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第49話 邪気を読み解く

「そなたの邪気を見る力は、貴重なものだ。だが、それだけでなく、邪気の種類や強さを判断する力も必要だ。今後はそれを磨いていくことになる」


 碧音は集中し、千代が静かに取り出した小さな箱に目を向けた。その中からは、薄い黒い霧のようなものがゆっくりと立ち上る。


(こんなところに邪気……!)


 慌てて立ち上がり、それを浄化しようと試みる。だが、鈴は手元から放してしまっていた。慌てて母の鈴に飛びつこうとするが、千代はそれを制した。


「怖がることはない。これは、すぐに浄化できるほど弱いものだ。まずは、これがどのような種類の邪気か、感じ取ることから始めていく」


 なんでも、弱い邪気を見つけ、千代自身の手で封じたものだそうだ。

 邪気にも様々な種類があり、それによって浄化の方法が変わることもあるのだという。

 神女見習い達は、これを使って邪気を感じ取る訓練をしていくのだそうだ。


「……やってみます」


 座り直した碧音は、目の前に置かれた箱に意識を向けた。側に千代がいてくれるから大丈夫だろうが、邪気に取り込まれてしまう可能性も否定はできない。

 取り込まれてしまわないようにしながらも、慎重に、邪気の持つ気配を探っていく。


(本当だ、今まで気が付かなかった……)


 今まではまったく認識していなかった。ただ、悪しきものとしか判断していなかったのだが、その奥底にわずかに残された感情を読み取れる気がする。


(これは、後悔……? それとも、悲しみ、かしら……)


 この邪気は、どこか悲しみを抱えているのではないだろうか無念の死を遂げた人が遺したものなのかもしれない。


「悲しみ……のような気がします」

「よく感じ取れた。邪気にも様々な種類がある。怒りから生まれるもの、恐怖から生まれるもの、そして今感じたような悲しみから生まれるもの。その時によって、浄化の方法が変わることもある」

「そうなのですね……」

「もし、この邪気を浄化しろと言われたらどうする?」


 千代に問われ、ちらりと母の鈴に目を向ける。今までは、この鈴を手にすることが正解だった。

 だが、今は鈴は使わないようにと言われている。

 碧音は深く息を吸い、もう一度箱を見つめた。ゆらゆらと揺れる、悲しみの色。

 霊力を練り上げ、祈りを捧げる。


「――どうか、安らかに」


 口にしたのはただ、それだけ。だが、それで充分だったようだ。

 黒い霧が次第に薄れ、最後には淡い青白い光へと変わり、やがて消えていく。


「……なかなかのものだ。さすが陽花の娘」


 千代の声には、明らかな感嘆の色が混じっていた。母のことを誉められたようで、碧音も嬉しい。

 自分の判断が間違っていなかったことも。


「浄化とは、ただ邪気を追い払うだけではない。その根源にある感情を昇華させ、再び清らかな霊力へと戻すことを指してもいる。そなたは今、それをやってのけた」


 今までは、ただ、邪気を消せばいいと思っていた。だが、今はそれだけではないというのもわかる。

 祓うだけでは駄目な時もある。取り込まれないように気をつけねばならないが、邪気への理解が必要になることもある。


(……でも)


 橘家で、呪符師としての訓練を積んでいた時よりも明らかに滑らかに碧音の霊力は動いている。

 千代の指導を素直に受け入れていこう。


 それからも、千代は碧音に様々な箱を見せた。箱の中には、千代が封じた邪気のこもった品が収められているそうだ。

 時には、鈴を使うようにと千代から指示をされることもあった。その時には、母から受け継いだ鈴を鳴らす。

 半日、千代の指導を受けている間はまったく意識していなかったが、終わったとたん、激しい疲労感に見舞われた。

 床に手を付き、崩れてしまわないように身体を支える。


「霊力を精密に操作するのは、体力を大きく消耗する。慣れないうちは特に。部屋に戻ったら、練習するように」

「はい、千代様。今日は本当にありがとうございました。少しずつですが、自分にできることをやっていこうと思います」

「焦らず、一歩ずつ進むがよい。焦る必要はないぞ」


 千代の言葉に、碧音は深く頭を下げたのだった。


 邪気を観察し、適した方法で浄化するための千代との修業は続いていた。

 千代から一対一で受ける修業だけではない。他の神女達と共に行う修業もある。

 今日は、舞で神を降ろす修業をしていた。神女の使う術が他の術と大きく違うのは、神の力を借りて術を行う点にある。


「もう一度、最初から。神楽の舞は形だけではなく、心から湧き上がる祈りなのです」


 碧音に指導してくれているのは、先輩の神女だ。橘家で暮らしていた頃学んだ舞とはまるで違う。

 碧音は深く息を吸い込み、手にした神具を軽く振った。優しい音が響く。いくつもの金属片を長い棒に取り付けた神具は、鈴とはまた違う音色を奏でた。


(……気を引き締めなくちゃ)


 呪符師として生きていくことを諦めた時、いや、諦めざるを得なかった時、すべてを失ったと思った。

 王妃の侍女として王宮に上がった時も、自分が大きく変化したとは思えなかった。でも、神女見習いとなった今は、今までとは大きく変わった気がする。



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