目次
ブックマーク
応援する
1
コメント
シェア
通報

第十二章 清水とクラスメイトたち 1

「やっと言えたよ、琴雅」


 僕はいま職員室の自分の席に座って、ホームルームの時間を待つ。

 昨日のことを思い出す。


 昨日、早坂さんが倒れたのを見て、僕はようやく確信したんだ。

 琴雅の最後の言葉が遺言だったのだと。

 それまで半信半疑ではあった。

 最後に琴雅が死神やら呪いやらを言い出したときは、遂におかしくなってしまったのだと思っていたが、天才である君が、ずっとそばにいた僕に対して、最後の最後でそんな意味不明なことを口走るはずがないし、そもそも君はそういう奴じゃなかった。


 君が死んだ直後の真希人君の表情が忘れられない。

 なんて声をかけて良いか分からなかった。

 すぐにメディアのマイクが向けられ、徐々に瞳から光を失っていくあの子を見て、君と同じ運命を歩むだろうとぼんやり思っていた。


「ちょっと……緊張するな」


 僕は今日のホームルームで、クラスのみんなに説明するつもりだ。

 無論、死神やら呪いやらを話すつもりはない。

 流石に信じないし、それを話してしまえば本当に伝えたいことまで伝わらなくなってしまう。


「清水先生、おはようございます」


「ああ、おはよう」


 同僚の青木先生が入ってきた。

 挨拶をして自分の席に荷物を置いた彼女は、すぐにこちらに視線を向ける。


「今日は随分早いんですね。いつもはもうちょっとゆっくりじゃないですか?」


 青木先生はまだ去年ここにやって来た教師だ。

 まだ歳も二十四と若い。

 見た目も整っているため、男子からの人気はなかなかのものだ。


「そうですかね? 特に意味は無いですよ?」


 僕は嘘をつく。

 本当はいつもより早く来て、なんと言おうか考えているところだった。


「清水先生、嘘はいけませんよ。顔にお悩み中って書いてあります」


 青木先生はクスクスと笑う。

 いつになく楽しそうだ。


「僕はそんなに分かりやすいかい?」


 僕は青木先生に尋ねた。

 顔に出ているのであれば、早急にどうにかしないと生徒たちに伝わってしまう。


「意外と分かりやすいですよね。清水先生が何を考えているのか初めて分かりました。普段の清水先生って、いつも気持ちが一定というか、何にも動じない人だと思っていたので新鮮です」


 青木先生は新鮮と言った。

 なるほど普段の僕は一定で変化がない。

 そういうタイプではあったが、もしかしたら感情を殺していたのかもしれない。


 教師という仕事は、心をある程度殺さないと長続きしないものだ。

 僕も若かったころは、もっとしっかりと感情を表に出していたような気もする。

 だけどいつの間にか、感情を表に出すことをしなくなっていたのだ。

 何かのトラブルが起きるたびに、淡々と冷静に対処する。

 必要以上に生徒たちの事情には首を突っ込まず、何か問題が起きた時に静かに対処する。


 そういう癖がついていたのだと思う。

 今まではそれでやってこれた。

 今年に入るまではそれでよかった。


 だけど今年は彼がクラスにいた。

 菅原真希人。

 僕の親友だった菅原琴雅の忘れ形見。


 彼と同じく天才ピアニストとして、世間で話題のスーパー高校生。

 琴雅が死んでからは、悲劇の天才ピアニストとして脚光を浴びていた。


 正直、規格外の存在だった。

 教師としてどう扱うのが正解か、まるで分からなかった。

 クラスの担当になって相当悩んだ末、僕は距離をとる選択をした。

 今まで通りのやり方で挑む覚悟をした。

 琴雅と僕の関係も伝えず、ただの一教師として乗り切る。


 しかしそんな僕の方針は確実に裏目に出てしまった。


 真希人は予想よりも学校に来なかった。

 それは彼の仕事の忙しさが、当初の想定を大きく上回っていることを意味するので喜ばしいことではあるのだが、あまりにも姿を見せない同級生をクラスのみんなはどう思っていたのだろうか。


 僕はそれに対して明確な答えを持っているわけではないが、想像は容易だろう。


 ”同い年なのにあんなに有名になって凄いけど、僕たち私たちには関係ないよね?”


 クラスの大半の考えはこんなだろう。

 月に数回しか登校しない彼を、周囲はクラスメートとして扱わなかった。

 当然、表面上は同じクラスの一員として扱うが、内心はとてもそんな雰囲気ではなかったと思う。

 それでも彼がそこまでのけ者にならないでいられたのは、早坂さんの存在が大きかった。


 早坂天音。

 彼女には天性の明るさがあり、周囲にうまく溶け込んで馴染む能力が高かった。

 あれは一種の才能と言っていい。

 彼女が真希人君と仲が良いことを公言し続けたことで、真希人君が登校した際もなんとかクラスとの関係を続けることができていた。


 僕はそれに甘えていた。

 その小康状態ともいえる状態に甘えてしまっていた。

 僕が何もしなくてもこのまま一年間凌げると、そう安易に考えてしまっていた。

 しかしそのバランスが崩れた。

 しかも思ったよりも早い段階で。


 真希人君の耳の問題。

 テレビ出演の激減。

 学校に来る頻度が上がった彼を、周囲は受け入れることができなかった。

 ”落ちぶれた天才”

 クラスの中には、彼をそう揶揄する者もいた。

 自分と真希人君を比べて、劣等感から攻撃的になる生徒もそれなりにいた。


 彼は彼で、そんなクラスメートを相手にしなかった。

 今の彼を見ていれば分かる。

 そんな有象無象を相手にしている余裕が無かったのだ。

 死神の存在と孤独。

 そんなものを一身に受けている状態で、周囲の嫉妬や憧憬など、相手にしている余裕などあるはずがない。


 そんな周囲との軋轢に耐えかね、いろいろ手を尽くしたのが早坂さんだ。

 彼女は真希人君と付き合っていることを公言したうえで、彼を庇い続けた。

 しかしそれによって彼女までもが、クラスからはじき出されるようになってしまった。

 それだけ嫉妬の気持ちや、落ちていく人間を見たいという思春期の感情は強かった。

 早坂天音という少女が持つ、場に溶け込む才能さえも凌駕してしまった。


「これは僕の罪だ」


 僕は覚悟を決めて立ち上がる。

 真希人君や早坂さんを追いつめてしまったのは、確実に僕の不手際だ。

 そしてクラスのみんなを、ある種悪者にしてしまったのも僕のせい。

 静観を決め込んだ僕の臆病さが原因だ。


「もうホームルームに行かれるのですか?」


 青木先生は怪訝な顔で僕に問いかける。

 時計を見ると、確かにいつもより一〇分ほど早い。


「僕はこれから大事な話をしなくてはいけないからね。青木先生も、教師を長く続けているといろいろあるから頑張るんだよ」


 僕は柄にもなくどの口が言うのか、アドバイスらしき言葉を残し、職員室を後にする。

 今の僕にできることは、過ちの修正をすることだ。

 後始末を、この場にいる大人として、彼らのためにやれることをやるだけだ。

この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?