「リーゼ……」
セリーヌは子供のように泣き続ける私の背中をさする。
これではどちらが子供か分からない。
背中をさする彼女の手は暖かく、感情がごちゃ混ぜになった私の心の隙間を埋めていくようだった。
戦場と化したこの場は血と肉の臭いが充満していた。
音は鳴りやみ、セリーヌが呼び出した魔物たちが残った兵たちを全て食い殺してしまったようだった。
敵をすべて葬ったプレグたちは、いつの間にか姿を消してしまった。
普段なら絶対にありえないことだった。
私の意志に反して消えることはないのだけれど、もしかしたら私の精神状態が反映されているのかもしれない。
「敵はもう?」
「うん。魔物たちとリーゼのプレグが全部殺してしまったみたい」
「そっか……」
分かりきった問答をしながら、私は自分の精神を落ち着かせようと努力する。
こんなところで泣いている場合じゃない。
結界は破られたんだ。
いつ敵の増援が来てもおかしくない。
泣いてなんかいられないのに……だけどダメだ。涙が止まらない。
どれだけの時間が経っただろう?
戦場は静寂に支配され、風の音と私のすすり泣く声しか聞こえなくなった。
しかし静寂とは正反対に、血肉の匂いだけは時間が経過すればするほど醜く強くなる。
そんな混沌とした世界で、たった一つだけ人が動く音がした。それもすぐ側で。
「……嘘だ」
私は音のするほうに視線を向けた。
信じられないという思いと、信じたくない想いが同時に押し寄せた。
だっていま私の目の前には、死んだはずのシュトラウスが立ち上がろうとしているのだから。
「リーゼ、これってどういうこと? なんでシュトラウスが? もしかして生きてたの!?」
セリーヌの声は徐々に希望に染まっていき、やがて立ち上がった。
「待ちなさいセリーヌ! いまは下がってて、危険よ」
セリーヌは私の声に驚き、なんで? と言わんばかりに振り返った。
「様子が変だわ。それにいくら吸血鬼でも、完全に死んでから勝手に蘇るはずないもの」
「……そうだよね。分かった。リーゼは?」
「私は大丈夫。心当たりがあるから。だから、貴女は下がっていなさい」
私はセリーヌを下がらせる。
キリンちゃんの背中に乗るように指示し、ここから離れてもらう。
だっていま起き上がろうとしているのはシュトラウスであって、シュトラウスではないのだから。
「こんなかたちで再会なんてしたくなかったんだけどな……」
私の脳内に、シュトラウスが言っていたことが蘇る。
吸血鬼が魔女の血を吸い続け、死んでしまった場合、その吸血鬼は”影の魔物”として蘇ると。
メイストが行っていた手駒の増やし方の一つだ。
吸血鬼を誘惑して血を与え続け、騙して殺して手駒にする。
私とシュトラウスが否定したそのやり方が、意図しないかたちで実現してしまった。
「少し迷ってしまう自分が嫌になる……」
本当はとっとと殺してしまうべきだ。
影の魔物に堕ちるということは、魂が穢れる行為だ。
気が遠くなるほどの時間を生きた吸血鬼の果てが、こんな怪物となって殺戮を繰り返す化物というのは許されない。
シュトラウスという吸血鬼、魔王の尊厳が揺らいでしまう。
頭では分かっている。
いまここでシュトラウスを消すべきだと。
いまならまだ覚醒途中、難なく殺せるだろう。
もしも彼が影の魔物として蘇った時、本当に私のいうことを聞く存在になるかも分からないのだ。
だから、彼の尊厳のためにも、私やセリーヌの安全性を考えてもここで殺すべきなのだ。
なのに体が動かない。
いつもならこんなの考える間もなく実行するのに、合理的な判断だと分かっているのに、体が動かない。
動け、動け、動け!
この身に命じても、いうことをきかない。
数多のプレグを操れるクセに、私というたった一人の魔女の体すら動かせない。
頭のどこかで、彼がもしも私のいうことを聞いてくれる影の魔物だったらという妄想がよぎる。
もしかしたら、また一緒に居続けられるかもしれないという期待が頭を支配する。
そんなの虚しいだけだという声が自分の中で聞こえる。
だけどそれでも! という強い気持ちがそんな声をかき消していく。
「シュトラウス……ごめんね」
私はゆっくりと立ちあがり、謝罪の言葉を口にした。
右胸に風穴が開いているせいで全身がフラフラだ。立ちあがったのさえ奇跡だろう。
体は自由に動かせない。
体の代わりに最大限動かせるのは、不思議そのものしかない。
私は魔眼を最大稼働させ、私とシュトラウスのまわりを不思議に満たしていく。
私は決意したのだ。
シュトラウスを殺すのではなく、影の魔物として使役していく道を。
客観的に見たらありえない選択肢だと思う。
だけどそれは所詮外野の声。
実際に当事者になった時、私には彼を再び殺すという選択こそがありえなかった。
私は周囲に不思議を充満させ、体の治療を行っていく。
不思議は私の右胸に集まりだし、失われた組織を再構成していく。
私の右胸が塞ぎ切る前に、シュトラウスは立ちあがり私のほうを振り返った。
顔は生前のままだが、血の気が引いているとかそういう次元ではなく真っ白で、その上から影の魔物特有の黒い
彼の体の傷はすでに塞がっていて、生き返ったというよりも生まれ変わったに近い。
「え!?」
私が呆然とシュトラウスを見つめていると、彼はよろよろと歩き出し、私の胸の中に飛びこんできた。