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第28話 神女の長

 すぐに使いを出した夏子は、千代という神女との面会の手筈を整えてくれた。

 夏子に連れられ、神殿のある王宮の奥に進むにつれて、喧騒は遠ざかり、代わりに神々しい静けさがあたりを満たす。


 神殿には何度か訪れたことがあるが、今日ばかりはいつもとは違う気がした。まるで、清浄な空気を感じ取っているとでもいうように。

 神女達の暮らす建物は、神殿の裏手にあった。王宮が建てられるより以前からこの地にあった建物は、時を経て風化した木材と、建て増しされた部分が共存していて、独特の建築様式だ。


出迎えてくれたのは、若い神女だった。


「あなたが碧音様ですね。夏子様も……こちらにどうぞ」

「よろしくお願いします」


 彼女に案内されて庭に回る。庭には、塵一つなく奇麗に整えられていた。


「お上がりなさい」


 まるで二人が来る時間がわかっていたかのように、声をかけるよりも先に入るよううながされる。

 外廊下に面した戸を開いて、夏子が先に中に入り、碧音も続いた。


 一番長く神殿仕えている神女である千代は、小柄な女性だった。痩せていて、神女が揃いで身に着ける衣からのぞく手首は驚くほど細い。

 髪は真っ白になっていて、顔には深いしわが刻み込まれている。だが、柔らかく微笑みを浮かべた彼女は、驚くほどの存在感があった。


「――彼女は、前の生の記憶を持っているのだね」

「はい、千代様――彼女は、橘家の娘、碧音と申します」

「わかった。では、夏子はおさがり。私は、この娘と話をするからね」


 ここまで来て、千代と二人取り残されるのか。夏子の方に視線をやるけれど、彼女は碧音の視線には気づいていない様子で丁寧に一礼する。

 部屋には碧音と千代だけが残された。しんと静まり返った空気は、神殿という場所もあってか、神聖に感じられ、碧音の方から口を開くことはできなかった。 


「……どんな夢を見るのだね?」

「死の夢を」


 碧音の声は、自分の耳にも届くか届かないかわからないほど細いものだった。だが、千代の耳にはしっかりと届いていたらしい。


「夢……ではなく、記憶だと思うのです。過去の記憶、生まれる前の記憶」


 わずかに細められた千代の目は、まっすぐに碧音を見据えている。碧音は、覚えている限りのことを語った。

 夏子には話すのをためらったことでさえも――千代なら、すべてを見透かしているような気がして。


「たしかに、前の人生の記憶だろう。そなたは、何度も何度も生まれ変わっている。そなたと縁の深い者も共に」


 するすると滑るように床の上を進んできた千代は、そっと碧音の手を取った。

皺だらけの彼女の手は、温かかった。そこから力が流れ込んでくるような気がして、碧音の身体から力が抜ける。

 はっきりと記憶にある最初の人生。ひび割れるほど渇いた畑、牢の中にいた綾女の顔。そして、恋に落ちたと思った龍海の顔。

 豪族の娘として生まれた二度目の人生。柔らかな絹、花を抱えた綾女の笑顔、求婚してきた龍海の顔も。

 それだけではない。さらに重ねたいくつもの人生の記憶が、碧音の中をめぐる。成人の儀の再現のようだった。


「どうして……? どうして、私なのですか」


 優れた術者だったことなんて、一度もない。なのに、なぜか前世の記憶を持って生まれ変わっている。何か特殊な事情があれば、それも当然と想えたかもしれないのに。


「その時期がくればわかる。今は、時を待てばいい」


 千代はゆっくりと立ち上がった。彼女の動きは年齢を感じさせず、滑らかで優雅だった。


「……ですが」


怖いのだ。

夢を見る度に、自分が自分でなくなってしまうようで――唇を噛んでしまった碧音に、千代は優しく微笑みかける。


「因果の糸は、時に人の魂を縛り付ける。だが、その糸が解ける時もいずれ来る」

「因果の糸……」


 碧音は自分の手の甲を見つめた。


「でも、あの方に近づけば……また同じことが起こるのでは……」


 けれど、耳の奥に蘇るのは、『気を付けろ』と言った彼の声。彼も、何か知っているのだろうか。


「逃げることでは何も変わらない」

「でも、どうすれば……」

「まずは、恐れを理解すること……そして、運命の糸を新たに紡ぎ直すこと」

「……難しいですね」


 そう言ったけれど、胸にぽっかりと空いた穴を埋める手だてが見つかった気がした。

 まだ小さな、けれど確かな勇気の種。


もしかしたら、望まぬ死から逃れられるかもしれない。前世の夢を見るようになってから、初めて安心してもいいような気がした。


「頑張りなさい……そうだ、これを持っておいき」


 千代が差し出したのは、木片に文言を書きつけたもの。神女の作る護符だ。ありがたくそれを受け取った碧音は深く頭を下げて退室した。


 千代との対面のあと、碧音の中では何かが変わり始めた気がした。

 鮮明な夢は、あれ以来見ていない。毎晩、千代がくれた護符を抱いて眠りについているからだろうか。


「大丈夫、運命は変えられる」


 毎晩、眠りにつく前そうささやく。


 だが、平穏な日は長く続かなかった。碧音のところに、父がやってきたのだ。

 碧音が王宮に上がってから、連絡をよこすことすらなかったというのに。

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