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41「王家の血」


 城へ戻っていると、人通りの少ない路地で男は立っていた。

 女を三人侍らせた男が俺に向けてくるその表情を見れば、とてもじゃないが偶然鉢合はちあわせたとは思えなかった。


「ケネン……」

「坊ちゃま……逃げる用意を、わたくしが囮になります」

「馬鹿言うな」

「坊ちゃま!」


 クラウスが焦る理由は分かる。

 完全に包囲されている。

 周囲の建物の中や屋上から、路地裏から、地面の中からまで視線を感じる。

 なのに魔力感知にはあまり反応がない。

 それは相手が卓越した魔術師である証拠。


「少し付き合って貰うぞ、ネル」

「明日にしろよ。今日は疲れてるんだ」

「ダメだ」


 第二王子ケネンは有無を言わせない態度だ。

 転生して初めて見たこいつはヤミを口説いてた。

 継承戦の会議に呼ばれた時は、こいつは俺の参加を武力をもって妨害しようとした。


 そして今、こいつは明確な敵意と害意を持って俺の前に立ち塞がっている。


「付いて来い。街中で戦うのは私も意図するところではない」


 そう言ってケネンは傍にあった酒場に入っていく。

 通りには一般人が普通に歩いている。

 同時に隠れて周りを囲んでいた魔術師たちの魔力が昂ったのを感じる。

 付いて行かなければすぐにでも攻撃するってわけか……


 ここで魔術なんて撃ち合えば、無関係な人間が確実に死ぬ。


「クラウス、俺は行く。お前はどうする?」

「無論、お供させていただきます」


 俺たちは酒場に入る。

 ケネンの侍らせていた女以外、その店に客は一人も居なかった。

 ケネンはカウンターの奥で地面についた地下へのハッチを開けていた。


「こっちだ」


 そう言い残してケネンは下へ歩いて行った。

 女たちはここに置いて行くらしい。

 酒場の奥から持ってきた酒を一番年下に見える女が他二人に注いでいる。

 こいつらなんのために連れて来たんだ?

 まぁいいか。


 ケネンを追って地下へ下りていくと、かなり広い空間に出た。

 騎士団の修練場くらいはありそうだな。

 家具とかは何もない、ただの空虚な空間だ。


 壁は岩石に覆われ、微弱だが魔力を感じる。

 魔術で掘られた空間……しかも床や天井、壁が魔力によって硬度を強化されている。


 防音効果もありそうだし、ここで起こることが外に漏れないようになってるんだろう。


 俺とクラウスが部屋の中央まで歩みを進めた辺りで、後ろからゾロゾロと人が入ってくる。

 俺たちを囲んでいた魔術師連中だ。


「一人じゃ勝てねぇからってお仲間に頼るのか?」

「なんとでも言え、五年前は負けたが今回は私が勝つ」


 相手は三十人以上。

 こっちはクラウスと俺だけ。

 しかも俺はダンジョン探索のせいで魔力は半分程度しか残ってない。


「けど心外だな」

「どういう意味だ?」

「この程度の人数で俺に勝てると思ったのか?」


 出入口は一つ。敵に抑えられている。

 逃げるのは不可能。

 相手は魔術師が三十人前後。

 こっちは俺とクラウスの二人だけ。


「ネル、降伏しろ。継承戦から降りるなら命までは取らない」

「バーカ、今この状況にお前が有利な点は一つもない。――【恐使の喚騒ゾルドアーミ】」



 ◆



 賢い奴っていうのは馬鹿な奴が好きなんだ。


 だから賢者まじゅつし愚者わたし見初みそめた。


 私には賢者の意向に従って生きる他に選択肢はない。

 魔術協会はこの国でも力を持つ勢力の一つ。

 それは第二王子である私などより余程上。


 捨てられるだけならいい。だが、もしも彼らの怒りを買えば私など海の藻屑……いや、魔術の実験体にでもされて終わりだろう。

 いや、私の身体などどうでもいい。

 私はただ……




 魔術の鍛錬をしろと言われればそうした。


 結婚しろと言われれば指定された人物と籍を入れた。


 第十一王子を魔術で痛めつけろと言われれば挑んだ。


 最多の魔術師を口説けと言われればそうした。


 私には私の行動を決定する権利がない。


 だが、そんな私にも残ったものはある。

 陳腐で矮小だが、プライドがあるんだ。


 私が王になれなければ魔術協会は私を見限り、無価値となった私の嫁など辞めさせて彼女たちを私の元から連れ去られるだろう。


 嘘でも偽物でも関係ない。


 こんな私に愛していると言ってくれた。


 そんな彼女たちを幸せにする。


 それだけが私が生きる理由だ。


 そのためならば敵が一度負けた相手だとしても挑もう。


 勝てないと私自身が悟っていても挑もう。




「はは……まさかこれほど差があるとはな……」


 魔術協会から派遣された武闘派の魔術師三十二名。

 彼らは全員床に伏せ、意識を失っていた。


「これでよいのか?」

「ただの人間の魔術師じゃ。数でも負けりゃ勝ち目はねぇわな」


 ネルの周囲から現れたのは百に及ぶスケルトンとゴブリンだった。

 中でも一際強い魔力を放った二体を中心に魔術師たちは蹂躙された。


 上へと昇る階段は結界術で封鎖され、それを破ろうとした魔術師から優先的に攻撃される。


「魔獣を配下にしているのか……? お前はいったいなんなんだ?」


 恐怖はある。

 けれどそれは殺されることじゃない。

 拷問を受けることでもない。


 私が抱くのは、ここで負けたことによって私の大切な人たちを幸せにすることができなくなるということへの恐怖だ。


 そして同時に【憧れ】が生まれる。

 私がこいつなら……

 こいつのような圧倒的な力で全ての制約を突破できたのなら……


 そうすれば、本当の意味で私は彼女たちを幸せにできたかもしれない。


 お前が羨ましい。

 お前になりたい。


 同じ遺伝子だ。

 同じ血だ。

 こいつは私の半分も生きていない。


 なのに……


「なぁ、私はどうすればお前になれた?」

「お前は俺になる必要なんかねぇよ」


 残るこちらの人員は私一人。

 剣を持ち、魔力を滾らせ……

 ネルは私へ歩みを進める。


 失いたくない。

 愚かな私が唯一得られたものなんだ。


 失いたくない!


「あぁぁぁぁぁぁぁぁぁああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!」


 私は拳を振りかぶり、ネルへ走った。


 魔術じゃ勝てない。

 剣術じゃ勝てない。


「今度は逃げなかったな、クソ兄貴」


 ネルの声は異様に近かった。

 五メートルはあったはずのその距離はゼロへ。

 刹那の時間で私の懐に潜り込むネルに、私の動体視力も魔力感知も意味などなかった。


 剣の柄が私の腹を抉っていた。


 その触感を激痛を抱くと同時に、容易く私の意識は飛んだ。


 クソ、私はこいつに何も勝てないのか……



 ◆



「結局こいつは何しに来たんだ? 俺を襲うだけならこいつ自身が来る必要ねぇだろ」


 【恐使の喚騒ゾルドアーミ】を解除しながら呟いその言葉は誰に向けた物でもない独り言だったが、控えていたクラウスが答える。


「恐らくは魔術協会の命令だったのはないでしょうか。この一件が失敗に終わった時、その責任をケネン殿下に負わせるための」


 王子暗殺なんてどう考えても大罪だ。

 魔術協会が主導でやったなんてことになれば組織ごと解体されてもおかしくない。

 だが、『ケネンが魔術協会の末端を唆した』というシナリオなら魔術協会の上層部に発生する被害はかなり減る。


「けどケネンを失っていいのか? ケネンを次の王にしないと魔術協会の地位向上って目的は果たせないだろ」

「王子や王女はまだ沢山います。ケネン殿下が魔術協会という後ろ盾を持っているというだけの理由で継承戦に参加できたのですから、他の王子や王女でも同じことが可能でしょう」

「王子様って立場も軽いもんだな……」


 魔術師ってのはいつの時代も姑息な生き物だ。

 それでこそ魔術師とすら言える。

 だが、賢者では絶望には対抗できない。


 賢者よりも愚者の方が優れる瞬間だってある。

 圧倒的な強さを持つ相手には、賢さは無意味だ。

 敗北を悟りながら、それでもケネンは拳を振り上げた。

 その勇敢さの方が何倍も意味がある時もある。


 誰が裏でこいつを操ってるか知らないが、魔術師としても二流だろうな。

 愚者バカの強さを理解していないんだから。


 伸びた魔術師とケネンを放置し、俺とクラウスは階段を上がっていく。


「え?」

「なんで貴方が……」

「……」


 酒場に戻って来るとそこにはケネンの連れていた女が三人、酒を飲みながら待っていた。


「一応言っておきますが、ケネン殿下の奥様方ですよ」


 クラウスが小声でそう教えてくれた。


 なるほど、嫁か。

 けどなんでそんな奴らを連れて来たんだ?

 それも魔術協会の命令なのか?


 逃げないように、人質?


 だとしたら……


「あいつ、結構愛妻家だったんだな」


 そう声を発すると、女の内二人から「ひっ」という短い悲鳴が上がった。

 女の一人が椅子を倒しながら焦ったように立ち上がり、酒場の外に走っていく。

 それを見たもう一人の女も同じように走り去っていった。


 誰かに報告する気か?

 いや、とてもそんな顔じゃないな。

 単純に逃げただけだ。


 心底馬鹿な男だ。

 人質に使われた女の方はお前の安否なんかどうでもいいらしいぜ、ケネン。


「お前は逃げなくてもいいのか?」


 最後に残った金髪の女にそう声を掛ける。

 すると女は何も答えずにジョッキに入った発泡酒を煽った。

 そのまま全部飲み干しちまったよ……


 こいつはさっきの二人とは違う。

 俺に恐怖を抱いていない。

 いや、殺されることにビビッてないって感じだ。


「第一婦人のバレッタ様です」


 バレッタが俺に視線を向ける。

 その視線は攻撃的でも好意的でもない。

 少し悲しそうにバレッタは俺に言った。


「あの馬鹿はどうなったんだい?」

「気絶してる。他の魔術師も全員」

「殺してないのかい、お優しいことだね」

「殺したら魔術協会は俺を糾弾する気だろ?」


 今回の敵の狙いはおそらく二つ。

 俺の暗殺、もしくは俺をケネン殺害の犯人にすること。

 どちらでも俺を継承戦が降ろすことができる。


 その作戦にまんまと乗るのもムカつくから全員気絶させた。


「なるほど、お偉いさんは色々と考えてるんだね」

「……なんだお前。何も知らねぇのになんで残った?」

「そりゃ、誰かがあいつを連れて帰らないといけないだろ?」

「へぇ、他の二人とは違ってお前はケネンを……」

「やめておくれ。そういうのじゃないんだ」


 いなくなった二人が残していったグラスにも手を付け始めたバレッタは、少しだけ頬を赤らめながら俺に言った。


「一緒に飲むかい?」

「酒は控えてるんだがな」

「ガキに飲ませるわけないだろ? ミルクかジュースでも注いであげるよ」


 バレッタは俺の了承も確認せず、カウンターの中に入って俺の飲み物を用意し始めた。


「クラウス、ちょっと外を見張っててくれ」

「……かしこまりました」


 クラウスが店を出たのを見て、俺はバレッタの席の向かいに腰を下ろした。


「ほらミルク」

「カルシウムは大切だから、少しくらいは話を聞いてやる」

「ありがとう坊や」


 そう言って俺の頭に手を乗せて少し撫でた後、バレッタは自分の席に戻ってまた酒を飲み始めた。


 さっきの豪快な飲みっぷりとは変わり、ちびちびと酒を飲みながらバレッタはつらつらと話し始める。


「あたしは別にあいつを愛してるわけじゃない。そもそも結婚したのは親の意向だ。男遊びしまくってたら父親に無理矢理連れ戻されて、逆らえない状況で嫁げって言われたからそうするしかなかっただけ」


 ミルクを飲みながら、俺は黙って話を聞く。


「でも、純潔とか純情とか、そういうのとは無縁な私でもあいつは馬鹿みたいに愛してる。あいつはアホさ。魔術師の風上にも置けない馬鹿野郎だ」


 王子の隣に居る、しかも第一婦人にしてはお淑やかさの欠片もない女だ。

 だけど話してて不快感が全くないのが不思議だ。


「第二婦人は故郷の村に結婚を誓った幼馴染を置いてきていて、今でもたまにその写真を見て感傷に浸ってるし。第三婦人は毎日のように男娼に通ってる。最近お気に入りの子がいるんだってクソみたいな自慢までしてくる始末だ。私も他の二人も、自分以外の婦人が嫌いだ。あいつの顔と優男な雰囲気は、そんなあたしらの仲を取り持とうとして身に付いたもんなんだ」


 ケネンが俺のことを何も知らないように、俺だってあいつのことを何も知らない。


 けど俺が見た限り、あいつは真面な奴だった。

 俺みたいな何百年経っても最強なんて陳腐な言葉に拘ってるガキと違って、あいつは人当たりもいいし、礼儀作法もしっかりしてるし、魔術の練度を見れば歳以上には努力を重ねている。


 だが、その程度で国は担えないってことなんだろう。


「哀れだろ? 自分が何よりも愛して守ろうとしている存在に、あいつは一ミリも愛されちゃいないんだから」


 悲しそうに、寂しそうに、バレッタは地下室へ続くハッチを見ていた。


「でもね、あいつはこんなあたしらを受け入れてくれてるんだ。不出来でも許してくれてるんだ。不条理でも何も言わず、黙って愛してくれてるんだ」


 バレッタは一筋の涙を零していた。

 その視線が俺を向き、俺の手をバレッタは両手で握った。


「なぁ、頼むからあいつを勝たせてやってくれよ。あたしならなんでもしてやるからさ。あんなに不幸な男がこれ以上に不幸になる姿をあたしは見たくないんだ」


 涙ながらに女は俺に懇願してくる。


 不幸か……


「知るかよ、下らねぇ」


 自分が一番不幸だとでも思ってんのか?

 その程度の不幸なんざ世界中に死ぬほど転がってんだよ。


 つうか俺がムカついてんのはそんなことじゃなくて……


自分テメェでやれよ。幸せになって欲しいんだったらお前が幸せにしろよ」

「言ってるだろ、別にあたしはあいつのことなんか……」

「そいつを幸せにしたいって気持ちがあるクセに、そのために自分すら捧げようとしてるクセに……それが愛じゃないなら愛なんかこの世に存在しないだろうが。認めろさっさと、俺は今惚気話聞かされて吐き気催してる最中だ」


 俺が誰かを愛したのなんてもう随分昔のことだ。

 だけど、そんな俺ですら分かることだ。


「どう見てもお前はケネンあいつに惚れてる」

「あたしみたいな女にそんな権利ないよ……」

「お前は自分のその気持ちと、あいつがお前を大切にしてるって気持ち、どっちを優先するんだよ?」

「それは……別にあいつと離れたいとは思ってないけど……」

「じゃあそれが答えなんじゃねぇの? まぁ男ってのはアホだから、好きな女におだてられりゃマジになんだよ。それで力が湧いたりもする」

「そんなことで魔術協会に逆らえるわけ……」

「はっ、逆らいたいって気があんなら上出来だ。俺も無駄に狙われて気が立ってる最中だ。少しくらいは潰すのに協力してやるって、あの馬鹿が起きたら行っとけ」


 失えばもうどうしようもない。

 どれだけ力を磨いても、既に失ったものは守れないし戻らない。

 故に、俺の努力に意味はない。


 だがこいつらは違う。

 まだ何も喪失していない。

 なのに諦めている。


 ムカつくんだよ。

 やってもないのに不可能を決めつける賢い奴が俺は嫌いだ。


「じゃあな、俺はもう行く」

「待ってくれ、本当にできると思うかい? 馬鹿なあいつと、こんな私に……この国の一大勢力に歯向かうことなんて……!」

「憶えとけ、人生に【不可能】なんて概念は必要ない」


 そんなものがあるとすれば、それは過去にだけだ。

 未来に挑むと言うのなら、結果はまだ決まっていない。


 ミルクを飲み干し、俺は店を後にする。

 その後城に戻るまで何人かの監視に尾行されていたが、そいつらが手を出してくることはなかった。



 ◆



「大丈夫かい?」


 目が覚めると横にはバレッタの姿があって、彼女は私の身体をさすってくれていた。


 周りを見るとネルにやられた魔術師たちが転がっている。


 そして私の目の前で、白い法衣を纏った長い白髪の老人が私を見下していた。


「哀れなものだな、ケネン王子」

「……申し訳ありません。お父様」


 この男の名は『ガルシア・ファスク・メリジアス』。

 バレッタの父親であり魔術協会の最高責任者。

 魔術による延命によって今年百三十歳を迎えた老人であり、レイサム王国の魔術師を統括する存在――『魔術帝』だ。

 その権力は私の父であるこの国の王の三分の二に及ぶとも言われている。


「貴様には失望した。魔術の才があると言われているが、それも所詮は凡人の領域。ただ師が優れていただけだ。政略に長けるわけでもなく、大望を抱くわけでも胆力に優れるわけでもない。本当に使えない息子だった・・・な」


 ガルシアはそう言って私に手を翳す。

 そこへ魔力が集束を始めた。


 どうやら今回の失敗で完全に見限られたらしい。


 私は死ぬのか?

 腹が尋常じゃなく痛い。

 ネルの奴、思い切りやってくれたな……

 いや、私が弱いだけか……


「待ってください、お父様!」


 バレッタが私とガルシアの間に入る。

 まるで、私を庇うように……


 どうして……

 いつも「父親の命令で仕方なく結婚したのよ」って言っていたじゃないか。

 なんで私を庇う?


「今回は相手が悪かっただけです。ケネンはよくやってると傍で見ていた私が保証します。どうかお願いいたしますお父様、ケネンを殺さないでください」


 そう言ってバレッタは頭を地面に付けて懇願した。


 やめろ……

 そんなことをする必要はない。

 やめてくれ……


 そんなことをしたら君まで……


「誰が儂に意見しろと言った? 魔術も使えぬ小娘が、儂に要望を出すなど千年早い」


 突風が渦を巻いた。

 掌から発生した風属性の魔術がバレッタの身体を吹き飛ばす。


「うっ!」


 その身体は私の横の壁に激突し、頭から血が滴る。

 なのに、そんな風になっても……


「お願いいたします、お父様……」


 地に頭を付けて懇願を続ける。


「ケネンを助けてやってください……お願いいたします……お願いいたします……お願い……」

「黙れゴミが」


 ガルシアの靴底がバレッタの後頭部を踏み抜いた。


「魔術の鍛錬も投げ出して家から逃げたお前のようなゴミを再利用してやった。チャンスをやったのだ。だがお前は儂に何の成果をもたらさない。これが儂の娘だと思うと吐き気がこみ上げるわ」

「申し訳……ございません。私をどうしても構いません、だからどうかケネンだけは……」


 足を上げ、もう一度、力を込めて、ガルシアはバレッタを踏み付ける。

 何度も、その動作が繰り返される。


「お前には儂と血縁であること以外に価値はない」


 何度も、踏み躙る。


「儂の命令以外のことはするな。お前は儂の道具だ」


 やめろ。やめろ。やめろ。

 何度もそう言おうとしているのに、言葉が喉より先に出て行かない。


 凡俗な魔術師たる私にも理解できるからだ。

 私が十人居ても、この老人には勝てない。


「分かったら退け!」

「嫌です。お願いいたします、ケネンを助けてください……」


 バレッタが私を庇って踏みつけられている。


 ごめん。ごめんよ。ごめんなさい。


 私は死がほとんど確定しているこの瞬間でも、自分の言いたいことすら叫べない。


 恐怖に打ち勝つ方法を私は知らない。


 私は弱虫なんだ。


「諦めろ。ケネンを殺すことは確定事項だ。そうすれば後ろ盾を持たない第十一王子をその殺害の犯人とすることは容易い」


 最初からそれが狙いか……

 私は所詮捨て駒か……


 予感はあった。

 いつかこうなることは分かっていた。

 だけど、じゃあどうすればこの結果は回避できたんだ?


 私には何もない。

 最初から詰んでる。


「じゃあ私が死にます。お願いいたします、ケネンはどうか見逃してください」

「愚か過ぎる……お前の死程度では王子を追い詰めるのには全く足りない。お前の懇願に価値などない。儂が手を振り翳すだけでお前もろともケネンを殺せる。いい加減理解しろ、お前如きの力で儂を止めることなど不可能だ」

「不可能……貴方がそう仰るのですか?」

「何?」

「ある魔術師が言っていました。魔術師に【不可能】なんて概念は必要ない、と」


 なんとなく、そんなことを言った奴か誰か分かった。

 一人しか思い浮かばなかった。


 確かにここに転がっているのが私じゃなくお前ネルなら、こんな状況でもきっと余裕の態度で立ち上がるんだろうな……


「誰だそんな馬鹿なことを言ったのは。魔術師とは世界を読み解く者だ。魔術とは叡智であり真理だ。ならば魔術師の本懐とは現実を直視することだ。不可能を探り、失敗を否定する賢者にこそ魔術は相応しい」


 私はどうなりたかったんだ?


 第二王子として生まれ、周囲は私の誕生を祝福する。

 この国の階級における最上位。

 その周囲には当然に全てを持つ者が集う。


 それに並びたかった。

 王子という生まれだけではなく、実力として周囲と同格になりたかった。


 だから魔術を鍛えた。

 魔術帝の名は伊達ではなく、その教えによって私の実力は周囲の目を誤魔化せる程度に成長した。


 本当の実力は必要なかった。

 派手な魔術を使えば、それを『才覚』と周囲は認識してくれた。

 実戦では無意味な魔術も『天才』と褒めてくれた。


 だけど、ずっと気が付いていた。

 私は本物ではないと知っていた。


 本物の魔術師に比べれば、私の実力は三流もいいところだ。


 私のそんな心を利用して、この老人は幼少から私をコントロールするために私に魔術を教えていたのだろう。


 全ては賢者まじゅつしの掌の上。

 愚かな私は全てを搾取され死を迎える。


 だとしても仕方ないだろう。

 私はどこまで言っても凡人だ。


 第一王子ダジルのような強かさや胆力はない。

 第一王女シャルロットのようなプライドもない。

 第三王子コーズのような知力もない。

 第二王女シルヴィアのような人心掌握の術もない。

 第七王子ミラエルのような才能もない。

 第十一王子ネルのような絶対的な力なんてあるはずもない。


 私には何も――


「私はそうは思わない。不可能はないと信じるわ。だってその方が幸せだから!」



 ――いや、ある。



 バレッタは私のためにここまでボロボロになってくれた。

 バレッタだけじゃない。

 卑屈で凡人な私が、今まで第二王子として頑張ってこれたのは嘘でも私を愛してくれると言ってくれた彼女たちのお陰だ。


 間違いでも、それ自体が不幸でも、私の心はその最低に救われたんだ。


 ならばこれ以上不幸にしてはいけない。


 私が私を見限っても、バレッタが私に期待してくれるなら、その期待は見限ってはいけない。


 それだけが私に残る感情の全てだ!


氷魔弾アイシクルショット!」


 私の氷の魔術を魔力障壁によって完全に防ぎ切ったガルシアは、ギロリと私を睨みつけた。


「なんのつもりだ? ケネン」

「私も愚者なりに信じることにした。不可能はないと」

「あんた……」


 バレッタを立ち上がらせ、手で制して横にずらす。

 私を狙うガルシアの魔術が彼女に命中しないように。


「はぁ……」


 大きなため息をついて、ガルシアは立ち上がった私へ手を翳す。

 無詠唱、魔術の宣言すら無しで効果だけを発揮させる高等技術だ。


「ガハッ!」


 巻き起こった旋風は私の身体を弾き、壁に叩きつける。

 全身を強打されたような感覚が私を襲い、また私は地面に這いつくばる。


「もういい。愚か者共、痛みを理解し、逆らった愚かさを自覚し、そして死ね」


 魔術の嵐が私の身体に降り注ぐ。

 一つ一つは切り傷を造る程度のか弱いもの。

 しかし百以上のカマイタチが重なれば、それは人を殺すのに十分な威力を持つ。


 私の身体が切り刻まれていく。


「やめて! お父様やめて! お願いだから、死んじゃうから……」


 愛されていなくても愛しているんだ。

 分かっていたさ。

 バレッタも他の二人も、私のことなど本気で愛してはいなかったと。

 最初から私の結婚はガルシアに命令されたものなんだから当たり前だ。


 だけど、嘘でも良かったんだ。

 私がガルシアに命令されたように彼女たちも魔術協会の上層部の誰かに命令されて私と結婚した。

 そんな境遇を持った彼女たちに私は共感できたし、その不幸さを理解できた。


「ガルシア、今から私はお前を殺す」


 言葉にしてみれば、その意志は最初から私の至上命題であったように当然の感情さついになった。


「どうやってそれを成し遂げる? 凡俗の意志一つで現実は変化しない」


 不可能を可能にする。

 それが魔術だと私は信じよう。

 バレッタがそう言ったのだから、心の底から信じるのにそれ以上の理由は必要ない。


 手を翳す。

 風の刃によって無数の傷を負った手の平。


「それでどうする? また儂が教えた氷の魔術か?」


 魔力を練り上げる。

 魔力を集める。


 氷の属性を込め――違和感がある。


 敢えて利き手を封じているような。

 パンチが得意なのに必死をキックを振っているような。

 目を瞑った状態で模写をしているような。


 こおりは私の属性とくいじゃない。


 その感覚に身を任せれば宣言するべき言葉は、自ずと頭に浮かび上がった。


「愛してるよ――」


 身体強化術式――


「【宮愛護懸ハートフル・アームズ】」


 淡い紅色の魔力が私の全身を包んだ。

 感じたことのない万能感が私の身体を襲う。

 頭から恐怖は喪失し、目の前の老人が酷く小さく見えた。


 拳を振りかぶる。

 力がいつもよりずっと多く湧いてくる。

 踏み込みが大地を砕く、ミラエルのように速度が増す。


 コントロールが効かない。

 けどもうどうでもいい。


 私の目的は唯一つ。

 この悪魔を――


「殴る! 潰す! 殺す!」

「この魔力反応は……基本属性ではない……?」


 喧嘩なんて殆どしたことない。

 不格好極まりないだろうが、それでも私は風の魔術の中を前進し、拳をガルシアの腹を目掛けて突き出した。


「グベェェェェェェェェェェェェェェェェェェェェェェェェェ!!!」


 眼球を飛び出させ、大口を開けながら絶叫し、ガルシアは反対側の壁まで吹き飛んだ。


「え? 凄い、凄いじゃないかあんた!」

「はぁ……はぁ……はぁ……はぁ……本当に私がやったのか?」


 バレッタに抱き付かれながら自分の手を見る。

 あれだけの拳を放ったのに擦り傷一つない。

 傷は全てガルシアの魔術で付いたものだ。


「今のなんだい? 秘密兵器? 必殺技? いや、なんでもいいよ。こんなことできるならあたしが庇う必要なかったね。っていうか今の見たかい? 『ぐべぇ!』だって、すっごい無様だったよあのクソジジイ」


 まぁいっか。

 バレッタが嬉しそうだ。


 そう思っていると、コツコツと地下室へ下りてくる音があった。


「おー、ナイスパンチ」


 手を叩きながらやって来たのは、私を倒した男だった。


「ネル……何故戻って来たんだ?」


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