目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報

第38話 呪いの痕跡を探して

 綾女と他の侍女達にこのまま付き合っていたら、いつまでも千代のところには行けそうにない。そっと頭を下げて立ち去ろうとしたら、綾女は碧音に目を向けた。


「いいえ、碧音のおかげよ。これからも、王妃様のために力を合わせていきましょうね」


 綾女の言葉に、周囲の侍女達も頷いた。

 これまで碧音を冷ややかに見ていた彼女達も、少し見る目が変わったようだった。


(居心地が悪い……)


 呪符師としては落ちこぼれ。橘家の仕事をしたこともなかったから、感謝の目を向けられるのには慣れていない。


「私も、できる限りのお手伝いはさせていただきます――では、失礼しますね」


 一礼して立ち去りながらも、心の中は複雑だった。


(……比べるのが、間違っているのだろうけれど)


 綾女の側にいると、やはり劣等感を刺激されてしまう。

 いずれにせよ、呪いの現況を見つけるのが最優先だ。碧音は、千代の部屋へと大急ぎで向かった。

 訪れた千代の部屋は、以前と変わらぬ様子だった。昨晩、邪気と激しい戦いを繰り広げた千代の顔には疲労の色がまだ色濃く残っている。


「……来たね。そなたには、王宮の中の邪気の気配を探してほしい」

「私は、神女ではありませんが……」

「ああ。だが、神女達は、神術と鬼術に対抗する知識しか持たない。そなたは、橘の術の他、鬼術についてもある程度は学んだのだろう?」

「父から教わった範囲だけですが」


 鬼術は邪神に通じる術とされている。だから、橘家でも、鬼術を体系立てて学ぶことはなかった。父から、どんなものかという知識を与えられただけ。


「それに、そなたは、王妃様を害そうとした邪気と直接戦っている。そなたならば、すぐに気づくのではないかという期待もある」

「……そう、でしょうか」


 千代の前でも、どうしても自信のなさが顔を出してしまう。


(……でも、もしかしたら)


 時々碧音の夢に訪れる前世の記憶。

 夢の中では、自分が過去に誰かに殺されたことをまったく思い出さないまま亡くなったようだった。

 だが、今は違う。前世の記憶があり、死の運命を事前に避けられる可能性が高い。


 そして、目の前に、碧音が大きく成長するかもしれない機会を差し出されている。千代の頼みを引き受けるべきだと思えた。

 それに、もう一つ。橘家の娘として生まれたのに能力を持たなかった碧音。


 その碧音が、もしかしたら母の能力を受け継いでいるのではないかという可能性が出てきた。

 王妃に呪いをかけている者が碧音の存在に気づいたとしたら――王妃より先に碧音を呪い殺そうとするかもしれない。

 繰り返される夢の中で呪い殺されたことはなかったと思うけれど、今回待ち受けている死は呪われたことによって訪れるのかもしれない。

 ならば、事前にこちらから呪いの痕跡を探して回るのも悪くないのではないだろうか。


「……わかりました。お引き受けします」

「助かる。では、そなたに任せたいことを教えておこう。侍女の仕事はしばらくしなくていいよう、夏子にも話を通しておく」


 こうして、夏子と千代の間で話が決まり、碧音は普段は足を踏み入れることのない場所まで立ち入ることが許されるようになった。

 使われなくなった建物や、以前閉じ込められた倉庫等もその対象だ。

 一番念入りに調べるのは、王妃の暮らす宮。それから、国王の寝所がある建物。


(……そう言えば、建志殿下は、最近こちらにはいらしていないのよね)


 歩きながら、ふと考える。

 積極的に顔を見たい相手ではないが、王妃が倒れたというのに彼は姿を見せなかった。千代が言うには、呪いの対象者が王族であることを考慮し、王妃への訪問をやめさせたそうだ。

 もちろん、王も同様で、今、王妃の宮に出入りしているのは王族以外だけだ。

 そして、千代の判断は正解だった。鬼術の痕跡は、予想以上にたくさん残されていた。


 王宮のいたるところに、黒い影が潜んでいる。碧音の目に見えなくとも、右手首に付けた鈴を鳴らせば姿を見せるものもあった。

 古い痕跡は薄く、壁のシミと区別がつかないほど。


 だが、比較的新しいものになると色が濃く、鈴を鳴らさなくとも碧音の目には見えてしまう。

 その痕跡に気づいたのは、王妃の居室の裏手にある今は使われていない建物を調べていた時だった。

 建物に足を踏み入れたとたん、空気が冷たいように感じられる。

 壁に目をやれば、そこには濃い黒い影が渦巻いていた。


(この近くで、誰かが鬼術を使った? もしかして、王妃様の御病気は、ここで鬼術が使われたから……?)


 碧音は足を止め、ゆっくりと周囲を見回した。

 廊下の端には、使われていない小さな部屋がある。

 かつては侍女の控室だったそうだ。嫌な気配は、そこから漏れ出ていた。

 碧音はゆっくりと戸に手をかけた。触れた瞬間、指先にピリッとした痛みが走る。

 一瞬ためらい、次の瞬間、一気に戸を横に引いた。

 軋む音と共に、中の光景が目に飛び込んでくる。


 日差しが、斜めに差し込んでいる。


 その光の中、埃まみれの室内に足跡が残っているのが見えた。床板に重なる足音は、ここを出入りしていたのは一人ではないことを告げている。

 部屋の隅には、小さな祭壇のようなものが設けられていた。

 そこには焼けた香の痕と、何かを燃やしたような跡。

 さらに目を凝らすと、床や壁に何かの文様が描かれていたことまで見て取れた。

 既に消されていたが、わずかに残った墨の跡から、複雑な呪術の陣が描かれていたのだろうと推測できる。


(……ここだったのかも)


 碧音の鼓動が速くなった。これが鬼術の儀式の場だとすれば、ここが呪いの源である可能性が高い。


この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?