結界を解いたと同時に部屋のドアは勢いよく開かれ、多数の兵士がなだれ込み、私たちに銃口を向けた。
しかし私は何も恐れてはいなかった。
なぜならシュトラウスの血の武具たちが、兵士一人一人の首筋に切っ先を突きつけていたからだ。
この射程なら刃物が首を切り落とす方が速い。
「ご無事ですか陛下」
「ワシは大丈夫だ。しかし状況はなにも変わっていないぞ?」
確かにマルケスからしたら状況はなにも好転していない。
単純に人質が増えただけのような状態だ。
「ちょっと尋ねたいんだけど、見張りから何か伝令とかはないの?」
「どういう意味だ!?」
私に話しかけられると思っていなかった兵士が、やや驚いた様子で反応する。
しかし今の様子を見る限り、報告は入っていないみたい。
「まだ安全だと言うべきか、それとも報告する人間さえも消されたか?」
シュトラウスは恐ろしい言葉を口にした。
「さっきから何の話だ!? 分かりやすく言え! ここはワシの国だ」
皇帝マルケスは威張る目的でもなんでもなく言い切った。
つまり何か危機が迫っているのであれば、この国のトップとして対処する気概があるということだ。
彼の目を見ると、まだ彼は腐っちゃいない。
「私たちは君たちとは違って不思議の気配に敏感でね。この城はおろか、王都ヘディナには不思議がほとんどないと豪語していたけれど、突然不思議が溢れだしているのよね。これって変だと思わない?」
「なんだと? 仮にそれが本当なのだとして、考えられる原因はなんだ?」
マルケスはさっきまでとは打って変わって、一気に皇帝としての姿に戻る。
「一つはここに私たちが存在する時間が長いこと。だけどそれはありえないわ。結界で隔離していたから土地に影響が出るほどの不思議は発生しないはず。だとしたらもう一つね」
「もう一つ?」
皇帝マルケスは、何かに感づいたように繰り返した。
「そう。遠く離れた地域にも影響を与える程の不思議の個体か、群れが迫っているということ。私の感覚だと群れのほうだとは思うけど」
皇帝は私の言葉を聞いてしばし固まる。
どうするべきかを考えているのだろう。
そもそもからして、彼らからしたら私も敵だ。
しかもいつでも自分たちの命を狙える敵。
「魔女リーゼ・ヴァイオレット。ワシはいまこの状況で申し出る権利があるか分からないが、お主と契約を交わしたい」
「契約? どんな? わかっているかと思うけど、魔女や吸血鬼と交わす契約は人間たちの紙切れ一枚の契約とは違うのよ?」
考え抜いた末の結果が私との契約。
一体どんな内容だろうか?
「分かっている。しかしこうして話すのはまだ二回目だが、お主が嘘をつくような魔女だとは思えない。それに対処できると分かっていたとしても、わざわざ我々が逆転するかもしれない危険を孕んでまで結界を解き、この部屋を開放して外の様子を確認しようとしてくれた。ここに疑う余地はない。だからワシは魔女リーゼにお願いをしたい。ワシと共にここに迫る何かと戦ってくれないか? 過去に魔物の群れを追い返したことは何度もある。しかしこの王都の中に不思議が溢れるほどの敵はいままでいなかった。そんな敵を我々だけで撃退できるか分からない」
ものすごく簡単に言えば”助けてくれ”ということらしい。
「私がお前たちと共闘するとして、私たちは何を得られるの? 契約とはお互いに平等でなければならない。魔法は等価交換が原則。それは契約も同じよ?」
私はマルケスに問う。
君たちを助ける見返りは一体なんなのかと。
「我々は今後、リーゼ・ヴァイオレット及び貴女の関わる範囲に一切の干渉をしないと約束しよう」
彼が持ち出したカードは思っていたよりも魅力的だった。
私たちがここに乗り込んだ目的と合致している。
私はシュトラウス、セリーヌ、マゼンダと順番に目を合わせる。
三人ともが静かに頷いた。
あとは私の選択だけ……。
「良いでしょう。契約としましょうか」
私はシュトラウスから血のナイフを受け取って自分の腕を傷つけたあと、マルケスの右腕にナイフを突きつける。
「な、何をするつもりだ?」
「契約よ。魔女の契約」
突然刃物を突きつけられたマルケスは、やや怯えた様子で私を見上げる。
彼ら人間の契約は紙にサインだろうが、私たち魔女の契約に契約書は存在しない。
魔法を操る私たちにとって、紙での契約などなんの役にも立たないのだ。
「ちょっと血をもらうわよ」
私はマルケスの腕を軽く刺す。
溢れ出た血は、不自然な軌道を描いて私とマルケスの頭上に舞い上がり、上空で待機していた私の血液と混ざり合う。
「ここに契約する。我は此度の危機を汝と乗り越え、汝は我らと我らの保護区域に一切の干渉を禁ずる。破った者は契の業火に焼かれることをここに明記する」
私が契約を唱え終えると、頭上に舞い上がった私たちの血が黄金に輝き広がっていく。
マルケスと私を円形に包みこんだ血液たちは、そのまま
「これで契約完了よ」
「破ったらどうなる?」
マルケスは恐る恐る尋ねてきた。
破るつもりなのだろうか?
「詠唱を聞いていなかったの? 契の業火に焼かれるって言ったじゃない。言葉の通りで、約束を違えた者は誰であろうと焼け死ぬわ」
この契約はもちろん私にも拘束力がある。
つまりこのまま逃げたりすれば、私も業火に焼かれて死ぬのだ。
「さあお互い命を天秤に乗せたところで、現状の迫っている危機の把握を始めましょうか」
私の言葉に、ここにいる全員が静かに頷いた。