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scene 24. 回顧

「――そういえばジョンは? 昨日からあずけたまま?」

「ああ、リックのところにいる。トリニティが云ったんだ。毎日あずけたり連れて帰ったりしないで、事件が終わるまでリックたちに任せとけってな。で、ジョン込みでリックとミゲルの世話をトリニティがみてくれてる」

 ミゲルはすっかりジョンに懐いて――逆の間違いではなく、文字どおり――夜、サムがジョンを連れ帰ろうとすると、とても寂しそうな顔をした。トリニティはわかっていてそう云ったのだろう。おかげでサムはリックたちを送ったりジョンを迎えに行く必要もなく、事件に集中できるというわけだ。

「トリニティ、いい人っすよね」

「ああ」

 サムは頷いた。「一緒に飲んだときに聞かせてくれたんだが、彼女の母親は黒人で、父親が白人なんだそうだ。それで小さい頃からどっちのグループにも入れてもらえず、苛められたと云ってた。おまけに心には男女の両方と、そのどちらでもないものを持ってると気づいた……周りの誰とも違う自分について、ずいぶん悩んだそうだよ。でも彼女はサンフランシスコに来て、その正解のない問いのなかで真理をみつけたんだ。トリニティってステージネームは自分でつけたと云ってたが、彼女にぴったりだと思うね」

 チャイナタウンで朝粥と、小籠包や海老蒸し餃子蝦餃を食べたあと。サムとネッドはヴァーノンの云ったとおり、サンフランシスコ市警本部内に設置された、連続殺人事件の捜査本部に来ていた。

 チームはみんな出払っていて、吸い殻が積もったままの灰皿など、雑多に物が置かれた室内にはサムとネッドのふたりだけだった。サムは変な気を使わなくて済むなと呟いたが、ネッドは電話番に使われましたね、と口許を歪めた。――まあ、安静にさせておくためだとわかると外に飛びだしていきそうなので、そう思っておけばいい。

 ピンボードに貼られた現場写真、地図、被害者の写真と書き連ねられた概要や疑問点。サムにとってはこの部屋の雰囲気同様に懐かしい、苦いだけで薄いコーヒーを啜りながら、ネッドは中華飯店でテイクアウトしたエッグタルト蛋撻を食べている。サムはその様子を見て、感心したように云った。

「おまえ……よくそんな食えるな」

「甘いものは別腹です。これから頭使うんだし、糖分摂らないと」

 二台つけて置かれた細長いテーブルの上には、これまでの捜査資料のファイルが積まれていた。ネッドにとっては何度も繰り返し目を通した資料だろうが、共犯者がいるという前提で見直すと新たなことが見えてくるかもしれない。

 コーヒーのペイパーカップが並んだテーブルの角を挟んで坐り、捜査報告書や現場写真をひとつひとつサムが確かめていたとき。「そういえば」と、ネッドが思いだしたように尋ねてきた。

「前に、カストロ通りでトリニティに会ったとき、あのときはありがとうとかって云ってましたよね。それに店にリックを迎えに行ったときも、借りを返してるって……いったいなにがあったんです?」

 そのことか、とサムは顔をあげた。話してもいいものかと一瞬迷ったが、ネッドなら構わないかと手にしていた報告書を置き、煙草を取って一本咥える。

「トリニティとはもともと顔見知りだったんだが、あるとき恋人の浮気調査を依頼されたんだ。夜、おそい時間に電話がかかってきたり、こっそりベッドを抜けだして明け方帰ってくることがあって怪しい、調べてくれって云ってな。で、俺はトリニティと暮らしてたレオナルドの尾行を始めた。だが質屋ポーンショップを経営していたレオナルドは、店を閉めてから寄り道もせず真っ直ぐ帰宅していて、浮気なんかしている素振りはなかった。

 一度そうトリニティに報告したが、もう少し調査を続けてくれと云われてな。すると、やっとというか、レオナルドレニーが深夜に家を出ていった。だが行き先は店で、あとから男がふたりやってきた。そのときはなにか質種に問題でもあったかと思ったが、出てきた奴の顔を見て、俺は妙な引っ掛かりを覚えてな……調べてみたらみんな麻薬の売人プッシャーで、レニーはその元締め、質屋は隠れ蓑を兼ねたアジトのようなもんだった。レニーはを自分では使ってなかったし、自分の恋人がそんなやばい奴だなんて、トリニティはまったく知らなかったんだ」

「マフィアだったんですか」

「息は掛かってたが、ただのギャング気取ったチンピラ共さ。俺は密売の証拠をつかんでトリニティに話し、通報の義務があると説明して警察に報らせた。だが家宅捜索ガサ入れが始まる前にレニーが店から麻薬ブツを引き揚げ、トリニティを連れ去った。一緒にどこかへ逃げる気だったのか、密告したと思って殺そうとしたのかはわからん。俺はそれを目撃して警察に連絡、車を追いながらチャンスを待った。数分後、道路の真ん中で警察車両に包囲されたレニーは銃を手に車から降り、こっちには人質がいる、道を開けろと云いだした。警察とレニーが云いあっている隙に、俺は車のトランクの中からトリニティを救けだした。それに気づいたレニーは銃口をこっちに向け……警官たちが一斉に発砲した。蜂の巣だ」

 蜂の巣と聞き、ネッドは顔を顰めた。

「やばかったんすね。それで借りか……」

「いや。彼女の云う借りはここからだ」

 サムは話を続けた。「レニーがそんな死に方をして、トリニティは自分が浮気だなんて疑った所為だと後悔して自分を責めた。ギャングだろうが売人ディーラーだろうが、彼女にとってはただの恋人だった。愛していたんだ。……が、少し経つと、トリニティは妙に落ち着いた様子になった。酷くショックを受けていたのに、その変わりようがどうも気になって、俺は彼女の様子を見に寄った。と云っても、そのとき偶々、近くを通ったからだった。声をかけながら部屋に入ると、彼女……彼はちょうど、階段の手摺からぶら下げた洗濯紐に頸を掛けたところだった。俺は手摺を乗り越えようとする彼を後ろから捕まえて、床に引き倒した。十分くらいその姿勢のまま動けなかったよ……トリニティは、レニーのところに行く、死なせてくれとずっと泣き喚いてた」

 ネッドは真剣な表情で聞いている。

「でまあ、宥めたり人を呼んだりして俺は夜には帰ったんだが……翌日、いや、その二日後だったかな。俺は重度の依存症患者がいる施設にトリニティを連れていった。ドラッグをやってる奴なんざ街にいくらでもいるが、さすがにトリニティも廃人同様になったヘロイン中毒者ジャンキーの成れの果てを見るのは初めてだったらしくてな……無言でトイレに駆けこんでたが、たぶん吐いてた。出てきたとき、目尻に涙の痕もあったよ。

 それから彼はもう死にたいとは云わないし、レニーの死も吹っきった。レニーが死んだのは自分の所為じゃなく、自業自得なんだと、それだけのことをしていたんだと現実を受けとめたんだ。……俺は連れていっただけで、なにも云わなかったがね」

「……たくさんの人の命を奪うような悪人は、殺されてもしょうがない……んですかね、やっぱり……」

 サムはその疑問に、ゆっくりと首を横に振った。

「いや。この世に誰ひとりとして、殺されていい人間なんかいやしないさ。どんな凶悪犯だったとしてもな。犯した罪は償わせにゃならん。それは死によって贖われるべきじゃないと俺は思ってる。……だが、それでもどうしようもない瞬間はある。俺たちのような捜査官や警官は、次の犠牲者をださせないために確実な仕事をしなきゃいけない。そこには自分の命を護るってのも含まれてる。撃つ必要があるときには、厭でも冷静な判断のもと撃たなきゃいけないんだ。それがプロだ。……レニーのような奴はだから、やっぱり自業自得としか云えない。その一言だけじゃ伝わらないだろうがな」

 ネッドは感慨深げな表情で暫し黙っていたが、やがてサムを見て云った。

「トリニティも凄いけど、サムはそれ以上っすよね。さすが年の功……っていうと殴られるかもしんないっすけど、なんていうか……やっぱり尊敬します」

「褒めてももう奢らんぞ」

「うへぇ、それは残念」

 さて、無駄話はこのくらいにして資料を見直さないと、とサムは煙草を揉み消し、仕切り直すように報告書の束を叩いて揃えた。



「――一件めの犯行だけ見ると、模倣犯の犯行だなんてまるで思えませんね」

「ラスベガスのか。そうだな」

 サムは連続殺人事件の一件めの犯行とみられているラスベガスの資料から、順にじっくりと目を通していた。

 ひとりめの被害者の検屍報告書には、胸部と腹部に刺創が八ヶ所あるものの死因は失血死ではなく、頭部外傷による脳挫傷とあった。前頸部も切られていないし、別の資料には現場に争った跡があると書かれている。被害者の両腕と頸部には強く握られたらしい手の痕も残っており、これだけ見ると確かにただの怨恨か、突発的な暴力沙汰が行き着いた結果のようにも思えた。

「三件め以前も入れて連続殺人とみられているのは状況と、複数回刺すって点のみか。確か凶器も、四件めから変わっていたよな」

「ええ、四件めからバタフライナイフによく見られる刃の形状となってますね。再現度が明らかに上がったのも四件めから……。ひょっとして、共犯者と組んだのが四件めからなんじゃないっすかね?」

 サムは資料から顔をあげた。

「ありえるな。その場合、エイブラムスがもともとの殺人犯だったのか、途中参加の共犯者なのか……」

 ソガードのファンであったエイブラムスなら、殺人の手口について実行犯に指南するというのは充分考えられるとサムは思った。が、同時にどこかしっくりこない感じもする。かといって、エイブラムスが一件めからの犯人と考えるには、二件め、三件めを含め犯行の再現度が低すぎる。

 こういうときはネッドの直感と発想力に頼ってみるか、と、サムは疑問をそのまま投げかけることにした。

「エイブラムスが一件めから殺してたと仮定して、ならどうしてあんなに犯行が杜撰だったんだと思う? 被害者に抵抗されたとか、殺しに慣れてなかったのはしょうがないとして、刺す回数くらいはなんとかなったと思うんだが」

「それ、俺もいま考えてたんすけど、一件めは模倣するつもりなんてなくて、偶々なにか理由があって殺しちまったんじゃないすかね?」

 思っていたのとは違う答えが返ってきて、サムは目を瞬いた。

「ふむ?」

「ただの殺しとして見るなら、杜撰でもなんでもない、ただの刺殺事件じゃないですか。ソガードの模倣と見るから少ないと思っちまいますが、八ヶ所も、つまり繰り返し何度も刺すってのはふつう、犯人はかなり我を失ってたと考えますよね。よっぽど憎かったか、頭にきてたかって感じで」

「ラスベガスの一件だけなら、確かにそう考えるのがふつうだな」

「ですよね。で、現場から逃げたあとに頭が冷えて、自分で為出かしたことにショックを受けたと思うんですよ。やっちまったどうしよう、捕まったらどうしようって……。だから……ひょっとして、ひょっとしたらですよ、それが自分の犯行だとばれないように、〝魅惑の殺人鬼The Fascinating Killer〟の犯行に見せかけようとして、犯行を繰り返したってことは考えられないっすかね?」

「自分の犯行を隠すために、なんの関係もない人間を何人も殺したっていうのか? いくらなんでもそこまでやるかな、誰かを真似ようがどうしようが、犯行を繰り返せば捕まる可能性が高まるくらいわかりそうなもんだが」

「それは冷静で慎重な人間の考え方っすよ。小心者がびくついたらとんでもないことをやらかしたりするじゃないすか。死体をばらばらにするのも、逮捕してみればごくごくふつうに当たり前の生活を送ってる奴が、捕まることを怖れてやったことだったり……。エイブラムスも一件めの犯行を隠すために、有名な殺人鬼の仕業に見せかけようとしたのかも――」

 ネッドはそこまで云うと、テーブルの上いっぱいに広げた資料に目を彷徨わせ、なにか考えこみ始めた。サムは黙って、ネッドが再び閃くまま言葉にするのを待った。

「……四人めから再現度が上がった……。エイブラムスはまるでソガードになりきるみたいに、髪を金髪に染めた……」

 ぼそぼそと呟いたあとネッドは暫し黙りこみ、おもむろに顔をあげた。

「サム。俺……三ヶ月前に、初めて犯人を射殺したんです」

 唐突にネッドが口にしたそんな言葉に、サムは眉根を寄せた。

「たとえ凶悪犯であっても、自分が人の命を奪ったってことに、俺はものすごくショックを受けました。いつかそんなこともあるって覚悟はしてたつもりだったけど、俺はなんにもわかっちゃいなかった。カウンセリングにも通ったけど、俺に話をさせて、自分でそれについて考えろっていうお決まりのやつばかりで、ちっとも助けにならなかった。なにもすっきりしないまま、次の捜査でまた銃を使う場面があって……俺は撃ちました。自分はFBI捜査官なんだ、俺は若手きっての敏腕捜査官なんだって自分に言い聞かせて、そうんです」

「なりきったって……事実、そうなんだろう」

「そこはどうでもいいんです。……俺は、殺してしまったってぐずぐず悩む俺を棄てて、平気で人を撃てる捜査官になりきることで、自分をごまかしたんです。そうしなきゃ、仕事を続けられなかった。俺は理想の捜査官を頭のなかに作りだして、それを真似たんです! ……エイブラムスもきっと同じだ。人を殺した自分と向き合うのが苦しくて、平気でいられる自分を作りだしたんだ。だから髪も真似て、ソガードに近づくために犯行を繰り返して……麻痺させてる」

 真面目なんだか不真面目なんだかわからない、お調子者のネッド。そのネッドが初めて見せるその貌を見つめ、サムは今日も長い一日になりそうだと思いながらコーヒーを飲み干した。

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