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第15話 王子との邂逅

 開け放たれた窓から吹き込む風は、ひんやりとしている。夏が過ぎ去り、朝晩は冷え込むようになってきた。

 心地いい気候だが、王妃の宮には、緊張感が漂っていた。

 間もなく、王妃の息子である建志がこの宮を訪れるからだ。

 彼は王宮から少し離れたところに屋敷をかまえている。もちろん、折に触れて母である王妃に顔を見せに来ていたのだが、碧音が王妃の侍女となってからは初めてだ。

 建志を出迎えるのは、侍女頭である夏子と経験を重ねた侍女だけだ。他の者は、目立たないようにしながら、いつもの仕事をするよう事前に命じられている。


「殿下、ようこそおいでくださいました」


 侍女達を代表し、夏子が朝の挨拶をしている声が、廊下の掃除をしている碧音のところまで聞こえてくる。

 好奇心が芽生え、ついちらっとそちらに目を向けた。

 王子だけではなく、供の者も何人かいるようだ。

 中心にいる背が高く、堂々とした体躯で、刺繍の入った深緑色の衣をまとっているのが建志だろう。整った顔立ちだが、傲慢な光を放つ目からは、誰も自分には逆らえないと思っているように感じられる。

 建志は、そのまま一行を引き連れて王妃の部屋へと向かう。途中ですれ違う侍女達に、気軽に話しかけているようだ。


「そなた、もう少し姿勢を正せ。服装がだらしないぞ」


「お前、名はなんと言う? 美しいな。今度の宴の時、俺の館に手伝いに来てもらおうか」 あけすけな物言いにも、侍女達は頭を垂れて返す。悪い気はしないようで、中には耳を赤くしている者もいた。


(近づかないようにしよう)


 建志が王妃の部屋で過ごす時間は、毎回まちまちだそうだ。

 掃除を終えた碧音は、裏庭の薬草園に移動した。呪符術を使う時、様々な薬草を使うこともある。そのため、橘家にいた頃も、薬草の手入れは碧音の仕事のひとつだった。

 丁寧に薬草の状態を確認し、収穫した方がいいものは収穫していく。

 きちんとした薬は侍医や薬師が用意するが、ちょっとした傷や軽い火傷、喉の痛みぐらいならば、こうして裏庭で育てている薬草で対応できることも多い。


「こんなところで何をしているんだ?」


 その声が聞こえた瞬間、碧音はびくりと肩を跳ね上げた。相手に挨拶をしないわけにもいかない。

 慌てて振り返ると、外廊下から腕組みをした建志がこちらを見下ろしている。王妃との面会は、もう終わったのだろうか。


「お前、橘家の碧音だろ? ここで何をしている?」

「橘家では、薬草も育てておりましたので。夏子様が、こちらの手入れもするように、と」

「……そうか」


 じっとこちらを見ている建志の視線に、居心地が悪くなる。碧音が視線を落とすと、彼は口角を上げた。


「落ちこぼれのくせに、母上の侍女になるとはたいしたものだ。どうやって、母上に取り入った?」


 建志の言葉には、悪気などまったくなさそうだから、なおさら胸が痛む。

 陰口を言われるのも、真正面から悪し様に言われるのもしょっちゅうだが、その度に傷つくのはどうしようもない。


「私にも、理由はわかりません。ですが、招かれた以上、精一杯お勤めしたいと考えております」 なるべく穏やかに説明しようとするが、声に震えが混じるのを止められない。建志は腕を組んだまま、ふんと鼻を鳴らした。


「なるほど、雑務にはうってつけだな。呪符も扱えないのだから、それくらいしかできまい」


 辛辣な言葉に、碧音は唇を引き結んだ。

 成人の儀を終えても、呪符を扱えるようにはならなかった。

 建志は、碧音の様子を観察するように目を細め、こちらに身を乗り出す。

 問いを投げられ、碧音は一瞬息をのむ。そんなこと、誰にも聞かされていないし、誰かにたずねてみようなんて考えたこともなかった。


「母上はお前に興味があるらしいぞ。先ほど、挨拶にうかがった時に、そう話していたからな。なぜだろうな?」


 自分でも不可解なのだから、答えようがない。


「……わかりません。私自身、戸惑っております」


 結局、そう返すしかなかった。碧音の反応を見た建志は口角を上げる。


「橘家の落ちこぼれに何を求めるんだろうな……。それを知れば、母上の真意もわかるってことか」


 建志は一度、周囲の薬草を冷めた目で見やると、興味を失ったかのように踵を返そうとした。

 軽く袖を翻した彼は、最後にもう一度だけ振り返る。


「そうだ。忘れずに言っておいてやるが――万が一、お前が母上の期待を裏切るようなことがあれば、橘家ごと地に落ちるかもしれんぞ。まあ、頑張れよ?」


 刺すような言葉を残すと、建志はあっさりと去っていく。その背中を追うことなどできるはずもなく、碧音は、ただ呆然と立ち尽くしていた。


 ざわっと風が走り抜けた。風が葉をそよがせる音が、やけに耳につく。

を知っているのかは分からないが、一族を利用するような思惑があるのだろうか。


(何もわからないまま、ただ王妃様に仕えて……それで大丈夫なのかしら。もし失敗したら……)


 ただでさえ慣れぬ宮中生活。

 夏子の教えを受けられるようになってようやく先輩侍女達の手を煩わせることも少なくなってきたが、碧音の行動ひとつで生家に迷惑をかけることになりかねないと言われてしまえば、足がすくむ。


(……今まで以上に、心を込めてお仕えするしかないわね)


 生家に戻れるはずもない。碧音が生きていく場所は、ここにしかないのだから。




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