長い夜が明けた。
ようやく碧音も横になることにしたが、蓄積した疲労は多少横になったぐらいでは抜けそうにない。
千代が送ってくれた神女が、碧音に代わって王妃の枕元に侍る。白い神女の装束に身を包んだ彼女は、清廉な印象だった。
「眠ってから千代様のところにうかがいなさい。昼過ぎでいいのでしょう?」
「はい、夏子様」
七日の間、ほとんど休むことすらしなかった。
まだ、頭もぼうっとしているから、千代に会う前に休める時間が与えられたのはありがたかった。
久しぶりに皆が食事をとっている食堂で、朝食にする。
粥と汁物だけの簡素な食事だったが、王妃の様子をうかがいながら流し込むのとは違い、ゆっくりと食することで身体の中から温まるような気がした。
それから、水を浴びて身体を清める。隙を見て、濡らした布で拭うぐらいのことはしていたけれど、ようやく人心地がついた。
自室の寝台に倒れ込んだ時には、王宮は多数の人が動き回る時間となっていた。
夢も見ず、泥のように眠り込む。
目を閉じてから身体を優しく揺すられるまで、ほんの一瞬のようにも感じられた。許されるなら、まだまだ眠っていたい。
「碧音、起きなさい。千代様のところにうかがうのでしょう?」
「……綾女?」
身体を揺すりながらかけられた声に、重い瞼をこじ開ける。すぐ側にいる綾女の顔を見て、一瞬にして眠気が吹き飛んだ。
「ええ、久しぶりね。ほら、起きて」
綾女は、碧音の手を引っ張って起き上がらせる。碧音は綾女の顔をまじまじと見た。
王妃が倒れる前、綾女も寝込んでいたからしばらく顔を合わせていなかった。
しばらくぶりに顔を合わせた彼女は、以前とはどこか違っているようにも見える。
(……まだ、本調子じゃないのかしら)
と、思ったのは、綾女がやつれているようだったからだ。
「もう体調はいいの?」
「……ええ。皆には迷惑をかけてしまったわ。私も、昨日からようやく仕事に戻ったのよ」
道理で、綾女の顔を見ていなかったはずだ。昨日までの間、碧音はずっと王妃の寝所につめていた。
もしかしたら、食事を運んできた侍女の中に綾女がいたかもしれないが、昨日はふらふらしていて、誰が食事を運んでくれたのかも確認できていない。
「綾女も大変だったのね」
のろのろと寝台から下り、身なりを整え始める。下着のまま眠ってしまっていたから、その上からさっと衣を羽織った。
帯をもたもたと結んでいる間に、綾女が背後に回る。棚に置かれていた箱から櫛を取り出した彼女は、碧音を座らせると髪をとかし始めた。
「支度を手伝うわね」
「……ありがたいけど、いいの?」
「もちろんよ。あなたは、私の恩人でもあるから。私、邪気の影響を受けていたのですって」
「……え?」
身体をねじり、背後にいる綾女の顔を見上げる。綾女は、情けなさそうに眉を下げていた。
「橘の呪符師だなんて言っても、予想外のことには弱いのね。まさか、王宮で呪いが発生するなんて思っていなかったから……霊力が高い分、他の人より強く邪気の影響を受けてしまったのではないかしら」
「そうだったの」
ならば、呪いの準備は以前から始められていたということだろうか。
碧音の髪をとかし終えた綾女は、櫛を箱に戻した。それから髪紐を取って、髪を束ね始める。
「あなたの櫛は、伯母様のものだったかしら?」
「そうよ。形見として受け継いだの」
母の持ち物は他にもいくつか受け継いだ。
金や銀、珊瑚や瑠璃を使った髪飾りや首飾りなど。だが、橘家での碧音の立場では、それらを身に付けるのもなんとなくはばかられた。
形見の品々の大半は大切にしまい込んでしまい、結果として櫛だけを愛用している。
「……伯母様が懐かしいわね」
「ええ、懐かしい」
綾女も、母が生きていた頃のことを懐かしく思っているのだろうか。
手際よく碧音の髪を結った綾女は、そこに赤い花を模した髪飾りをさし込んでくれる。碧音の身に着けている衣とよく合っていた。
「あなたが、邪気を祓ってくれたから私も助かったわ。ありがとう」
「大変だったのは、千代様よ。私は、お手伝いをしただけ」
それに、祓えたと言っても一時的なものらしい。現に、影響を受けただけの綾女はともかく、呪いの対象者である王妃はまだ病みついたままだ。
「いいえ、あなたのおかげよ。あなたがいなかったら……千代様だけでは、負けてしまったかもしれないもの」
そんな風に言われると、少々困ってしまう。あの時、たしかに千代に手伝うようには言われたが、たいして役に立たなかったような気もしているのだ。
「これでいいわ。気を付けて行ってらっしゃい」
碧音の衣の合わせや帯まで直してくれてから、綾女はぽんと碧音の背中を叩く。
支度を終えた碧音は、綾女と一緒に部屋を出た。外廊下を歩いていると、すれ違う侍女達がしきりに声をかけてくる。
「綾女さん、戻ってきたのね」
「あなたがいない間、大変だったのよ」
「……まあ、碧音さんも頑張ってはいたけれど」
碧音のことも、少しは認めてくれているらしい。ちらりと目を向けたら、綾女は、静かに微笑んでいた。