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第51話 神女見習い達との距離

 碧音の朝は早い。


 皆の修行が始まるよりも前に、千代から直々に修行をつけてもらっているからだ。

 生家で修行していた時も、それなりに厳しい修行をしていたと思っていたのに、神女見習いとしての修行は思っていた以上に碧音の身体を蝕んでいた。


 同じ霊力を扱う術といっても、今まで学んできたこととは霊力の使い方も身体の使い方もまるで違う。


(王妃様の容体が安定しているのは、救いよね)


 急ぎ足に、千代との修行に向かいながら考える。

 碧音も時々神女見習いとして王妃に付き添うが、今のところ、王妃の容体はそれなりに落ち着いている。完全な健康体とは言えないながらも、起き上がれる日も増えてきた。


 しかし、連日の疲れがたまっているのか、今日は寝坊してしまった。千代を待たせるわけにはいかないと足を速めた時だった。


 足音が近づいてくるのが聞こえる。振り返ると、建志が数人の従者を連れてこちらに向かって歩いてくるところだった。

 彼の姿を見るのは、いつ以来だろうか。


 以前よりも痩せて、目の下には疲労の色が浮かんでいた。どこかで宴会でもあったのだろうか。酒を呑んできた気配がある。


「碧音、久しぶりだな」

「建志殿下……ご無沙汰しております」


声をかけられ、碧音はその場で頭を下げた。


(……早く行きたいのに)


内心でじりじりとしている碧音を気遣う様子も見せず、建志は一方的に話を始めた。


「神女として修行を始めたそうだな。おかしな話だ。呪符も使えぬ橘家の娘が、神女になろうとするなんてな」


 彼が笑うと、彼と共に歩いていた取り巻き達も一斉に笑い声を上げる。その様子は、以前と変わりないように見えた。

 彼が、何を考えているのか碧音にはわからない。

 橘家の落ちこぼれだと言って、碧音を嘲笑ったり、自分の屋敷へ連れ帰ろうとしたり。

 今日はどうやら、嘲ることにしたようだ。


「千代様が、私にはその力があるとおっしゃいました」


 彼とは、深く関わらない方がいい。そう思っているからこそ、碧音の声も固いものになる。


「千代殿の言うことに間違いがないとは思いたいが、母上の病が長引いているのは、お前の力不足ではないかと言う者もいる」


 たしかに、邪気を完全に浄化できてはいない。

 だが、王宮の神女は碧音だけではない。そもそも、碧音は能力を見出されて神女見習いとして神殿に移ったばかり。すべてを碧音のせいにされても困る。

 建志は一歩近づき、碧音の顔をじっと見つめた。


「だが、俺はそうは思わない。お前が鈴を使えば、母上の病状はよくなるのだろう? 母上の侍女に戻れ」

「申し訳ありませんが……それは、できません」

「なぜ?」


 さらに彼は距離を詰めてきた。

 間近で見る彼の顔。きっと、母である王妃のことが心配でたまらないのだろう。

 今までなら、傲慢の一言で切り捨てていただろうに、今はそう思えてくるから不思議なものだ。


「たしかに、鈴を使えば邪気を浄化し、追い払うことはできるでしょう。でも、それだけなのです。根本的な解決策にはなりません」


 邪気を浄化できるのは碧音だけではない。千代も護符を用意し、王妃を守ろうとしている。

 だが、浄化してもそれだけだ。根本的な解決にはならない。


「……母上が、先代王妃のようになってもいいというのか?」


 碧音は息を呑んだ。建志も先代王妃の話を知っていたのか。

 その時、建志がふらりと身体を傾けた。碧音は咄嗟に腕を伸ばし、彼を支えた。


「殿下、大丈夫ですか?」


 建志の顔は、一瞬だけ苦痛に歪んだようにも見えた。


「問題ない」


 体勢を立て直してそう言った彼は、顔をしかめた。まるで、碧音に支えられたのが不本意だというように。

 首を振ったかと思えば、少し離れたところで待っていた側仕えの者達の方へと歩いて行ってしまう。それきり、碧音には見向きもせずに、行ってしまった。

 呆然と見送りかけて、はっと気づく。


(……大変! 急がなくちゃ!)


 千代との修行に遅れてしまう。

 修行の間に駆け込んだ時には、もう千代はそこに待っていた。


「何があった?」


 碧音の顔を見るなり問いかけてくるあたり、動揺が表情に出てしまっていたようだ。


「……建志殿下が、私に侍女に戻るように、と」

「そんなことをしても意味はないのに」


 千代は首を振る。

 彼に出会ってしまって動揺した碧音の気持ちは、痛いほどわかってくれているのだろう。


 だが、今は碧音の力をもっと鍛える方が先だ。


「では、まず、身体に霊力を巡らせるところから」

「……はい」


 こうして千代の教えを受け、少しでも前に進もうとする。今、できるのはそのぐらいしかないから。


 千代との修行が終わると、他の神女見習い達との修行になる。


 霊力を巡らせ、祈りの言葉を唱える。それから、神を下ろす舞に、様々な儀式の執り行い方。


部屋に戻ってからも復習はしているつもりだが、幼い頃から修行をしてきた他の娘達に追いつくにはまだ時間がかかりそうだ。


 祐葉の指導を受けながら、舞の練習をする。碧音が舞い終えると、側で見ていた他の見習いが、あきれた様子で声をかけてきた。


「あなた、まだきちんと舞えないの?」

「……練習します」


 あきれた声で言われて、頭を下げる。


「祐葉にだって、迷惑よ。あなたがきちんとしなければ、祐葉の修行にも差しさわりが出るんですからね」

「……はい」


 彼女達の言葉を素直に聞き入れるしか、碧音にできることはない。

 逆らうことなく、彼女達の言葉を聞いていたら、彼女達は碧音には何を言ってもいいと判断した様子だった。 


「あなたは橘家の娘なのに、呪符も使えない。それなのに、なぜ神女の中でも特別扱いされるのか、理解できないわ」


 祐葉は何も言わなかったけれど、他の見習い達を止める気配もない。


(……そうよね、面白くないわよね)


 彼女達の気持ちは、碧音にも理解できる。

 皆、幼い頃からここで修行をしている。

 それなのに、成人を迎えた碧音がいきなり神女見習いとなっただけではなく、神女達の長である千代の直々の指導を受けている。

 彼女達からしたら、あとから割り込んできたくせに大きな顔をしているように見えてもしかたない。千代に指導を言いつけられた祐葉の足を引っ張ってしまっているのも。


「わ、私は真剣に神女を目指して……」

「神女を目指す? 本当にそうしたいなら、王子にすり寄っている時間はないのではないかしら」


 修行の前に、建志と鉢合わせしたのを見られていたようだ。

 たまたま行き会っただけと言っても、誰も信じないだろう。


「……そこまでにしておきましょう」


 不意に、今まで黙っていた祐葉が口を挟む。


「だけど」

「そろそろ時間だもの」


 祐葉がそう口にした時、修行の間の戸が開かれる。


「神女見習い達よ、修行の時間だ」


 千代の鋭い声に、神女見習い達は一礼し、慌てた様子で定められた位置につく。


(……努力するしかないわ)


 これ以上祐葉に迷惑をかけないようにしなくては。少しずつでも、碧音が神女としてふさわしくなれば、きっと周囲の目も変わるはず。今は、そう信じるしかなかった。


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