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第21話 閉じ込められた碧音


「待って! まだ、中にいるの!」


 慌てて戸に駆け寄り声を上げるけれど、無情にも鍵のかけられる音が外から響いてくる。


「誰か!」


 もう一度声を上げるものの、応じる声はなかった。それどころか、ぱたぱたと走り去る足音が聞こえてくる。


(……どうして)


 戸に背中を預けるようにして、ずるりとその場に座り込んだ。最初から好かれていないのはわかっていた。綾女が王宮に来てからは、それに拍車がかかっていたのも実感していた。

だが、こんなお勤めに支障をきたすような嫌がらせをされるほどだとは思ってもいなかったのだ。自分の甘さを痛感させられる。

膝を抱えて座り込み、周囲に視線を巡らせる。日は落ちかかっているから、太陽の光は期待できない。

薄暗がりの中、誰もいないはずなのに誰かに見られているような感覚。恐れる気持ちが、身体を震わせる。

――怖い。


「お願い、開けて……」


 膝を抱えたままつぶやくものの、返事などあるはずもない。

 じっとりと冷たい空気が肌を撫でるような気がする。


(落ち着いて……落ち着かないと)


 今日はもう期待できないけれど、明日になれば誰か通りかかるだろう。声を上げれば、きっと誰かに届くはず。我慢するのは一晩だ。一晩でいい。

 もしかしたら、見回りの者が気づいてくれるかもしれない。


(明日になったら、誰か来てくれるから……)


 自分に言い聞かせるように、心の中でつぶやいて深く息を吸う。

日が完全に落ち、戸に身を預けていると、時間の感覚も曖昧になっていく。どれくらい経ったのだろう。数刻だろうか? それとも、もっと過ぎただろうか。

外から聞こえてくるのは、フクロウの鳴く声と、狼、もしくは野犬の遠吠えぐらい。

 見回りの者が、側を通りがかるかもしれない。その期待に、懸命に耳をすませたまま、ただ、時間が過ぎるのを待つだけ。

 不意に、小さな足音が聞こえてくる。

 碧音は息を呑む。通り過ぎていってしまうのではないか。そんな気がした。


「誰か! 誰か、助けてください!」


 必死で声を絞り出す。足音が止まった。

 次の瞬間、戸に近寄ってくる気配。


「誰かいるのか?」

「はい! 閉じ込められてしまって……」

「待ってろ。鍵を取ってくる」


 よかった、と胸を撫でおろす。気づいてもらえた。

やがて、外から鍵を開く音がした。続いて戸が開かれる。

 差し込んできた月明かりに、碧音は目を細めた。そこに立っていたのは、思いがけない人物だった。


「……殿下」


 会いたくないとあれほど願っていたはずなのに、こんな形で顔を合わせるとは。

安堵と恐怖。感謝の気持ちと、逃げ出したい衝動。頭の中で様々な感情が渦を巻いていて、それきり言葉が出てこない。

 月明かりに照らされた彼の横顔は、どこか切なげにも碧音の目には映ったが、彼の感情を読み取ることはできなかった。


「気をつけろ」

「……ありがとうございます、殿下」


 彼を見ると、本能的に足が震える。それを悟られないように、深々と頭を下げた。

 改めて礼を述べようと顔を上げた時には、龍海は既に背を向けていた。黒い衣の裾が勢いよく翻る。碧音にそれ以上の言葉を重ねる隙を与えず、彼は去っていった。

 一人取り残された碧音は、拳を握りしめた。

 気をつけろとはどういう意味だろう。まったく理解できなくても、龍海に問いただすこともできない。


(……夏子様のところに行かなくちゃ)


 事情が事情だとはいえ、仕事に間に合わなかったのは否定できない。夏子のいる部屋を目指し、碧音は小走りに駆け出した。



 碧音は小走りに王妃の宮へと戻った。

 仕事を放り出して戻れなかったことで、迷惑をかけてしまっただろう。

 廊下の角を曲がり、夏子の部屋が見えてきたところで、碧音は足を止めた。

戸の前で深呼吸をひとつし、少しでも取り乱した気持ちを整えようと努めた。それから、そっと声をかける。


「失礼します」

「……どこに行っていたの」


 部屋に足を踏み入れた碧音を出迎えたのは、机に向かって何かを書いていた手を止めたらしい夏子の姿だった。


「申し訳ありません、夏子様。――実は」


 碧音は、深々と頭を下げた。

 それから、夏子に倉に閉じ込められてしまった話をする。たまたま通りがかったらしい龍海が、鍵を持ってきてくれて助かったことも。


「顔を上げなさい」


 碧音はゆっくりと顔を上げた。夏子の目には怒りではなく、心配の色が濃く浮かんでいる。


「誰がそんなことをしたのかしらね。心当たりは?」


 碧音は唇を噛んだ。

 確実な証拠があるわけではなかったが、彼女を嫌っている侍女は多い。だが、誰かを名指しで告げ口するようなことはしたくなかった。

 それに、建志に声をかけられたのが、きっとそれに拍車をかけているだろうこともわかっている。


「私を快く思っていない方々がいることは承知しております」


 碧音に言えたのは、それだけだった。

 夏子はため息をついた。長年宮中で見てきた数々の争いへの疲れを含んでいるようだった。


「王妃様に仕える者同士で、こんな下らない嫌がらせをするなど……私が若い頃にもいろいろあったけれど」


 彼女の声には怒りより悲しみが込められている気がした。


「私の不注意でした。次からは気をつけます」


 そういうことにしておいた方がいいだろう。うっかり碧音が閉じ込められてしまった。対外的にはこれでいい。


「私からも皆に話をしよう。こんな『事故』が続くようでは、王妃様も心配なさるだろうし。殿下達のお遊びに、私達が巻き込まれる必要もないのだしね」


 碧音の頬が熱くなった。夏子は、なんでも知っているらしい。

 けれど、話をしたことで碧音の胸には、ホッとする気持ちが広がった。


「ありがとうございます、夏子様」

「あなたがいないから、そろそろ誰か探しにやらねばと思っていたところ。真っ先に、ここに戻ってくれてよかった。では、報告をして」


 碧音は、渡された目録を夏子に返す。それから、倉の状況についての報告を終えた。







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