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第56話姉妹 4

 私は全身から体温が抜け落ちていくのを感じていた。


 今回ばかりは厳しいかも知れないな……


「これで終いにしてあげる!」


 カルシファーのやけに嬉しそうな声が鳴り響く。


 彼女の声に従って、私にとっての死神がゆっくりと近づいてくる。


 レシファーは横たわる私の眼前に迫っていた。


「アレシア……」


 脳内に私の名前を呼ぶポックリの声が響く。彼もどうにかしたいのだろうが、どうすれば良いのか分からないのだろう。ポックリの実力では、出てきたところで無駄死にだ。


「安心してアレシア。貴女を殺した後に、さっき魔獣を召喚したあの狸も殺してあげるわ。それなら寂しくないでしょう?」


 カルシファーは勝ちを確信したのか、今までにないほど口数が多くなっている。


 そっか、そうよね。ポックリの存在もバレているわよね。


「ポックリ……逃げて」


 私は念話でポックリに逃走を促す。


「嫌だ!」


 ポックリは間髪入れずにそう短く答える。


 我儘言わないでよね……私は誰にも死んでほしく無いって言ったじゃない……


「もうここまでよ」


 カルシファーの死刑宣告が、レシファーの体をゆっくりと動かす。


 私は覚悟を決めて、私に向かって剣を構えるレシファーの姿を視界におさめる。


「レシ、ファー……?」


 私を殺そうとするレシファーの顔を見て、驚いた。


 無表情で私と戦っていたはずの彼女の顔はひどく歪み、その長い睫毛を涙で湿らせていた。


「アレシア様……」


 彼女の口から私の名が聞こえる。


 彼女が私を呼んでいる。


「どうしたの! 早く殺しなさい!」


 明らかに動揺しているカルシファーの命令は、しかしレシファーに届いていなかった。


 届いていないというよりも、聞こえているがなんとか抗っていると言った方が正しいだろう。


「なんで……」


 カルシファーは驚きの表情を浮かべる。


 彼女からしてみれば不気味だろう。


 カルシファーの魔法は解けていない。いまだにレシファーの洗脳は解かれていないし、まったく指示が通らないわけでもない。


 それなのに、私を殺せという指示だけは最後の最後で通らない。


 レシファーは剣を構えてはいる。振りかざしてはいる。後はそれを振り下ろすだけ。


 しかしそれが実行されない。


 剣が振り下ろされることはない。


 レシファーは大量の汗を、歪ませた顔に滲ませながら、なんとか残酷な命令に逆らっていた。


「レシファー!!」


「アレシア様……」


 レシファーは、私の呼びかけに反応して私の名前を呼ぶ。


 彼女の洗脳はまだ解けてはいないが、それでも少しずつレシファーを縛る鎖は解け始めている。


「嘘よ! そんな事あり得ない! レシファー! 早くアレシアを殺しなさい!」


 半分パニック状態のカルシファーは、さらに自身の妹に命令する。


 それでもレシファーは動かない。


 それどころか、徐々に振りかざした剣を下げ始めている。


 体の支配権を取り戻しつつあるのだ。


「そんな……どうして?」


 カルシファーは唖然とした表情で、自身の魔法を自力で解きつつあるレシファーを見る。


 どうして? 彼女からしたらそうだろう。


 こんな事を言うのは恥ずかしいけれど仕方がない。


 教えてあげる。


「簡単よカルシファー。私とレシファーの絆が、姉妹の絆を上回っただけ。ただそれだけよ」


 長い期間契約していた悪魔と魔女のあいだには、絆が生まれる。その絆が今の現状を作り出した。カルシファーの洗脳は解けかけ、私は九死に一生を得たのだ。


「絆? そんなものが私の魔法を打ち負かしたとでも言うつもり?」


 カルシファーは私の説明がお気に召さなかったのか、食って掛かる。


 お前には分からないだろう。


 魔女を憎んで、平等な契約じゃないとかなんとか騒いでいたお前には。


 この世に平等なんて存在しない。


 あるのは納得するかどうかの主観のみ。


 客観的に見たら、私とレシファーの契約は不平等だろう。私は彼女から貰うばかりで、対価らしい対価を支払っていない。


 しかし、その契約が今の絆を生み出し、私とレシファーを再び繋げたのだ。


 私とレシファーの契約は、私達双方が納得しての契約だ。そこに外野の出る幕はない。


「ええそうよ。魔女との契約に、不満しか抱かなかったお前には分からないでしょうけれど」


 私は少し呼吸を整える。


「それに、もうそろそろよ」


 私の言葉に反応して、カルシファーはレシファーに視線を向ける。


 レシファーはもうすでに剣を下ろしていた。


「レシファー!」


「ここまでです。お姉様」


 カルシファーの声は、正気に戻ったレシファーの声によって遮られる。


 レシファーは剣を握ったまま私の隣にしゃがみ込み、回復魔法をかける。あの巨大な葉っぱだ。レシファーの回復魔法の中では一番効果がある。


「謝罪は後でさせて頂きます」


「そんなの良いのに……」


 私は、剣を片手に立ち上がるレシファーを見上げる。


「そうは行きません。ですが、とりあえずは敵の撃破を」


 レシファーはそう言って実の姉の方を向く。


 ここで攻守逆転。


 カルシファーの洗脳は完全に解け、レシファーは自分を取り戻した。


「お姉様。貴女を殺す前に、一つだけ聞きたいことがあります」


 レシファーは一度深呼吸をして、再び剣を構える。


「……貴女はどうして魔女を憎むのですか?」


「どうしてですって?」


 カルシファーは、意味が分からないと言いたげな顔で聞き返す。


「はい。貴女はいつからここまで変わってしまったのですか? 私の知っているお姉様、三〇〇年前はこんな人ではなかった」


 やっぱりそうだったんだ。


 最初から今のカルシファーだったら、レシファーはお姉様だなんて呼ぶはずがない。昔は違ったのだ。


 だからレシファーは不思議に思ったのだろう。


 キテラと契約して敵側にいたことに。カルシファーが、自分の知らないあいだに変貌していることに……


「前にも言ったでしょう? 魔女と悪魔の契約が不平等だって」


「違います。そんな建前を聞いてるんじゃなくて、お姉様本人のことを聞いているのです」


 レシファーは言葉遣いこそ丁寧だが、その言い方には、言い訳を許さない強さがある。


「私が魔女を憎む理由……それを貴女に聞かれるなんてね……」


 カルシファー俯きながら口を開く。


「お前がアレシアと契約したからよ! それも対価を伴わない契約! それから三〇〇年ものあいだ、アレシアにつきっきりで戻って来なかった!」


 私とレシファーは意外な理由に驚く。


 カルシファーが魔女を憎むようになったのは私のせい?


「それだけじゃないわ! この町の上級悪魔達は、最初こそレシファーの行動に理解を示していたけれど、徐々にそうではなくなっていった。状況が変わるにつれ、悪魔達が魔女に復讐しようという流れになるにつれて、敵であるアレシアを庇うレシファーを批判する声が次第に大きくなっていったの! 三〇〇年間もずっとよ!」


 カルシファーは、自身の内にため込んでいたものを吐き出すように叫び続けた。


「私はその報告を、ミノタウロスから逐一聞いていたわ。キテラの隣でね」


 そうか。ミノタウロスは、異界とあちらの世界を自由に行き来できる。そうすれば間接的に町の統治が可能というわけか。


 彼女からしてみれば、人気者だった妹を独り占めし、レシファーに悪評を塗ることになった私は邪魔者だったということ。


 カルシファーの中では、私=魔女という図式が出来上がり、周りの悪魔達の復讐心も相まって魔女を憎むようになったと。


「なるほど分かりました。お姉様の気持ちはよく分かりました。けれど……」


 そこでレシファーは一度言葉を切って、実の姉を睨みつける。


「理解と納得は違います」


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