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第41話 龍海への依頼

 それから三日後の夜。


 碧音は王妃の寝室から自分の部屋へと戻る途中、裏庭に続く廊下で足を止めた。そこから聞こえる声に気づいたのだ。


「もっと力が欲しい。もっと俺に教えてくれ」


 それは建志の声だった。切羽詰まった、懇願するような調子で誰かに懇願している。

 碧音は静かに廊下の角に身を隠し、そっとのぞいてみた。

 そこにいたのは、建志と佐祐だった。二人きりで何かを話している。


(……なぜ、彼がここに……?)


 橘家の者である佐祐が、なぜここにいるのだろう。

 彼らの前に姿を見せてへいけないような気がして、物陰に身を潜める。


「殿下、焦りすぎではありませんか? 王妃様は、元気になりつつあるのです。今は、時を待つべきでしょう」

「だが、母上はよくならないではないか。神殿も力を尽くしているというが……二十年前にも、似たようなことがあったのだろう?」


 建志も、二十年前のことを知っているらしい。だが、佐祐が、彼に関わっている理由は、碧音にも検討はつかなかった。


(綾女なら、知っているのかしら……)


 綾女は碧音とよりずっと佐祐との距離が近い。碧音なら知らないことも、綾女なら知っているかもしれない。


「ご心配なく。王妃様のことは、橘家が責任を持ってお守りいたします。そのために、綾女様を王宮に上げたのですから」


 なぜ、綾女が王宮に来たのかと思っていたが、そんな事情があったのか。たしかに、綾女は橘家の女子の中では一番の呪符術の腕の持ち主だ。

 普通なら、綾女を王妃の側につけておけば安心なはず。


「――だが」

「ええ、たしかに綾女様も、神殿の神女達に遅れをとりました。ですが、原因が鬼術と判明したのです。今の綾女様ならば、遅れを取るようなことはありませんとも」

「それならば、よいが」


 建志をなだめようとしているかのように言葉を重ねた佐祐は、手を伸ばした。

 建志の額に何かを描く仕草をした。その瞬間、碧音には彼の指先から薄い光が漏れているように見えた。建志の身体が軽く震え、彼は目を閉じた。


(……あれは、何?)


 碧音の知る限り、橘家の呪符術にはあのようなものは存在しない。

 何が行われたのか確信は持てなかったが、あまりよくないもののような。そして、建志の周りの邪気がより濃くなったように感じる。

 あれは、鬼術? だが、佐祐が鬼術を使えるなんて聞いたこともない。


(やめさせなくちゃ!)


 飛び出しかけた時、手首につけた鈴がちりりと小さな音を立てた。二人に、今の音が聞こえてしまっただろうか。ぱっと鈴を押さえ、そして我に返る。

 術の腕前はともかくとして、あちらは成人男性二人、こちらは碧音一人。二人とも剣を持っているわけだし、うかつに飛び出せば切られかねない。


(もしかして、警告してくれた……?)


 まるで、母に守られているような気がした。


(二人は……何をしているの?)


 何かたくらんでいるようだが、何を考えているのか見当もつかない。

 だが、まだ確信はない。佐祐が何を考えているのか、彼が鬼術の使い手なのかどうかは、この時点では断言できなかった。

 碧音は静かにその場を離れた。

 千代に報告して、対応策を考えなければ。でも、千代だけでは対抗できないだろう。

 碧音は急ぎ足で神殿へと向かった。

 千代に話をすると、驚くべきことに龍海に協力を求めるようにと結論を出した。


「龍海殿下ですか?」

「おや、嫌なのかね」

「……そういうわけ、では」


 千代には、前世の話なんてできないから、あいまいな態度になってしまう。

 千代にも言い分はあった。龍海は剣の腕が巧みだ。王族である以上、佐祐もうかつに手は出せない。

 それに今回は、王族が関わっている――となれば、彼の手を借りる他はないだろう、というのが千代の言い分だった。

 言われてみればそれもそのとおりである。

 千代が神殿に来るよう使いを出してくれ、彼と対峙することになった。


「碧音殿。久しぶりだな――いろいろ大変だったと聞く」


 人払いをした部屋の中、向かい合った彼は、以前のいきさつ何てまったく覚えていないかのようにふるまった。

 碧音としても、その方がありがたい。


「千代殿が俺を呼び出すなど初めてのことだ。それに、話をするのが碧音殿というのも、おかしい気がする」

「龍海殿下……建志殿下のことで相談があるのです」


 碧音は緊張を抑えつつ、建志の異変について、自分が観察したことを全て伝えた。

 王宮で見つけた鬼術の痕跡についても話した。そして、邪気を見ることができるという自分の能力についても。


「……なるほど」


 龍海は顎に手を当てて思案の表情になった。


(……信じてくださるかしら)


 龍海は、一度も碧音のことを落ちこぼれなどとは言わなかったけれど……。

 長い話が終わるのを、彼は黙って聞いていた。その表情からは何も読み取れない。


「まさか、王宮内に鬼術の影響があったとは」

「はい。建志殿下の周りで、おかしな動きがあるのです……それに、橘の家も」


 碧音は自分の推測を述べながら、龍海の表情を読み取ろうとした。彼の目に浮かんだ一瞬の暗い影。それは怒りか、それとも恐れか。

 彼は、口を開くことなく自らの思案の海に沈み込んでいるようだった。彼が視線を外しているのをいいことに、碧音はじっと彼を観察する。


(……殿下は、以前とは変わった様子は見受けられないわね)


 建志とは違い、龍海は王宮に呪いがはびこる前と変わった様子は見受けられなかった。長く伸ばした髪を一本に束ねている様子も、黒一色の衣も。

 夢の中では、何度も彼に恋をした。彼と想いが通じたように思ったこともあったけれど、いつも碧音は死を迎えることになった。

 これ以上、関わるつもりはなかったのに、運命は思いもかけない方向に転がっていく。


「俺に、何を求める?」

「……建志殿下を見守っていただけませんか? 私は、橘の家を探ってみようと思います」

「見守るだけでいいのか」

「……あとのことは、神女達が。ですが、もし、武器を持って暴れるようなことがあれば」


 なるほど、と彼は頷く。


「任された」

「ありがとうございます、殿下」

「碧音殿も気をつけろ。危険なのだろう?」


 彼の口から発せられる碧音を気遣うような言葉。とたんに、胸に痛みが押し寄せてくる。

 過去は捨てたはず。忘れなければならない。

 無理やりに口角を上げて笑みを作る。彼の前でも、弱みを見せてはならない。


「はい、気を付けます――殿下もどうぞ、お気をつけて」


 巻き込んでしまった側が言うことではないのかもしれない。けれど、そう付け加えずにはいられなかった。


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