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第33話 千代の見立て

(……まさか、呪い?)


 そう確信した瞬間、碧音の中に奇妙な感覚が走った。

 なぜ、自分でもそう思ったのかわからない。だが、直感的にそう思った。

 誰が、何のためにという疑問はあるが、今はそんなことを考えている余裕はなかった。


「夏子様、あれを! あちらの影を見てください!」


 碧音は黒い影の方に指を向ける。突然の叫び声に、部屋の全員が驚いて振り返った。

 皆、碧音の指差す方向を見るが、夏子を筆頭に首かしげるだけだった。


「何も見えないわ……碧音、何を言っているの?」


 夏子の目には疑念が浮かんでいる。

 彼女の目は壁と天井を行ったり来たりするが、何も見えていないのは明らかだ。侍女達も医師も夏子と同じだ。見えているのは、碧音だけらしい。


(誰にも見えていないの……? 私の気のせい……?)


 だが、皆に注意を喚起してしまった以上、口にせずにはいられなかった。


「天井に黒い影が……王妃様に近づこうとしています。それが、王妃様を苦しめているんです!」


 それは壁から床、そして天井へと移動し、今や王妃の真上で、王妃を覆うようにうごめいていた。

 碧音の言葉に、部屋の空気が一瞬で凍りつく。誰も動かず、ただ王妃の苦しむ声だけが室内に響いた。


「何を言っているのか……」

「……橘家の落ちこぼれですもの。注目を浴びようとしているだけでは?」


 ひそひそと戸の前に集まっていた侍女達が囁き合う。誰に目にも映っていないのだから、そう言われても仕方ないのかもしれない。

 その間も、王妃の苦しみは続いている。王妃の手を握った夏子は声をかけているが、王妃の耳には届いていないようだ。

 どうしよう。この場合、どうすればいいのだろうか。


(……千代様!)


 その時、碧音の脳裏に一人の名前が浮かんだ。

 以前、夏子に引き合わされた神女の千代だ。彼女なら、この状況をどうにかできるかもしれない。


「わ、私、千代様を呼びに――」


 碧音がそう口にしかけた時、戸口に固まって室内の様子をうかがっていたいた侍女達が左右に別れた。その間から姿を見せたのは、今まさに碧音が呼びに行こうとしていた千代だった。

 落ち着き払った様子で部屋に入ってきた千代の目は、鋭く部屋の様子を観察している。そして、碧音と目が合うと、なにか理解したようにうなずいた。


「碧音、あなたには見えているのですね」

「はい……」


 ゆっくりと碧音の側に歩み寄った千代は、天井を見上げる。彼女の目が細められた。


「ああ、やはり」


 彼女は、懐から小さな銀の鈴を取り出した。表面には複雑な模様、文字のようなものが彫り込まれている。

 今や室内にいる者達の視線は、千代に集まっていた。ちりん、と鈴が鳴り、王妃の苦悶の声がいくぶん小さなものになる。


 そして、千代は右に左にと軽くその鈴を振った。


 ちりん、ちりん――透明で澄んだ音色。

 鈴の音が響いている間に、碧音に見えていた影が姿を崩した。風に砂埃が舞い上がるように、くるくると渦を巻いたかと思えば、天井板に吸い込まれるように消えていく。

 それと同時に、部屋の空気が一変した。それまで感じていた重苦しさが嘘のように消え失せる。室内の空気まで浄化されたかのようだ。

 王妃のも安定し始め、せわしなく上下していた胸も落ち着きを取り戻している。苦しそうな表情も、わずかに和らいだ。

 千代は静かに鈴をしまう。その仕草は、とても美しいもので、誰もが目を奪われていた。


「何が起きたのでしょう?」

「これは単なる病ではない。呪いだ」


 夏子に問われた千代の返事に、侍女達の間から驚きの声が漏れた。医師もまた、驚愕の表情となる。


「……呪いだなんて」

「先生の言いたいこともわかる。だが、これは呪いだ」

「話には聞いていたが……そのようなもの、もう廃れたと思っていたのだがな。」

「先生。以前にも呪いはあった。初めてではない」


 千代の言葉に、医師は視線を落とす。

 碧音は、自分の直感が正しかったことに安堵しつつも、胸が重くなるのを覚えずにはいられなかった。

 王宮は、神に仕える者達によって、霊的な現象からは堅固に守られているはず。なのに、王妃に呪いがかけられるなんて。

 千代が厳しい表情を崩していないということは、あの黒い影は完全に消え去ったわけではなさそうだ。


「呪いでは、私にできることは多くなさそうだ。千代様、頭痛を和らげる薬と、熱を下げる薬を処方しようと思うが?」

「それは必要だ。お願いする」


 医師と千代の間で話が終わったようだ。薬の処方を終えた医師は、夏子にそれを渡すと出て行った。


「夏子、皆を下がらせなさい。碧音、あなたには頼みたいことがあるから残って」


 千代の声は静かでありながら、逆らってはいけないという雰囲気を持っていた。

 夏子は一瞬躊躇した様子だった。だが、首を振ったかと思うと、千代の言うとおりにするよう命じる。

 再び顔を見合わせた侍女達は、一礼し、静かに部屋を出て行った。

 出て行く皆の邪魔にならないよう、碧音は部屋の隅に寄る。皆、碧音の方にちらりと目を向けてから出て行った。


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