碧音は、王妃に付き添うために王妃の部屋へと向かった。手には、昨夜生家から持ち帰った箱を持っている。
すでに昼過ぎだというのに、まだ身体の奥に疲労が残っているみたいだ。
父との再会は、思っていた以上に碧音の心を揺さぶったのかもしれない。あの人に期待するのはやめたつもりだったのに。
「では、碧音。あとはよろしくお願いしますね」
王妃の側で夜を明かした神女は、碧音にあとを託して部屋を出た。彼女に代わった碧音が、王妃の側に侍る。
忠実な侍女である夏子は、今日も王妃のすぐ側にいた。
「王妃様のご容態は、いかがでしょう?」
「まだ完全に平癒されたわけではありませんが、いくぶんは落ち着いたのではないかと」
夏子の眉間の皺は、完全には消えていない。落ち着いたとはいえ、まだ床から離れられるわけではない。
「落ち着かれたのならば、いいのですが……」
王妃の様子を観察すれば、顔色はまだ悪く、呼吸もつらそうだ。もっと楽にして差し上げたい――力がないのが、悔しかった。
「……探し物は見つかった?」
碧音の姿に気づいた王妃が、目を開き、かすかな声でそう問いかける。碧音を安心させようとしているのか、こんな時なのに彼女は小さく微笑んでいた。
「……はい。見つかりました」
「そう……あなたのおかげで、楽になったの。探していたものが見つかったらよかったわ」
そっと伸ばされた王妃の手が、碧音の手に重ねられる。
(私にできることなんて、そう多くないのに)
生家に帰ったせいで、碧音は、未熟で無力なのだと改めて突きつけられた気がした。たいしたことはできていないのにここまで感謝されると、申し訳ない気もしてくる。
「千代様がお見えです」
戸の向こう側に控えていた侍女の声が聞こえた。
碧音が立ち上がって戸を開くと、そっと千代が入ってくる。それに気づいた王妃は、上半身を起こそうとした。
「王妃様、そのまま」
千代は、王妃のすぐ側に腰を下ろした。
白い衣に身を包んだ千代の姿は、神聖なもののように碧音の目には映る。千代は、王妃の様子を真剣に観察していた。
「……今のところ、浄化は功を奏しているようだね。だが……皆に話をしておかねばならないことがある」
少し下がって座り直した千代は、側によるよう碧音に合図する。
「私達が対峙しているのは、鬼術だ。これほどの邪な術が王宮内で使われるのは久しぶりだ」
千代の言葉に、王妃の顔がこわばった。
二十年前、先代の王妃が急死した裏には鬼を扱う術があったらしいというのは、碧音も最近教えられたことだ。
(……橘家にも、鬼と通じた者がいるって……)
生家から持ち帰った母の手記のことが、どうしても頭に思い浮かぶ。
千代はこれまでの調査で判明したことについて語る。その間、王妃も夏子も静かに耳を傾けていた。もちろん、碧音も。
「私からは、橘家から持ち帰ったものについて報告させてください」
碧音は抱えてきた箱から取り出した品々を広げた。母によって書かれた手記と、何冊かの古い書物だ。
「母の部屋の床下から見つけたものです。橘家の中に……邪なものに手を染めていた者がいたらしいと記されています」
静かに語る碧音の声は、わずかに震えていた。
昨夜、龍海と共に王宮に戻ってくる時にも馬車の中で読み続けた。
母の手記で初めて知った衝撃的な事実。橘家の中に鬼術に手を染めたものがいるらしいというのは、まだ、完全には受け止め切れていない。
(……屋敷にいた頃は、まったく感じなかったけれど)
呪符師としての碧音には、邪な気配なんてまるで感じられなかった。
いや、碧音だけではないだろう。
あの屋敷の者は誰も気づいていない。父も、佐祐も、次代を担うとされている綾女でさえも。
「鬼術か――橘家がそのようなものに手を染めていた過去があったとは」
「あくまでも憶測なのですが、その頃の知識を活用している者がいるかもしれません……」
碧音の脳裏に浮かんだのは、佐祐と密会していた建志の様子。
佐祐に縋りつくようにしていた彼の姿は、いつもの彼とはまったく違うように見えていた。
「碧音。その様子では、心当たりがあるのでは?」
建志のことは黙っていようと思っていたのに、王妃にはしっかり気づかれてしまった。
佐祐のこと、建志のこと。王妃の前で、口にしてしまっていいだろうか。
「碧音。なんでもいいわ。話して――私は、そこまで弱いわけではないわ。どんな事実でも受け止めてみせる」
王妃が、胸の前で手を組み合わせた。
まっすぐに碧音を見る彼女の目に迷いはない。
それでもなお、碧音はためらった。王妃の言葉に嘘はないであろうこともわかる。
でも、それでも――正しいことなのかどうかがわからない。
「碧音、話しなさい」
「ですが、千代様」
「そなたが生家から持ち帰ってきた情報を思えば、これ以上王妃様に秘密にしておくのもよくない」
碧音は、大きく息を吸い込む。千代がそう判断したのならば、碧音は従うだけだ。