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第50話 母の形見の紛失

碧音の集中力が途切れたのに気づいたのか、先輩神女は手を打ち合わせた。


「……一度、休憩しましょう」

「まだできます」

「いいえ、霊力の流れが乱れているわ。このまま続けても、失敗するのは目に見えているわよ」


 自分では、まだまだできると思っていたのに。先輩神女にそう言われてしまえば、碧音も口を閉じるしかない。


「次、祐葉。あなたがやってみて。碧音は、祐葉の舞を見て、自分には何が足りないのかを考えなさい」

「はい、わかりました」


 祐葉が、碧音に変わって立ち上がった。手本を見せてくれるらしい。

 祐葉の舞は、碧音のものとはまるで違っていた。

 水の上を滑っているような滑らかな動き。神が今、そこにいると言われても信じてしまいそうなほどの神聖さも感じられる。


「……碧音様の舞とはまるで違うわね」

「そりゃそうよ。私達、どれだけここで修行してきたと思っているの」


 修行の間の入口に、他の見習い達が集まっていた。彼女達はひそひそと囁き合い、碧音を見てはしきりにつつき合っている。


(どこに行っても、私は場違いな存在……ということなのかしら)


 生家では落ちこぼれだった。そして、ここでも――また。

 唇をきゅっと結んだその時だった。


「あなた達、自分の修行はどうしたの? 他人の修行を見て笑っている暇があるなら、自分の心を磨いた方がいいのではないかしら」


 祐葉を見ていると思っていた先輩神女が、見習い達に厳しい目を向けている。


「碧音、気にしてはいけないわ。初めは誰もが未熟……私もそうだった。最初から他の人達と同じようにできると思わない方がいいわ」

「……はい」


 侍女として働き始めた頃もそうだった。何をするにしても失敗の連続。

 夏子の教えを受けながら地道な努力を重ね、ようやくそれなりにふるまえるようになったのだった。一人前にはまだまだというところではあったが。


「あなたは、努力をするのは嫌ではないのでしょう?」

「……はい」


 努力をするのは苦ではない。生家でだって、同じようにしてきたのだから。

 碧音の返事に、先輩は満足そうに頷いた。


 修行を終えて自室に戻った碧音は、小さく息を吐き出した。

 この部屋は狭いが、他には誰もいない。ここでだけは、自分に弱音を吐くことを許せそうだった。


(今日の修行は、特につらかった……)


 碧音はため息をつき、天井を見上げた。

 神女としての動作一つ一つに意味があり、その所作を完璧に習得するには時間がかかるというのもわかってはいる。

 神殿に入る娘は、もっと幼い頃から修行を始めるのが通例だ。碧音のように成人してから神女になる例はほとんどないらしい。

 その分、たくさん努力しなければならないだろう。努力をするのは苦でなくとも、道のりの遠さ、険しさには怖気づいてしまう。


(……あら?)


 視線を巡らせた時、かすかな違和感が碧音を捕らえた。

 今まで気にならなかったのは、それだけ疲れ切っていたということなのだろう。

 部屋を出た時と、何か変わっている。それがなんなのかまではわからないけれど。 


 弾かれたように立ち上がった碧音は、棚に近づいた。違和感の原因はこれだ。

 棚の上に置いてあった木箱の位置が変わっているような。気のせいだろうかと思いながら箱を取り上げる。


(……なんで?)


 そのまま、蓋を開いてみたら、そこにあったはずの品が失われていた。

 母の形見の櫛だ。柘植で作られたその櫛を、碧音も大切に使っていた。美しい草花の彫刻が施された櫛。


(箱に片づけた……わよね……?)


 碧音は慌てて部屋中を探し回った。寝台の下、枕の下、衣類の間。

 身の回りのものを入れている箱の中身をすべて出してもみた。そんなところに入っているはずもないとわかりきっているのに。


 どこを探しても見つからない。


 最後に見たのは、今朝の修行に行く前だった。髪を整えるために使い、いつものように木箱に入れて棚に戻した――それなのに。


 となると、考えられるのはひとつだけ。


(誰かが、持ち出したの……?)


 考えたくはなかったが、それが最も可能性の高い答えだった。

 だが、誰が? なぜ?


 たしかに、櫛としては高価なものかもしれないが、わざわざ盗むほどの品かと考えると疑問になる。

 もしかして、うっかり修行の間に持って行ってしまったのだろうか。可能性はないとわかっているのに、それに縋ってしまいそうになる。


(……見てこよう)


 ないとわかっていても、そうせずにはいられなかった。

 部屋を出て、探しに行こうとしたところで、祐葉と出会った。


「どうしたの?」

「……修行の間に忘れ物をしてしまったみたいで」

「今日、私が修行の間を掃除したけれど、何もなかったわよ」

「……そうなんですね。でも、自分の目で見て――いいえ、あなたを信じていないわけではなくて、でも、やっぱり自分の目で見たいと思ったんです」


 まるで祐葉の掃除がなっていないと言ってしまったかと、慌てて手を振る。


「何を忘れたの?」

「……櫛を」


 祐葉の目に、一瞬だけ何かが浮かんだ気がした。

 驚きだろうか。それとも知っていて隠しているのだろうか。だが、すぐにそれは消え去った。


「それは大変ね。もし、見かけたらあなたのところに届けるわ」


 そう言って、彼女は立ち去った。

 その背中を見送りながら、碧音は奇妙な違和感を覚えた。今の裕葉の態度、不自然な気がする。


 大切な母の形見を失ってしまった自分にがっかりする。


(ごめんなさい、お母様……)


 広間の中央に立った碧音は、ぐるりと周囲を見回した。かつては、母もここで修行をしていたのだ。


(でも……約束します。お母様みたいになれるよう、努力をし続けます)


 心の中で呼びかけ、母に誓いを立てる。

 母は微笑んでくれた気がした。

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