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第13話 王妃からの申し出

 成人の儀の翌日。

 朝の仕事を終えた碧音は、厨の片隅で簡単に食事をしていた。食欲がなく、塩粥と汁物だけだ。


(昨日、龍海殿下と顔を合わせたからかしら……)


 なんて、夢を見たのだろう。

 あんなにも、前世の夢を鮮明にかつ長々と見るとは思ってもいなかった。

 ため息をつきながらものろのろと食事をしていたら、佐祐が顔をのぞかせた。


「碧音様、当主様がお呼びでございます」


 残りの食事を流し込むようにして済ませてから立ち上がる。一緒に食事をしていた使用人が、食器の片付けは引き受けてくれた。碧音に対する感情がどうであれ、当主を待たせるのはまずいという判断らしい。

 碧音が部屋に入った時、机に向かった父は何やら渋い顔をしていた。父の前には、何か手紙のようなものが置かれている。

 部屋の隅には、綾女が控えている。薄桃色の衣をまとった彼女の表情は、碧音を見るなり視線を落とした。


「王妃様からお前を侍女として迎えたいとお言葉があった。すぐに支度をしろ」


「え……侍女、ですか? でも、あの、縁談……は……?」


 先日取り決められた縁談はどうなるのか。

 澤ノ井の当主に嫁ぎたいわけではないが、澤ノ井家からは多額の金子を受け取ることになっていたはずだ。


「そんな話はあとでどうにでもなる。王家から声をかけられた以上、拒むわけにはいかんだろう。王妃付きの侍女となれば、もっといい縁談が見つかるかもしれん。お前は呪符を扱えないのだから、家の役に立つようにと言ったはずだ」


 父の方で、澤ノ井家と話をつけてるならば、これ以上碧音が何か言う必要はない。


「……わかりました。王妃様の宮へ参ります」


 努めて冷静に答え、碧音は深く頭を下げる。綾女がするするとこちらに近づいてきた。


「伯父様、碧音の部屋に行ってもいいかしら? 橘家の者らしい品をちゃんと選ばないといけないもの」

「ああ。頼む。役立たずだが、橘家が甘くみられるわけにはいかないからな」


 父にとっては、今回の話も、碧音を利用するいい機会でしかないのだろう。

 橘の家で碧音がどう扱われていようが、それを橘家以外の人々にあからさまに見せるわけにはいかないのだ。

 重苦しい気持ちを抱えたまま、綾女と共に自室へと戻る。

 父や、有力者達から多数の衣を与えられている綾女とは違い、碧音の部屋には必要最低限の品々しかない。


「あなたに、王妃様から声がかかるなんてね――衣、これしか持っていないの?」


 大きな木箱を取り出し、身の回りの品々をつめようとしていたら、綾女が呆れたように声を上げた。


「ええ。これしかないわ。私には、必要のないものだったし」


 嫌味を返したつもりはない。事実を述べただけ。

 華やかな色合いの衣も、金の髪飾りも、唇に差す紅も、碧音の部屋にはないのだ。

 碧音に与えられるのは、誰かがもう不要と判断した衣だけだった。上質なものではあるのだが、着古された感があるのは否定できない。

 それに、いつも使用人のように働いていたので、橘の娘らしい華やかな衣も不要だったのだ。


「……これで、王宮に行かせるわけにはいかないわ。ちょっと待ってなさい」


 立ち上がった綾女は、足早に部屋を出て行った。たぶん、自分の衣を持ってきて碧音に与えるつもりなのだろう。

 王宮に着古した衣で行けば、橘の対面に泥を塗ることになる。先日、王宮へ神事の手伝いに行った時には、使用人として赴いたので、人の目にはつかなかったというだけの話だ。


(……悪気はないのは、わかっているのだけど)


 綾女は、好意でやっているだけ。

 けれど、この家における碧音と綾女の扱いの差を真正面から突きつけられた気がした。

 やがて、両手に山のように衣を抱えた綾女が戻ってくる。彼女が身に付けるのは、明るい華やかな色合いのものが多い。


「侍女として上がるのだから、あまり派手なものは駄目じゃないかしら」

「そう? このぐらい地味なものだと思うけれど」


 綾女は、赤い衣を一枚取り出し、碧音の胸の前に当ててみて首を傾げる。綾女ならなんなく着こなす色合いも、碧音では完全に衣に着られてしまっているように思えた。


「王妃様は、なぜあなたを王宮に呼んだのかしら」

「私も、わからないの」

「そうよねえ、あなた、王子様達にお目にかかったことはあるの?」


 その問いには、首を横に振る。

 どこかで宴があれば、父や綾女が呼ばれるのはしょっちゅうだ。だが、碧音は今まで華やかな宴に出ることはなく、王子達と顔を合わせる機会はなかった。


「王子様とお目にかかったことがあるのなら、妃候補の行儀見習いのためという可能性もあるのかしらと思ったけれど」


 王子と顔を合わせたことがあるならば、碧音が見染められたと思っていたらしい。だが、碧音は王子達と顔を合わせたことはない。

 昨日、龍海と鉢合わせたのは数えなくていいだろう。

 顎に手を当てた綾女は、考え込む表情になる。

 綾女ならば、橘家の力を求めてのことという可能性もあるが、碧音は呪符術は扱えない。


「……本当にわからないの……衣、ありがとう。どうしようかと思っていたから、ありがたいわ」


 綾女が持ってきてくれた衣の中から、なるべく自分に似合いそうなものを選んで脇によける。基本的に地味な衣を身に着けることが多いので、選び出した数はさほど多くない。


「わからないなら、しかたないわね。持って行かない衣は、私の部屋に戻しておいてくれる?」

「わかったわ」


 持ってきてくれた衣を、持って帰るつもりはないらしい。衣を戻すぐらいはしておこう。


(……どっちにしたって、機会をいただいたことになるんだから)


 王宮に上がれば、今までの生活とは大きく変わるはず。自分を奮い立たせるかのように、碧音は唇を引き結び、衣を選ぶ作業に戻った。




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