ざわつく心をなだめて神具を磨く作業に戻ったら、神女見習いが飛び込んできた。
「碧音、大変よ! あなたのお父様が千代様に会いに来たの」
「お父様が?」
先ほど、碧音と話をした父は、今度は千代の方に向かったらしい。
(……何を考えているの?)
綾女には関わるなと碧音に釘を刺しに来た父。今度は、千代を相手に何を話すというのだろう。
ちょうど磨き終えた神具を、元あった場所に戻す。
そして、立ち上がった碧音は大急ぎで修業の間へと足を向けた。
修業の間のある建物まで来ると、千代が立っているのが見えた。彼女から少し離れたところには、神女達がいる。
父は、落ち着き払った様子で千代に向き合っていた。橘氏の呪符師を三人も引き連れている。その中には、佐祐の姿もあった。
「千代殿、お疲れのようですな」
父の声には、わずかな嘲りが含まれているように思えた。
「神女達は役に立たず、王宮内には邪気がはびこっている。お疲れになって当然だ」
集まっている神女達が、ざわざわとし始めた。碧音に気づいたのか、袖を引き合い、こちらを指さして囁き合っている者もいる。
「……この度の件は、ただの邪気ではない。二十年前の事件の再来だ」
父に嘲られても、千代はまったく動じなかった。すべてを見通そうとしてもしているような静かな目を父達に向けている。
「この程度の邪気、我が橘氏の呪符師にかかれば、すぐに原因を突き止められる。そもそも、神女達の力だけでは限界があるでしょう。橘氏の威信にかけて、この異変を解決してみせる」
「お待ちください」
千代が制止しようとするが、父は聞く耳を持たない。
「王家からも、橘氏に調査を依頼する旨の通達があったはずだ。それとも、千代殿は、王命に背くおつもりか」
邪気の対応が後手後手になってしまっているのは事実である。だが、いつの間に、王家から橘家に話がいったのだろう。
「……わかった。好きにするがいい」
「そうさせてもらおう。お前達、まずはこのあたりを調べるんだ」
千代は、父の提案を受け入れた。父は佐祐の方を振り返り、それから改めて千代の方に向き直る。
「神女や見習い達にも話を聞くことになる」
「好きにするがいいと言っただろう――皆、橘家の術者に話を聞かれたら、素直に答えるように」
「はい!」
父の言葉に、千代は頷き、神女達は揃って返事をする。
どこを調べるかあらかじめ決めていたのだろうか。父が連れてきた術者達は、迷うことなくそれぞれの方向へと散っていく。
「佐祐、どう見る」
「はい、当主様」
佐祐が前に出る。碧音は彼の一挙一動を見逃すまいと、目を凝らした。
真剣な目で佐祐は周囲を調べている。それから、父に向かって頭を下げた。
「今のところ、本殿とこの建物周辺に異常は見られません」
「――そうか。では、お前は私と共に王宮へ迎え。残った者は、くまなく神殿を調べるのだ。神女達に話を聞くのも忘れるな」
そう命じるなり、父は身を翻して立ち去ろうとする。
「――お父様!」
「碧音か。余計なことはするなと言ったはずだが?」
このために、父は碧音のところに来たのか。
「私は、何も……」
「大体、お前のような呪符も使えない落ちこぼれが、神女の真似事をするからこうなる。ろくに霊力も扱えないくせに、母親の真似をしてもしかたないだろう」
その言葉に、碧音の中で何かが燃え上がる。
「お母様は立派な神女でした。私はお母様の遺志を継いで――」
「遺志?」
威麻呂は冷笑を浮かべた。
「陽花は確かに優秀な神女になれる素質があったらしいな。だが、我が家に嫁ぎ、最後は橘氏を裏切ろうとした」
「裏切る? そんなはずは」
「お前は知らないだろうが、陽花は橘氏の秘術を否定し、我々の力を封じようとしたのだ」
「それは――!」
「お前は、呪符師としての力を持たないことへの劣等感から、神女の力を欲した。しかし、血は争えない。母と同じく、制御できず、王宮に邪気をはびこらせた」
「違います! 私は何もしていない!」
「碧音、下がれ」
「……でも、千代様」
千代が口を挟む。はっとして彼女の方を見やれば、碧音に向かって頷いてみせた。
「大丈夫。私達も諦めたわけではない」
千代の言葉にも、父は皮肉気な笑みを浮かべただけだった。
「当主様、これ以上碧音様とお話をする意味はないでしょう。碧音様は、家を離れたのですから」
千代と父の間に佐祐が割り込む。彼は、二人には見えないよう碧音だけににっと笑って見せた。その彼の笑みに、碧音は背筋がぞっとするような気がした。
「碧音、仕事に戻れ」
重ねて千代に言われ、碧音は頭を下げる。
(このままでは、問題が起きかねない――だとしたら、私は何ができるの?)
父に否定され、橘氏に見放されても、碧音はここで碧音の仕事を全うするつもりでいる。
母の遺志を継ぐためにも、そして神殿を守るためにも。
(綾女、あなたは今、何を考えているの?)
深紅の衣装で微笑む従姉妹の姿が、不意に碧音の脳裏に浮かぶ。
銀の酒器を取り上げる彼女の姿は、美しかった。
あの時、彼女は建志に何を言ったのだろう。