別行動をとろうか迷ったが、サムは先ずネッドと一緒に現場に向かうことを選んだ。八件めの犯行現場はゴールデンゲートパーク内の北側、三十番街から入って遊歩道を進んだ先の林の中だった。
遺体の着衣は砂や枯れ葉屑が血に塗れ、泥のようにこびりついていた。鑑識官と検屍官は、被害者は犯人に追われ林の中に逃げこんだが、木の根に躓いて転び、1ヤードほど這い進んだあと躰を返して犯人に向いたと地面に残る痕跡を指して説明した。
「たすけて、殺さないでって懇願する被害者に近づいて、跨って前頸部をこう、左から右へすっぱり、それから滅多刺し。そこはいつもと同じだね、見た感じ、おそらく凶器も例のやつ」
サムとネッドが話を聞いているところへ、さくりさくりという足音とともにジャクソンが近づいてきた。夜の暗い公園の中、現場を照らすライトが彼の
「発見者はロイ・ウォルター・スウェイジ、被害者の恋人だ。被害者はモリー・ファーガソン、十八歳。スウェイジの話によると、ふたりは夜こっそり家を抜けだして逢いびきデートと洒落込んでた。ふたりとも家がここから近くて、日中バイトや勉強で会えなかった日は、たびたびこの場所で待ち合わせていたそうだ。だが今日は話してる途中で喧嘩になって、スウェイジは被害者の彼女をここに置き去りにして、先に帰ったらしい」
サムは顔を顰めた。ネッドも眉間に皺を寄せ「女の子を夜、こんなところにひとり置いて帰ったのか? 最低だな」と吐き棄てる。
「で? 発見したってことは戻ってきたんだろう」
「一時間以上も経ってからな。被害者の母親が、部屋を覗いたら娘がいないとスウェイジ家に怒鳴りこんできたんだそうだ。しょっちゅう夜おそくに連れだしていたのはばれてたようだな。スウェイジはてっきり彼女も家に帰ったものと思っていたもんで、泡食って公園に捜しに戻った。……が、みつけたのは彼女の死体だった、って話だ」
「最悪だ」
「直接スウェイジに話を訊きたいならほら、あそこだ」
ジャクソンが指した先、遊歩道脇のチェーンが張られているポールに腰掛けているのが、どうやら発見者のスウェイジらしい。警察車両のライトに照らされているのは長めの髪に格子柄のシャツ、ジーンズという恰好の、ごくふつうな今どきの若者だ。
警官がひとり立っているその場所で、スウェイジはだらりと両腕を下げ、この世の終わりのような表情で暗い虚空を見つめている。
「……かっとしてつい刺し殺してしまったのを、連続殺人犯の仕業に見せかけようとしたわけじゃなさそうだ」
「そこ疑います? あの様子を見る限り、それはないでしょう」
「だな。あれが芝居ならたいしたもんだ」
「……置き去りにしたこと、一生後悔するんでしょうね」
サムとネッドは小声で話しながらそこへと近づき、スウェイジに声をかけた。
「ロイ・スウェイジだね。FBIのキャラハンだ。申し訳ないが、二、三、質問させてほしい」
聞こえているのかいないのか、スウェイジは身動ぎひとつせず、返事もしなかった。相当ショックを受けているようだ。無理もない。発見直後より、やや時間が経った今のほうがまともではいられないだろう。
サムはネッドの肩に手を置き、前にでた。
「ロイ、と呼んでいいか? 俺はサム・マクニール、探偵だ。ショックを受けているときにすまないが、殺人犯を捕まえるために少し話を聞かせてほしい。イエスかノーだけでいい。首を振ってくれればオッケーだ。……この公園に来るときか、帰るときでもいい、なにか見かけたものはなかったか? 例えば、車が停まってたとか」
反応はない。サムはかまわないというように頷き、また別の質問をした。
「じゃあ、人はどうかな。犬も連れてないのにひとりで歩いていたとか、レインウェアのようなものを着てたとか。そういう、怪しい人物は見かけなかったかな」
屈みこみ、顔を覗きこむようにして暫し待ったが、やはりスウェイジはなんの反応も示さなかった。サムはネッドと顔を見合わせ、ゆるゆると首を振った。
「……気の毒にな。だが、彼女が殺されてしまったのはロイ、君の所為じゃない。悪いのは犯人だ。犯人以外の誰かにも責任があるとしたら、それはFBIと警察だ。……もうこれ以上、彼女のような被害者を出さないために、俺たちは全力で捜査する。もしもなにか思いだしたことがあったら、連絡してくれ」
サムはそう云ってネッドを振り返った。ネッドが手帖を取りだし、カバーを開いて名刺を一枚抜く。サムはそれを受けとり、ペンで裏に探偵事務所の電話番号を書いた。
「表でも裏に書いたのでも、どっちでもいい。持っててくれ」
そう云いながら、サムはスウェイジのシャツの胸ポケットに名刺を入れ、ぽんぽんと叩いた。立ちあがり、もう行こうと踵を返してネッドの背中を押す。そのときだった。
「……俺が……あんなことを云って喧嘩になったりしなきゃ……、俺がモリーを置いて先に帰ったりしなきゃ、モリーは……!」
嗚咽が暗い公園内に響いた。サムは振り向き、再びスウェイジの前で膝を折った。
「ロイ、そう悔やむのは無理もないと思う。でも、それにとらわれちゃいけない。なにもかも犯人の所為なんだ。彼女の命を奪ったのは犯人で、けっして君じゃない」
スウェイジはしゃくりあげ、両手で頭を抱えながら、譫言のように云った。
「なんで、どうして……、もうすぐだったのに……! 大学に進んでから彼女となかなか会えなくなって、夜、こうして過ごすのが楽しみだった……! でもそれももうちょっとの辛抱だって、さっき話したばかりなのに……! 嘘だ、モリーが死んだなんてありえない。だって、彼女はもうすぐ大学生になるんだよ、俺と同じ大学に入るって、がんばって勉強してそれを叶えたんだ。なのに……!」
うわあぁ、と大声で泣きだしたスウェイジに、警官が近づいてくる。
しかし、サムとネッドはもうスウェイジに注意を向けていなかった。
「サム――」
「ああ」
互いに頷きあい、サムは云った。「うっかりしてた……まだ調べ残しがあったな」
「ええ。なんで気づかなかったかな……調べ物をするのにうってつけの場所が、まだありましたね」
スウェイジが警官の制止を振りきって駆けだす。その先では
「サム。こっちはあいつらに任せておいて、もう行きましょう」
その声に振り返る。サムはネッドの顔を見ながら、別に忘れていたわけではないし、先延ばしにしていたつもりもないぞと内心で
しかし、実は結果を知るのが怖くて、無意識のうちに先延ばしにしていたのかもしれない。サムは踵を返し、ネッドに促されるまま重い足をとろとろと進めた。
* * *
午前三時二十分。検屍局を出て、サムは群青色の星空の下で煙草を咥えた。
――確認した遺体はエミリオではなかった。
だが、それでほっとできたかというと、そんなことはなかった。顔も名前も知らない、何者かに命を奪われた若者。おそらくはまだ十代後半のその遺体は、サムにエミリオもこうなるかもしれない、否、まだみつかっていないだけでもう既に手遅れなのかもしれないと感じさせた。
エミリオの顔が遺体に重なって見え、サムは居た堪れず遺体安置室を出た。ボディバッグに包まれ、ジッパーを閉めてさらに冷蔵キャビネットに入れられる遺体――サムの頭のなかで、砂のように白いその顔はエミリオからショーンへと変化した。
「サム」
ネッドの声は聞こえていた。だがサムは、返事をすることができなかった。
――キッチンから漂うパンケーキの匂い。顔を洗ってきなさいとアイリーンに注意されたショーンが、父さんも洗ってないよと口答えする。もう、ふたり一緒に洗ってきてとアイリーンが困り顔で云い、父さん早くとショーンがサムを急かす。
顔を洗い、ばしゃばしゃと派手に水飛沫を散らすショーンに、おいおい、父さんは洗面台を拭くために呼ばれたのか? と笑いながら、サムはタオルを渡してやる――そんな日曜の朝が、あの頃は当たり前に毎週巡ってくるものと思っていた。
だが子供は成長するものだ。ショーンが大きくなるにつれ、親子の関係は変わっていった。それは当然のことだった。いつまでも父さん、父さんと甘えてくるようでは、それはそれで心配だ。
サムが多忙な日々を過ごし、顔を合わせる時間が激減しているあいだに、ショーンは子供時代に別れを告げようとしていた。親の留守中に部屋で恋人と戯れる――十七歳ならめずらしくもないことだ。しかしショーンは恋に浮かれるどころか、そういう相手がいるような僅かな素振りさえ見せたことがなかった。
息子の恋人の存在と、知らされなかったその理由。それをサムは、ある日最悪なかたちで知ってしまった。
その日、アイリーンは教会のバザーを手伝うとかで出かけていた。そしてサムは、その日夜通しの張り込みを終えて交代し、昼前にいったん帰宅した。
二階からの物音と気配に、ショーンはいるのかとサムは階段を上がっていった。ショーンが好きなフォークロックかなにかが聴こえ、声をかけても反応がないわけだとサムはドアを開け、ショーン、と名前を呼びながら部屋に顔をだした。
――ショーンはベッドの上で慌てて半身を起こした。ショーンの脚に跨ってこっちを振り返っているのは、ずっとショーンの親友だと思っていた同級生のデレクだった。ふたりとも、上半身はなにも着ていなかった。ベッドの脇にはTシャツが丸めて脱ぎ棄てられ、ボタンフライのリーバイスは前がすっかり開いていた。
ショーンもデレクも慌ててその場に坐り直したが、ごまかしようなどなかった。そして、サムもまったく想像もしなかった事態に考えを整理することもできず、ただ言葉が口を衝くに任せた。ずいぶんと酷いことを云ったはずだが、サムが憶えているのはその言葉を聞いているショーンの表情だけだった。
その日、父と息子の関係はすっかり壊れてしまった。
それでもショーンは何日か経ってから話をしようとしてきたが、サムは聞く耳を持たなかった。それだけではない。サムは、無視するだけに留まらず、オカマの息子を持った覚えはないとショーンを突き放した。
――ショーンが家を出たのは、その翌日だった。
「――サム。サム、大丈夫ですか? ……戻って、きつめの酒を一杯ひっかけて
「わかってる――」
ついきつい口調で云いかけ、その表情を見て口ごもる。「あ、いや……すまん。ちょっと考え事をしてた」
現実に戻り、サムは深く煙を吸いこむと足許に煙草を投げ棄てた。
どこまで読まれているのか、ネッドはもうなにも云わなかった。