ヴァーノンに学生寮の張り込みを任せ、サムとネッドはストックトンにあるエイブラムスの自宅に赴いた。
家は、広い芝生の向こうに三角屋根が見える、よくあるタイプの
その頃、サイモンには仲のいいガールフレンドがいたが、家庭環境の変化により荒れ始めたことで距離を置かれ、それに肚を立て暴力沙汰を起こしていた。サイモンに顔の形が変わるまで殴られた娘の両親は当然、訴えると激昂した。だが母親と一緒にサイモンが謝罪し、慰謝料を払うことと、交際を解消することでなんとか収まったそうだ。
かっとしやすい性質はあったようだが、普段から粗暴というわけではなく、ハイスクールでは成績は上位で、他に問題などは起こさなかった。それは単に、親を呼ばれるのが厭だったからだろうと母親は云った。揉め事を避け真面目にやっていたのは、大学進学を機に家を出たいという思いが強かったからでしょう……その一念でひたすら勉強に打ち込めるほど、あの子は家から離れたかったんです、と。
母親はどうしたら仲良くやっていけるのかと頭を抱えていたそうだが、無理もない話だとサムは思った。新しい父親が悪いわけではないのだろう。潔癖で難しい年頃に、唯一の存在になったと思っていた母親が再婚すれば、裏切られたような気持ちになったであろうことは想像に難くない。
「――でも、サイモンはいったいなにをやったっていうんです? いいえ、なにをお疑いかわかりませんけど、きっとなにかの誤解です。あの子はおとなしくて、スポーツも苦手で喧嘩もしたことがなくて、警察のお世話になるような大それたことをする子じゃ……」
「いえ、まだ息子さんが犯罪を犯したかどうか、はっきりしたわけじゃないんです。ひょっとしたらなにか知っているか、関わっているかもしれないので、話を訊きたいだけで」
「だから、もしも息子さんがこちらに帰宅なさったら、すぐに連絡がほしいんです。大丈夫、ちょっと話を聞かせてもらいたいだけですから」
ネッドの言葉に、大丈夫なのは連続殺人犯じゃない場合だけだけどな、とサムは思った。――もしも息子が連続殺人犯だったなら、この母親はどれほどの衝撃に打ちのめされることか。
「わかりました……でも、あの子はきっとこの家には帰ってこないわ。なにかとんでもないことに巻きこまれて、逃げ場がなくなったとしても、きっともう――」
帰る前に、寮に移るまでサイモンが使っていたという部屋を見せてもらったが、そこには家具以外ほとんどなにも残されてはいなかった。
がらんとした部屋の真ん中に佇み、サムは思った。こんな部屋を、自分は知っている。チェストや本棚はあっても中身がない、からっぽの部屋――ショーンが出ていったあとも、まるっきりこんなふうだった。
「……ここの監視はどうやら必要なさそうだ」
「いちおう警察に協力を仰いで、監視はさせますけど……」
サムは首を横に振った。
「無駄骨だろうな。母親の云うとおり、奴はここには戻らない」
不安で頭がいっぱいといった様子の母親に礼を云い、サムたちはその家を後にした。
サムとネッドがストックトンからサンフランシスコに戻ったのは、もう日が暮れようとしている時刻だった。思ったよりも遅くなったなと思いながらファストフード店の前に車を停め、サムは助手席で眠っているネッドを叩き起こした。跳ね起きながら懐に入れたその手を押さえ、サムはホットドッグとコーヒーを三人分買ってこい、と財布を放った。
学生寮を張り込んでいるヴァーノンの車に乗りこみ、ホットドッグに齧りつきながらサムはエイブラムスについて聞いてきた話を報告した。親とうまくいっていなかったこと、そしてそのため、自宅に帰る可能性がほとんどないこと。
「――まだ容疑者として報道も手配もされてないんだ。奴がいま何処でなにをしてるのかはわからんが、そのうちきっとこの寮に戻ってくる。だからもうちょっと粘ってくれ。俺は、他に奴が立ちまわりそうなところがないか、聞き込みを続けてみる」
「任せるが、こっちを忘れて放置しないでくれよ。眠気と退屈が共謀して目を閉じさせようとしてきやがる」
「こいつを置いていくから、ちょっと眠ればいい」
ネッドは俺が運転してるあいだ一時間ほど寝てたからな、とサムは云った。すると、「うへぇ、すみません。自分の感覚では五分ほどだったんすけど」と、いつものふざけた口調でネッドがおどけた。
そのとき。なんとなく、ヴァーノンと目が合った。
「……こいつのこういうところが信用できなかったんだろ?」
サムが尋ねると、ヴァーノンはふっと笑いを溢した。
「ああ、なんだかふざけた野郎だと思ってた。……あんたも?」
「真面目なんだか不真面目なんだかわからん、軽薄でクソ生意気な若造だと思ってたさ」
「うへぇ、ひどい」
再び口癖がでると、ヴァーノンは呆れたようにネッドに云った。
「そういうところだぞ」
サムは含み笑いを漏らしながら思った――勘の良さといい着眼点の鋭さといい、類稀な能力を持つ優秀な捜査官なのに、どうしてこう誤解されやすい言動が多いのか。
まったく妙な奴だとネッドの肩をぽんと叩き、サムはまだ店が営業しているうちに聞き込みに行くと云って、自分の車に戻った。
サムは大学から程近い辺りにあるグローサリーストアやファストフード店、ブックストアなどでエイブラムスの目撃情報を探した。
「この学生を捜しているんだが、最近この店に来た?」
「ああ、この子ね。しょっちゅう買いに来てたけど、そういえば最近は見てないかも。ここは大学生の客が多いんで、いちいち全員の顔なんか覚えてられないんだけど、この子は毎回買うものが同じでね。それで憶えちゃったのよ」
その話を聞いて、サムはエイブラムスのデスクの下にあったゴミ箱に、インスタントヌードルの空き箱がいくつも棄てられていたのを思いだした。
「毎回買うのって、マグ・オー・ランチ?」
「そうそう。それも、いつもマカロニ&チーズしか買わないんで、よく飽きないねって話したことがあるわ。あとシュガーコーンポップスもよくいっしょに買ってた」
サムは頷いた。
もしもエイブラムスがエミリオを生かしたまま拉致しているなら、牛乳を注ぐだけのシリアルやお湯で戻すだけのインスタントヌードルは、最低限の食事として与えるのに役立つだろう。そうでなくても、どこかに潜伏しているなら自分で食べるために買いこんでも不思議ではない。聞き込みをするとき、こういう細かな点は意外と役に立つことがある。
張り込む側も隠れ潜む側も、食べることだけは欠かせない。そういえば、とサムはふと思いついてシュガーコーンポップスと牛乳、オレンジジュース、ブラウンブレッドにピーナツバターとストロベリージャム、そしてポテトチップスなどのスナック菓子をたっぷりとカゴに放りこんだ。そしてカウンターにカゴを置いて暫し眺め、さらにターキーハムやチーズ、チャンキースープとチキンヌードルスープの缶詰を追加する。
「話を聞いたお礼にしてはたくさんね」
「いや、腹を空かせた子供が待ってるんだ」
サムは、自分のぶんを忘れていたとポールモールを二箱出してもらい会計を済ませると、店員の女性に礼を云って店を出た。
「――うわぁ、こんなにお菓子がいっぱい!」
「あっちもこっちも開けるんじゃないぞ。食事は残さないで食べて、おやつの時間に少しずつだ」
「うん、わかってる!」
「あと、時計も見るんだミゲル。今は何時で、なにをする時間だ?」
ミゲルはピザスピンズの袋を大事そうに抱えたまま、えへへ、と可愛らしく笑った。
「えーっと、歯磨きしてベッドに入る時間……」
「正解だ。さ、ちゃんとしておいで」
脇を通るミゲルの頭をぽんと撫で、リックはキッチンのテーブルに広げたパンとジャムや菓子の袋を片付け始めた。
「ありがとう、サム。トリニティもいろいろ買ってきたり、食べに連れていってくれたりするんだけど、贅沢すぎてちょっと困ってた」
あれじゃ給料がもらいにくいよ、とリックが云うのを聞いて、サムは声をあげて笑った。
「想像できるな。ピザ一切れで礼を云うのも、フルコースで礼を云うのも同じだとか云ったんだろ?」
「云った云った」
「放ったらかしですまんな。トリニティにも任せっぱなしで悪いと云っておいてくれ。それに、おふくろさんも一度、様子を聞いてみなきゃならんな」
リックたちの母親を
「いいよ。サム、捜査で忙しいんだろ? 俺とミゲルはサムやトリニティのおかげでちゃんとやってるし、ママのところにも俺たちだけで行けるよ。……行こうと思えば、だけど……」
そう云ってリックは目を伏せた。ずっとジャンキーだった母親が、施設でちゃんと更生できているのか不安なのだ。離脱症状からはもう抜けだせているだろうが、躰から薬物が抜ければそれで終わり、ではないのが依存症の怖ろしいところである。
「うん、行くときは先ず会いに行ってもかまわないか、聞いたほうがいい。大事な踏ん張り時におまえたちの顔を見て、焦ってしまってもいけないしな。おふくろさんが、自分でもう大丈夫だと自信を持って帰れるそのときを待ってやらないと」
「うん。……そうだね」
「とにかく、明日にでも一度電話してみるよ」
歯磨きを終えたミゲルがひょっこりと顔をだし、おやすみの挨拶をする。サムはじゃあもう帰るから、しっかり戸締まりしてな、と声をかけつつ部屋を出ようとした。
すると、リックが云った。
「サム。……無理はしないで、気をつけて」
本当は、エミリオを早くみつけてと云いたいだろうに――サムはリックにハグをし、なにも云わず何度か頷いて見せ、ドアを閉めた。