「もう朝よ、起きなさいケイト」
耳元で囁かれた声に意識が覚醒する。パッと目を開けば視界いっぱいに広がる師匠の顔。脳が状況を把握するまで数秒を要した。
「ッ⋯⋯なんで、師匠が!」
ガチ恋距離?キス距離?なんて表現したらいいか分からないけど、とにかく顔が近かったとだけ伝わってくれ。
驚いてその場から飛び退いた俺を見て師匠がクスクスの笑っている。俺の気も知らないでなんて自分勝手だと、文句の一つでも言いたいところだ。
今のは心臓に悪かった。胸に手を当てればドクンドクンと鼓動が大きくなっているのが分かる。
師匠の顔が良いのもあるが、目覚めて直ぐ目の前に人の顔があれば誰だってびっくりする。それは仕方ない事だ。
「おはようケイト」
「⋯⋯⋯⋯おはようございます」
朝の挨拶をされたので返しはしたが、正直な事を言えばなんでこの部屋に師匠がいるんだろうと、疑問が浮かんでいる。
師匠が普段寝泊まりしているのが俺の家という事もあり、この場に師匠がいる事は不思議な事ではない。ただ、昨晩はソフィアの様子が気になると彼女の家に泊まっていた筈だ。
もしかして寝過ぎたか?俺が寝坊していたから師匠が起こしに来てくれた?
やっぱり師匠は優しいと思った時に遠くでシャウトバードの鳴き声が聞こえた。思わずパッと師匠の方へ顔を向けるとスゥーと顔を逸らされた。答えを得ようと窓に視線を向けると、まだ薄暗い外の景色が見える。
シャウトバードは前世で言うところのニワトリに似ている。見た目だけの話ではなく、ニワトリと同様に朝に鳴く性質を持っている。体内時間が正確なのか決まって日の出の二時間前に鳴く。
つまりだ、今シャウトバードの声が聞こえたという事は⋯⋯現在時刻は日の出の二時間前という事。そら、外はまだ暗いよなと結論に達すると同時に師匠に視線を戻す。
眠るのが早かったのもあって目覚めは決して悪くない。ただ一つ文句を言うのであればミラベルとの時間を邪魔された事だろうか?
ミラベルと最後に会ったのは三ヶ月程前だ。久しぶりに会ってその間に何があったか沢山話をした。師匠との出会い、リザードマンとの戦闘、そして勇者とソフィアの事。
話題は尽きなかったな。最後の方はミラベルから相談もされた。神の世界で起きた話なんだが、エロ同人みたいな展開だったから、少しの羨ましさを感じながら解答をしておいたぞ。
その後直ぐ、もう目覚める時間という事でミラベルと別れる形となった。久しぶりの再開だったから名残り惜しさを感じていたが、朝だから仕方ないと諦めていた自分もいた。
だと言うのに、だ!これどういう事だ?窓の外を見ればまだ薄暗い。今の時間を朝と表現していいのか?否!まだ寝ていてもいい時間だろう!
つまりアレか、師匠が起こしに来なかったらもう少しミラベルと話す時間や鍛錬の時間を作れていたという事か?その考えにたどり着くと、目の前で困ったように眉を下げる師匠に対してふつふつと怒りが込み上げてくる。
その事で俺自身も気付かぬ内にミラベルとの時間を楽しみにしていたんだと、思い知らされた。
「朝早く起こした事はごめんなさい」
「⋯⋯朝? この時間が?」
「そうね⋯⋯シャウトバードも鳴いていたし朝って事にならない?」
「日がまだ登ってすらないだろ」
「夜と朝の境目くらいかしら? 」
首をこてんと傾げながら俺の顔を見つめる師匠に思わず閉口する。流石は我が師匠と言ったところか。自分の顔の良さを完璧に理解している。師匠はどちらかと言えば可愛い系よりも綺麗系の顔立ちだ。それを踏まえても、首を傾げてこちらを上目遣いで見つめる師匠はとても可愛らしい。
男とは単純なもので⋯⋯可愛らしい師匠の仕草に込み上げていた怒りがすぅーっと下がっていくのを実感する。
加えて言うなら師匠が意味のないことをしない事を知っている。つまり、朝早く俺を起こしにきた事も意味がある。
「朝か夜かは、まぁいいや。それで何か用事があったのか?」
「そうだったわ!肝心の事を忘れるところだった」
「忘れるなよ」
「思い出したからいいじゃない? それで起こしにきた理由だけど⋯⋯勇者様との手合わせに向けた対策を考えてきたのよ」
用事を忘れるのはどうなんだと、途中で思いもしたが師匠が俺を起こしに来た理由を聞いて、納得する自分がいた。
同時に二人の師匠がこれほど警戒する勇者は一体どれだけ強いんだ?実際に会った時の印象からは師匠より強そうには見えなかったけど⋯⋯。
決して嫉妬とかではないが!勇者の第一印象はイケメンの優男だ。声もイケメンだったから少しムカついたな。動作とか全てが様になっていて⋯⋯。
そんな勇者と一悶着あり、お昼過ぎから手合わせする事になっていたりする。決して俺の嫉妬だったり、僻みから発展したモノではないと弁明しておく。
村の大人たち───ソフィアの両親ですら勇者の言葉を信じて、ソフィアを送り出そうとしている。神の言葉ってのはそんなに凄いのか?神に選ばれた『聖女』だからってそんなに簡単に送り出していいのか?
女神教とやらがどんな組織か分からないのに⋯⋯。
ミラベルという神を知っているからこそ、この世界の神の事がよく分からない。魔王の脅威から俺たちを⋯⋯世界を護ろうとしてくれた叡智な存在。加えて言うなら魔物に対抗出来るように祝福を与えたのも、その神だと師匠が言っていた。
これだけなら神の言葉を疑う余地などない。俺にとって不信の種となっているのが、封印された後に勇者とソフィアに干渉している事だ。
勇者は神の導きで勇者となったと言っていた。封印された後も神の声が聞こえる?それだけで怪しい。
ソフィアに関して言えば俺はその現場に居合わせていたが、意識を失っていたので詳細は知らない。後から師匠とソフィアの口から聞いただけだ。
リザードマンとの戦いで傷を負った俺を治してくれたのがソフィアだと師匠は言っていたな。ソフィアは俺を助けたい、その思いで祈り、手をかざすと俺の傷が治ったそうだ。
神はソフィアに眠っている力があると言い、その力が目覚めれば二度とこれまでと同じ生活は送れない。それでもいいと彼女は神の言葉に従い俺を治した。
神が言った言葉の通りソフィアは『聖女』として扱われ、女神教の本部である大聖堂に連れて行こうとしている。
封印された後も神は干渉出来るのかと久しぶりに会ったミラベルに確認した。答えは出来なくはないが、難しいとのこと。
この世界の場合だと神の施した封印は時空の狭間へと押し込み、世界と隔離する代物らしい。魔王と共に隔離された神が世界に干渉出来るかどうか⋯⋯と少し悩んだ後、『魔王に負ける程度の強さなら出来ないかもね』とミラベルは締めくくっていた。
ソフィアに干渉した神がミラベルではない事も確認済み。そうなるとソフィアに干渉した神と名乗る者が何者なのか? それだけが分からない。
ミラベルも知らないらしい。目が泳いでいた気もするが、気のせいだろう。
色々と怪しい神の存在とその神に信仰を捧げる女神教───ただの杞憂かも知れない。だが、俺には女神教も案内役として村へ訪れた勇者もどちらも怪しく映ってしまう。
だが俺以外は違うらしい。誰もが勇者の言葉を信じている。女神教や国が発行した証明書の効力も有るだろうが、俺には村の大人たちが勇者の存在に惹かれているように見えた。
『聖女』として選ばれたソフィアもまた疑う事をせず、大聖堂へと向かうと決めた。俺がどれだけ止めてもだ。ソフィアとは幼少期からの付き合いだが、ここまで意思が固い彼女は初めてみた。今まで知らなかったソフィアの一面を垣間見て、動揺してしまったのは仕方ないと思う。
ソフィアが折れる気配はなかった。だから俺は止めるのを止めた。その代わりに一緒について行くと決めたんだ。
女神教とやらが怪しいのもそうだが、アニメや漫画、小説なんかで登場する宗教組織にろくなものはない。そんな所に大切な幼なじみ一人を行かせる事は出来ない。その思いで共について行くとソフィアと、いけ好かない勇者に宣言した。
言ってしまえばそれが勇者との手合わせの経緯だ。あのいけ好かない勇者は君を連れて行くよう命令されていないだの、護る対象を増やす訳にはいかないだの、こっちの事を見下した態度を取りやがる。
それに腹が立って仕方なかった。
「なぁ、師匠」
「何かしら?」
「対策を考えてきたって事はさ、勇者について師匠は知ってるって事だよな」
「そうね、詳しくは知らないけどケイトよりは知っているつもりよ」
強いのか弱いのか、それ以前に本当に勇者なのか、気になる事は多い。
「村に来たあのいけ好かない男は本当に勇者なのか?」
「疑ってるの?」
「正直な⋯⋯。神が封印された後に声を聞いたって怪し過ぎるだろ」
「ケイトは偽物であって欲しいんでしょ?そうすればソフィアを連れて行かれないで済むから」
「ちがっ!そういう意味で聞いた訳じゃない!」
「そう?でもね、残念ながらあの男───アレクセイは本物の勇者よ。神に導かれた云々はともかく、彼が勇者である事はミラベル様に確認済み。ミラベル様も言ってなかった?夢で会ったんでしょ?」
たまに忘れそうになるが、師匠はミラベルの部下だったりする。定期的に連絡を取っているとは聞いていたけど、今の感じだと昨晩俺の夢の中にミラベルが出てくる事を知っていたのか?
その可能性が高いな。ミラベルが夢の中に出てくると知った上でこんなに早く起こした?⋯⋯いや、思う所はあるが今は置いておこう。
───そうか、あのいけ好かない男は勇者で間違いないのか。
「ミラベルは師匠よりも強いって言ってたけど、本当か?」
「師匠役として否定するべきなんでしょうけど、残念ながらその通りよ。天使としての肉体ならともかく、この体ではアレクセイには勝てないわ」
「そうか⋯⋯」
「勝てないかも知れないって思っちゃった?」
「少しだけ」
いけ好かない勇者に勝つ気でいたのは確かだ。ただ、師匠より強いと聞くと不安が芽生える。俺に勝てるのだろうか、と。
先程まで散々調子のいい事を言っておいて、何言ってだコイツって感じかも知れないが、それだけ俺の中での師匠の存在は大きい。
強いんだよ師匠は。
今まで何度も手合わせしてきた。毎日のように、何度も何度も。その数が百を超えても俺は一度も師匠に勝てていない。それどころか1太刀だって当てれていない。
能力を使って反則しても尚、師匠には届かない。そんな圧倒的な強さを誇る師匠よりも更に強い? 想像出来ない領域だ。
世界を救う役目を神より言い渡された勇者と言う存在はそれだけ強大なのだろうか。だから誰もが勇者に期待する。この人なら世界を救ってくれると。あのいけ好かない勇者は俺が憧れる
───嗚呼⋯⋯ただの、嫉妬か。
小さい⋯⋯小さいな、俺。
「はっきりと言うわね。ケイトでは勇者には勝てないわ」
「そうか」
「今の時点ではなね」
「今の?」
「そうよ。今の時点なら、ね。私とミラベル様が鍛えてあげてるのよ⋯⋯勇者に勝てるくらい強くなるに決まってるでしょ?」
だから自信を持ちなさない、と微笑む師匠の言葉が俺の心に重石のようにのしかかっていた劣等感を払い除ける。そうだな。今の俺では師匠には勝てない。師匠より強い勇者にはひっくり返っても勝てないだろう。その事実は受け入れよう。
けど、いつか必ず師匠に追い付いて、追い抜いて⋯⋯必ず俺は勇者に勝つ。不可能?そんな筈はない!俺には俺を導いてくれる
強くなる。絶対に。
「今は勇者に勝てない。けど、ただ負けるだけじゃ面白くないでしょ?」
「それは、そうだな」
「だから一死に報いましょう!その為の対策を考えてきたのよ!」
満面の笑みを浮かべ部屋の入口まで師匠が戻っていったと思ったら何かを持って帰ってきた。
刀? 部屋が暗かった事もあり形状でしか判断が出来なかった。師匠が歩み寄ってきたお陰で彼女が持っている物がはっきりと分かったり
───木刀、だな。
俺の見間違え、記憶違いでなければ師匠が手に持つソレは木刀と呼ばれる木を削って刀の形状にしたものだ。木剣とも言う。
俺も前世で修学旅行のお土産で買ったなーと、少し懐かしくなった。
「勇者に勝つ為の秘策はこれよ!」
ジャジャーン!と効果音を自ら口で奏で、木刀を掲げる師匠を見て思う。
バカなんじゃないかと。