二〇一七年四月二十一日。
久しぶりに第二甲府高校の校門をくぐった。
胸がいっぱいになる。校舎の窓越しに見える景色、校庭のベンチ、どれもこれも懐かしい。授業中だからか、校舎内は静まり返っていて、それがまた高校らしくて落ち着く。
そんな中、ふとあの日のことを思い出す。昇仙峡の巨木の前で、色々と思い出した日。
事故で死んだからこそ、神様がチャンスをくれたのだと信じ、そのことをまた「ラッキー」と考え、気持ちを前向きに切り替えていた。もちろん、神様との約束は守るつもりだ。けれど、その楽観的な気持ちはすぐに崩れてしまう。
新しい家に引っ越してから、暇を持て余してランニングを再開した。少しずつ走る距離を伸ばし、ある日ついに実家の近くまで行ってみた。
ひんやりとした早朝の空気が肌を刺し、久しぶりに見た近所の景色が新鮮に感じられた。そこには、何もかもが変わらずに静かに佇んでいるように見えた。走りながら、思わず口元が緩み、笑みがこぼれた。
けれども、実家に近づくにつれて、その笑みは次第に薄れ、胸の中に言葉にできない感情がこみ上げてきた。懐かしさという言葉では説明できない、何か別の重い感情が、次第に自分を包み込んでいった。
そして、あの玄関のドアが開く音が聞こえた。父が出てきたその瞬間、体が動けなくなった。
以前、あんなに力強く、背筋を伸ばしていた父が、今はずっと老けて見え、背中が丸くなり、歩く足取りも重たそうだった。その姿を見た瞬間、まるで全身に冷たい水を浴びせられたような気がした。
そのすぐ横には、母の姿も見えた。母もまた、以前の元気な笑顔を失っているように見えた。彼女の表情には、どこかに消えない悲しみが見え隠れしていた。
その瞬間、俺の胸を突き刺したのは、ただの懐かしさではなかった。
全てが死んだという事実を冷徹に思い出させてくれる。死んだという事実が、今さらのように胸の奥で冷たく凍りつく。
そしてその瞬間、突き刺さった痛みが深く響き渡った。
「俺がいないことで、こんなにも家族は痛みを感じているんだ。」
その事実が、胸の中で何度も反響していた。その事実を目の当たりにし、足元がふらつき、足が震えた。
そして次の瞬間、何も考えずにその場から逃げ出していた。逃げることで、少しでもこの胸の痛みから解放されるかのように。
家族に会うことがこんなにも辛いなんて、思いもしなかった。
だから、今日は正直、怖かった。
職員室のドアを開けた瞬間、いくつもの視線がこちらに向けられるのがわかった。
知らない先生もいるけれど、どの顔も好奇心か警戒か、はっきりしない表情を浮かべていて、思わず息を呑んだ。
「はじめまして」と、新任の先生が声をかけてきた。
その明るい笑顔に少しだけ肩の力が抜けたけど、それでも胸の中で不安と緊張がぐるぐると渦巻いていた。
一通りの説明を受けて、校門を出ようとした時、ふと気づくと、もう放課後になっていた。
体育館からはバスケットボールの弾む音と、グラウンドからはサッカー部のかけ声が入り混じって響いていた。春の風に揺れる若葉の匂いと、汗ばむ制服の感触が、どこか懐かしい感情を呼び起こす。
ふと目をやると、校門近くの朱雀会館へ向かう吹奏楽部の列が静かに歩を進めていた。整然としたその流れの中に、千紗先輩の姿があった。
その瞬間、時間が止まったようだった。
遠く離れているのに、先輩の姿だけが不思議と輪郭を持ち、鮮やかに浮かび上がる。
肩にかかる髪の揺れ。いつもの姿勢。譜面を抱える細い腕。そのすべてが、胸の奥にしまっていた記憶とぴたりと重なった。
心臓が、暴力的なまでに脈を打った。
言葉にならない歓喜が全身を駆け抜け、ただただ走り出したくなった。名前を呼んで、駆け寄って、その腕を掴みたくなった。ずっと伝えたかった言葉を、この場で吐き出したくなった。
だけど――。
足は動かなかった。
いや、動かせなかった。
今じゃない。今はまだ、その時じゃない。
転校が決まったら、正式にあの場所に戻れる。その時に、きちんと会えばいい。突然現れて声をかけたら、彼女を困らせるだけだ。あんなふうに、日常の中にいる彼女に、いきなり“非日常”をぶつけてしまったら。
そう自分に言い聞かせるように、深く息を吸った。けれど胸の内では、抑えきれないほどの感情がまだ暴れていた。
その衝動を無理やり押し殺し、見つめるだけに留める。まるでスクリーン越しの映画を観ているように、手を伸ばすこともできず、ただただ、そこにいる彼女の姿を、目に焼きつけた。
やがて吹奏楽部の列は朱雀会館の扉の向こうへと消えていった。