もロロの上司になれば良く分かるわ。
当事者であるにも関わらず首を傾げて不思議そうにしているロロを見るとため息の一つや二つ吐きたくなる。本当にこの子は⋯。
「ロロ、自己紹介しなさい」
「ハイっす!」
「一応忠告しておくけど、彼は私の同期よ。立場も私と同じ。直属ではないけど上司に当たる神になるから発言には気を付けなさい」
「⋯えーと⋯ハイ⋯っす?」
この時点でもうダメね。ため息を吐いている私を見てロロがどういう神物か察したのかクロノスが視線で問いかけてきている。『PONなのか』と、頷く事で肯定を示すと同情するような視線が向けられて少し嫌なら気分になったわ。
「えーと!カーミラちゃんの上司⋯じゃなくて!クロノス⋯⋯様!ウチはミラベル様の部下のロロッス!よろしくお願いしますッス!」
「ミラベル⋯これは親切心からの忠告だよ。君の部下には教育係を付けた方がいい」
「もう付けてるわよ」
「あっ⋯」
その顔止めなさい。少し腹立つわ。それと他人事みたいな顔してるけど、話題に上がってるのは貴方の事よロロ。なんで私がこんな思いをしなければいけないのよ!
⋯⋯ダメよダメ。こんな事で怒っていても仕方ないわ。無駄なやり取りをやめて話を進めましょう。
「それで、何の用事で此処に来たのかしら?私の顔を見に来たなんで言わないわよね?」
「私が君の顔を見たいと思うかい?」
「思わないわよ」
「ふふふ、それはハズレだよ。仮にも同期だからね、たまには君の顔も見たくなるさ。まぁ、今回君の部屋に訪れたのは完全に別件だけどね」
私の顔を見たくなると言った時は鳥肌が立ったわね。クロノス以外の神に言われた事もあるけど、コイツに言われるのが一番気持ち悪いわ。腕を摩りながらロロに視線を向けると、私の意図を察したのか『別に外さなくても構わないよ』とクロノスがロロに言った。
言われたロロは『何の事ッスか?』って不思議そうにしてたわ。本当に察しの悪い子ね!
「ロロがいても構わないという事は仕事の話しではないみたいね」
「いてくれても構わないというだけで、仕事の話ではある」
「そうなの? ⋯⋯もしかして厄介事かしら?」
世間話をしに来るほどクロノスも暇ではないわ。新神の時ならともかく今のクロノスには部下もいるし、私と同じように複数の世界を管理している。仕事の量を考えれば昔のように世間話や愚痴を交わす時間がない、とは言わないけどお互いに出世すると共に交流が減ったのよね。
新神の時は私もクロノスの勝手が分からず、同期という事でお互いにどういう風にしているか相談したりもしたわ。上司に聞けないような相談事はクロノスにしたし、クロノスから私に相談や頼み事をされる事もあった。昔はもう少し仲が良かったかしら?
「いや、厄介事ではない。けど、頼み事だね」
「随分と言い淀むわね、もしかして貴方が被っている帽子と関係があったりする?」
「っ!君は相変わらず目敏いね」
クロノスが頭にかぶっているシルクハットを指させば目を見開いて驚いている。残念ながら私が目敏い訳ではないのよ。ロロを通して貴方の部下から情報が入っているのよ。色々とね。
「それで用件は?」
「まだ先の話ではあるけど、ある定命の者が君が管理する世界へと送られてくる」
「そうなの?」
「⋯⋯。本当は言いたくないけど、言っておくよ。私は今、一人の定命の者を育てている。その定命の者は私にとっての光なんだ。神の仕事の合間で見つけた一筋の光!私の全てなんだ!」
ケイトと出会う前ならクロノスもバカな事をしてるわねって笑い飛ばしたのだけど、今ならクロノスの気持ちが分かるのよね。
ロロの友神から話は聞いてはいたけど、本当だったのね。彼もまた私の同じように定命の者を一人育てている。余程にその定命の者に魅入られているみたいね。一つの世界だけじゃなくてクロノスの管理する複数の世界を経由させて英雄として育てようとしている。
クロノスがかぶっている帽子は私が行ったみたいに世界へと降り立った際に、その定命の者にプレゼントされた物。それを神の権限で創造したみたいね。わざわざボーナスを使ってまで生み出したみたい。
「何となく用件は分かったわ。つまり次か、その次当たりで私の管理する世界にその定命の者が送られてくる訳ね」
「君の言う通りだよ。次の世界はまだ私が管理する世界だ。その次が、ミラベル⋯君が管理する世界になる。私からの頼みは一つ。彼を私から奪わないでくれ。彼は私の光なんだ!私にとってかけがえのない存在なんだ!私はもう彼のいない神生を考えられない!」
流石にここまでくると気持ち悪いわね。私もケイトに執心している自覚はあるけど、ここまでではないわよ。同席しているロロが露骨に引いているわ。気持ちは分かるわ。気持ちはね。
それにしてもクロノスがわざわざ足を運んで私に頼み事をする程、その定命の者は魅力的なようね。クロノスは私がその定命の者を見たら手元に置くと考えたのかしら?
今までのボーナスを使えば数回くらいは定命の者の行く先を自由する権利はあるけど⋯、そこまでする価値があるの? 執心しているとはいえ、ケイトに対して私はそこまでしないわよ。
「気持ち悪いッスね」
「そうね」
私とロロの会話など聞こえていないとばかりに、その定命の者がどれだけ尊い存在か、自分にとって必要な存在かと熱弁している。
素直に気持ち悪い。クロノスの部下のカーミラも上司が最近気持ち悪いって愚痴ってたわね。ボーナス全て使い切ってまで手元に置いているって。相当ねー。
「私にとって唯一無二の同期の頼みだし、約束してあげるわ。その定命の者には手を出さない。他の定命の者と同じように扱う。それでいいかしら?」
「それで十分だ!君の管理する世界の後はまた私の世界に戻ってくるようになっている!その頃にはまたボーナスを貰えているから⋯彼は私の傍に」
ふふふと、口元に手を当てて笑う姿はやはり気持ち悪い。私の同期ってこんなに気持ち悪い男だったかしら? 新神の時は不安な事を相談したり、失敗した時に助けて貰ったりして、クロノスにときめいたりした事もあるのよ? 昔の思い出が汚されているようで今の彼は見ていられない。
「ちなみにどの世界に送られてくるのかしら?」
「そうだ、それを共有しておかないといけなかった。彼についての詳細は後で
クロノスの言葉に思わず、ロロの顔を見合わせる。
「ごめんなさい『アース』は私が管理する世界ではないの」
「どういう事だい!?君の管理する世界だと私は記憶していたが!」
「そうね。私が管理していたわ。けど、今は違うの」
「まさか⋯」
「そうよ。貴方が部下にしたのと同じように、私も
「
「残念ながらそうよ」
「あんまりだァァァァァ!!!!」
床に膝をつき、手を仰いでクロノスが吠えた。
「流石に失礼過ぎないッスか!」
事実だから受け入れなさい。