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第23話 前世2――縁談

  それから数日後のこと。


「碧音様、旦那様がお呼びです」


 針仕事でもしようかと思っていたら、侍女が碧音を呼びに来た。父が碧音を呼び出すのは珍しい。


「何かあったの?」


 立ち上がった碧音がたずねると、彼女は小さく頷いた。


「鹿島家からお使いが来られております」


 碧音の心臓が跳ねた。

 そう言えば、このところ鹿島家からやたらに使者が訪れていたのを知っている。先日は、長い間父の部屋で話し込んでいた。

 あれだけ長々と話し込んでいたのだから、何か大変なことがあったのだろうと思っている。父から話をしてくれるまでの間はと思って、碧音からは何もたずねなかったけれど。

 碧音が急いで父の部屋に入った時、部屋にいたのは父だけではなかった。父の前に綾女が座っている。


「碧音、綾女。鹿島家から、縁組の申し入れがあった」

「鹿島家から? 縁組?」


 大きな声を上げたのは綾女だ。その声が、どこか華やいで聞こえるのは、碧音の気のせいだろうか。


「ああ。お前達二人のうちどちらかを、長男の龍海殿の妻として迎え入れたいという話だった」

「わあ、素敵! お父様、私が行くわ!」

「綾女?」


 綾女が、どうしてこんなにはしゃいでいるのか、碧音にはわからなかった。婚姻に、そこまで乗り気な印象もなかったのに。


「綾女、私の話を聞きなさい。お前達のうち、どちらかをという話だ。春を祝う宴を予定していただろう。そこに龍海殿をお招きする」


 歓声を上げかけた口を手で覆って、綾女は喜びを示した。期待で頬が紅潮している。


「碧音もそれでいいな?」

「はい、お父様」

「我が家にとっても、いい機会だ。鹿島家との縁組は、我らの地位をさらに高めることになる」

「わかっているわ、お父様!」


 碧音よりも先に、綾女が返す。


「綾女、お前も気を引き締めよ。龍海殿は優れた若者だが、その分厳しい目を持っている。軽々しい振る舞いは慎むように」

「はい!」

「だから、そういうところだぞ」


 と、父は苦言を呈したが、綾女はどこまでわかっているか。

 父の部屋を出たところで、綾女は碧音にまとわりついてきた。


「姉様、姉様、刺繍を教えてくださいな」

「あなた、刺繍はあまり好きではなかったわよね?」 


「龍海様に贈り物をしたいのよ。ねえ、いいでしょう?」

「……そうね」


 このところ、若い娘の間で、恋人に刺繍した品を贈るのが流行っているそうだ。

手巾、髪を束ねる髪紐等、小さなものが大半だが、中には帯に刺繍する者もいるのだとか。

 そんな相手はいないから、碧音は気にしていなかったが、綾女は周囲の娘達と同様に流行に乗りたいらしい。


「それなら、まずは髪紐から始めたらどうかしら。上手にできなくても、目立たないしね。何本あってもいいから、練習したのは自分で使えばいいでしょ」

「自分で使うんじゃ面白くないわ。姉様、交換しましょうよ」


 碧音の方が刺繍の腕が上だ。ちゃっかりしていると思いながらも、碧音は妹の提案を受け入れた。

 部屋に戻ると、綾女も自室から刺繍道具を持ってやってきた。座るなり、龍海のことを口にし始めたから、刺繍を習いたいというのは口実だったのかもしれない。


「姉様は、龍海様のことは気にならないの? 剣の腕前は並ぶ者なしで、学問にも秀でているんですって! 素敵な方よね、きっと」

「……噂は当てにはならないかもしれないわ」

「姉様ってば。この間の宴で、お父様がそう話していたのを聞いたのよ。お父様のお言葉なら、姉様も信じるでしょう?」


 噂というものは、実際よりも美化されるものだと知っている。

だが、綾女の目の輝きを見ると、彼女がすでにその噂に心を動かされていることがわかった。


「それだけではありませんよ。見目麗しく、品格もある方だとか。多くの良家の娘たちが縁談を望んでいるそうです」

「やっぱり!」


 口を挟んだ侍女の言葉に、綾女は手を打ち合わせる。碧音は小さく息を吐き出した。妹はまだやる気にならないようだが、先に刺繍を始めてしまおう。まずは、糸を集めて髪紐を編む。


「姉様、先に始めてしまうなんて。それより、この縁談はどう思っているの?」


 碧音が手を動かし始めると、綾女もまずいと思ったようだ。しぶしぶ髪紐を編み始める。


「まだ会ったこともない人と結婚するかもしれないなんて、正直戸惑っているわね。でも、縁談なんてそんなものよ」

「姉様ってば、つまらないわね。素敵な方なのに」


 頬を膨らませながらも、綾女は手を動かしている。


「ねえ、姉様。もし私が選ばれたら、姉様は悲しむ?」


 妹がそんなことを言い出すなんて珍しい。碧音は首を横に振った。


「そんなことないわ。あなたが幸せなら、私も嬉しい」

「本当に? でも、父様は姉様が選ばれることを望んでいるみたい」

「そんなことないわよ。あなたが望んで龍海様と結ばれるのなら、それはそれで素晴らしいことよ」


 碧音は微笑んだが、心の奥には奇妙な感覚が残っていた。

 本当に自分は綾女の幸せを素直に喜べるのだろうか。そして、もし自分が選ばれたら、綾女は本当に祝福してくれるのだろうか。


(考えてもしかたないわね)


 首を振って、どうしようもない考えを追い払う。綾女の願いが叶えばそれでいい。




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