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第19話 定められた位置

 その日の夕方のことだった。

 新たに献上された壁掛けを、広間にかけることになった。鮮やかな色合いで草花を緻密に織り込んだ見事な品だ。


「あなたが作業を監督しなさい」

「ですが、夏子様。私はまだ……経験が足りません」


 本来ならば、経験のある者が担当すべき作業だ。なぜ、夏子が碧音に監督させようと思ったのかがわからない。


「いつまでも、そのようなことを言っているわけにもいかないでしょう。あなたにも、もっと仕事を覚えてもらわなくては」


 王妃のもとで働く侍女は、しばしば入れ替わる。見染められて嫁いでいくことが多いからだ。王族に見染められることもあり、有力者達も、それを期待して王妃のもとに侍女を送り込んでくる。

 夏子にそう言われてしまえば、それ以上反論はできない。綾女との違いを目の当たりにした直後だからなおさらだ。

 手伝いを頼んで広間に向かった碧音は、そこで立ち尽くしてしまった。

 広間の壁を見上げると、すでに金具が打たれてはいるが、かなり高い位置だ。手伝いを頼んではいたのだが、なぜか他の侍女達は来なかった。


(一人で、どうにかするしかなさそうね)


 碧音は踏み台を引き寄せ、両手で壁掛けを抱えこんだ。だが、実際に持ち上げてみると、想像よりも重いうえに幅が広い。壁にかけるのは困難だ。

 必死に腕を伸ばそうとするが、飾り紐がからまり、上端を掛けられそうで掛けられない。やがて碧音の上体がぐらりと揺れる。慌てて足を踏ん張ったものの台から半ば転げ落ちた。

 半ばなのは、途中で諦めて、壁掛けを抱えたまま飛び降りたからだ。


「……やっぱり、一人じゃ駄目ね」


 つぶやいた時だった。まるで、見計らったかのように背後から声がかけられる。


「大丈夫? 一人でやるのは難しいでしょう」


 振り向けば、そこには綾女が立っている。綾女は碧音の側まで来て、壁掛けに手を置いた。


「私が支えておくわ。さあ、かけてしまいましょう」


 綾女は台に乗るよう碧音をうながし、碧音が壁にかけるまで支えてくれる。


「少し曲がっているわ。右を上げて」

「これでいい?」


 少し離れたところから壁の様子を確認した綾女の指示に従い、碧音は右の端を少し上げる。


「ええ、大丈夫だわ。あとは、飾り紐を整えて終わり。変わってくれる?」


 碧音と場所を変わった綾女は、壁掛けの左上と右上にある飾り紐をきちんと調えた。

 一歩下がって眺めると、壁一面を覆う赤と緑が美しい。広間まで、明るくなったようだった。飾り紐も複雑な花の形に結ばれていて、壁掛けに華やかさを添えている。


「すごい……綾女が来てくれてよかったわ。私一人じゃ、どうにもならなかった」


「たいしたことないわ。橘の家でも、同じようなことは何度もしていたでしょう」


「……そうね」


 生家にいた頃のことを思い出す。

 本来、こうやって室内を飾る差配は、当主の妻、もしくはその娘が行うもの。

だが、橘家での碧音は、当主の娘とは認められていなかった。かわりに、綾女が家の中のことも担当していたのである。

 完璧な橘の血、完璧な侍女。綾女の側にいると、どうしたって劣等感を刺激される。ここならば、自分の道を見つけられると思っていたのに。

 かけ終えたところへ、他の侍女達が様子を見に来た。


「まあ、もう終わったのね。綾女がやってくれたの?」

「ええ、碧音と二人で」

「……そう」


 彼女達は、綾女の言葉にちらりと碧音に目を向ける。なんだか、嫌な気配だ。


「私達が来るのが遅くなってしまって悪かったわ」

「いいえ、綾女が来てくれたので大丈夫です」


 その声音でわかってしまう。ここに彼女達が来なかったのはわざとなのだ、と。碧音が一人で苦労するのを物陰で見て笑うつもりだったのだろう。


「いいえ、私は通りかかっただけで。碧音はきちんと自分の仕事をしていましたよ」


 碧音の努力を肯定する言い方ではあるが、周囲がどう受け止めるかはまた別の話だ。


「では、私達はもう行くわね。碧音、しっかり励まなければだめよ」

「……はい」


 綾女も含め、侍女達は皆広間を去っていく。戸口のところから、綾女はちらりと碧音の方をうかがったけれど、口角を上げて、笑みの形を返すのがやっとだった。

 たしかに、橘家にいた頃も何をやっても綾女の方がうまくこなし、周囲の評価も綾女に集中していた。結局、この宮でも同じ構図なのだと改めて思い知らされる。


(……また、できる綾女と、駄目な碧音ってことね)


 碧音は足早に広間を出ていった。

 今は、少しでも勉強しよう。経験さえ積めば、いつかはもう少しましになれるかもしれないから。




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